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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 1800年1月1日 14時01分

札束のお風呂について

 講師の八柳です。

 

 文化資本ということばがありますね。

 わたしは劣等感のかたまりで、作家や学者の評伝に、幼少期、父の蔵書を絵本代わりに読んで育ったとか、祖母の影響で絵画だの謡だのに親しんでいたとかいうたぐいの記述を見かけると、むきーっとそのページを噛みちぎりたくなってしまいます。

 

 わたしの家は三代さかのぼっても文化とはまったく縁のない家がらで、「父の蔵書」といえば強面の男たちの血なまぐさい暗躍を美化したマンガや小説、他人の私事を大げさに暴きたてる下世話な雑誌ばかりでした。

 

 そんな雑誌の裏表紙にはよく、札束風呂につかった得意気な若ぞうが何人かの女性にかこまれた写真が載っていて、「これのおかげで」と高額なパワーストーンの購入をうながしていたものです。

 

 生きるのは不安なことですから、脇に添えてある番号に電話したくなる気持ちもまったくわからないわけではありませんが、若くしてあれだけ大勢の福沢諭吉、いまなら渋沢栄一と裸のつきあいをしたあとの湯冷めの感覚は、さぞかし堪えることだろうとおもいます。

 

 あの男のひとがいまどうしているかは知りませんが、彼はかえって呪いの石をつかまされてしまったのではないでしょうか。

 

 わたしもできるなら、しばらく旧いままのこのホームページのトップ画面にお札ぎゅうぎゅうのアタッシェケースをてんこ盛りに積んだスーパーカーを華麗に疾駆さす全身きんきらきん、両腕じゃらじゃら高級時計のなぞの金髪男の写真などを載せて「この塾のおかげで……」とでも言わせたいところですが、国語の勉強は魔法の石とはちがいますから、なにもかもをもたらしてくれるわけではありません。

 いったい国語を勉強することによって、富は築けるのでしょうか。異性の関心はあつめられるのでしょうか。

 

 三つの段階で考えてみたいとおもいます。

 

 まず、ほどほどに勉強する段階です。これは大いに効果があるとおもいます。

 

 クリティカルに考え、ロジカルに主張する能力が仕事の場で役立たないはずがありません。読解の力を鍛えれば、口頭・文書にかかわらず、相手の言っていることがよくよくわかるようになりますし、豊富な語彙を得ていれば、こちらの言いぶんを、時に強硬に時にしなやかに、わかりやすく伝えることなどお手のものです。

 

「できるやつだ」と評判がたち、浴槽を満たすほどでなくても、月々安定した枚数の銀行券が舞いこむようになるでしょう。

 

 ことばを、自在に操ることができています。過不足なくなにもかもを言い尽くせているという爽やかな実感もともないます。歯の浮くような文句もすらすら言えるでしょう。それになびく心もあるでしょう。スピーチなどへもひっぱりだこです。修辞の達人です。

 

 

 しかし、あまり勉強しすぎると、ひらけてくるのはうらさみしい概念世界です。山へのぼると一定の高度で植生限界がおとずれるように、生活のなかの、なにもかもが味気なく、くだらなくおもわれてきます。

 

 友だちと海へ行って、バーベキューなどしてみても、みなで夕日など眺めても、「おおー」とか「ああー」とかで満ちたりていることはできなくなってしまいます。

 

 雑談にもうまくなじめません。べつにみんなは議論がしたいわけではないのにあなたひとりだけ妙にこむずかしいことを言ってしまったり、込み入ったお説を打ちはじめたりしてその場をしらけさせてしまいます。そして、話がふたたびいい感じの取りとめのなさを回復していくと、今度はあなたがしらけるはめになるのです。

 

 前は安易に言えていた冗談がうかうかと口走れなくなってしまいます。わかっていたはずのことがらの異様なわからなさの前でことごとく立ちすくむようになっていきます。

 

 口数がめっきり少なくなり、たまに口を開いても、でてくるのは遠慮がちな、まわりくどい言いまわしばかりなのでしだいに敬遠されるようになります。

 

 変わり者とか、頭でっかちとかおもわれています。

 

 あなたはあなたで、隠棲志向をこじらせ、まわりのひとびとを洞窟の壁の影絵にくぎづけの囚人のごとく見なすようになっています。

 

 諭吉や栄一などは嫌悪の対象です。書物の風呂にどっぷり浸かりこんでいます。概念崇拝です。それこそがパワーストーンだと思いこんでいるのです。

 

 ここでとどまるのがいちばん危険です。この先へすすまなければなりません。

 

 

 その先でどういう境地が待っているかというと、べつにどこへも到りつくことはなく、ただちょっとばかり雲は晴れてきて、独りぼっちの死の世界だと思いこもうとしていたそこはじつはたくさんの先人に踏みならされてきたふつうの山のふつうの中腹であり、リフトなんかもじゃんじゃん通っていて、なんなら団子屋もそのへんに点在しているということです。

 

 肩の力が抜けてきて、思ったことを気軽に声に乗せられるようになります。むずかしいことはむずかしいまま考えつづけられるのですが、そのむずかしさまではなかなか伝わらないもどかしさを、じんわりと楽しめるようになります。

 

 日々の行きちがいはおもしろく、絶望でなく、驚嘆のたねです。

 

 そこは山かもしれませんが、一登山者の視点としては野原と変わらないのであり、のぼらなくてもいいのであり、仮にのぼりきるようなことがあったとしても、山はたくさんあるのです。そこで、くつろいだ気持ちで散策をはじめることができるようになります。

 

 しゃべることも、黙ることもできるわけですから、稼ぎたければ、稼げばいいでしょう。メシを食うために、お金は大切です。

 

 浴槽は、ふつうに、お湯をはるためにあるものです。肩が凝っていたら、入浴剤をいれるのもいいでしょう。

 

 

 

 こう考えてみると、国語を勉強することで、わたしたちはくつろぎの質を高めていくことができるのではないかとおもいます。

 明晰なことばでとらえられた感情は大げさに暴れまわることをやめますし、じぶん自身をていねいに読み解きつづければ、神出鬼没で千変万化なパワーストーン的存在の呪力にも屈することはなくなります。

 

 おのれの欲望を知り、情動や衝動にふりまわされることなく、のんびりしていられる時間はともかく増えるでしょう。

 

 のんびりといったって、暮らしのさなかには現実問題としてたくさんのやらなければならないことが襲いかかってくるわけですが、これにしてみても概念を解きほぐして考えるくせをつけておくと「やらねば」という悲壮な観念にとらわれることはなく、「まあ、やらなきゃなあ……」くらいですむようになってきます。

 

 べつにもともとそのくらいゆるゆる生きられているひとは概念云々の効用はあまり感じることもないかもしれませんが、なにごともいちいち深刻に思い悩みがちなひと、札束風呂に飛びこんでみても「えっ……?」としか思えなさそうなひとはこのさい徹底的に国語の勉強をしてみると、あなたを苦しめているものの馬鹿らしさも厄介さも、不可解さも複雑さもすこしずつ見えてきますから、そのぶん自由に近づいていけるのではないかと思います。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年10月18日 14時30分

優等生への道

 講師の八柳です。

 先日ある作文の賞に、ある生徒さんが興味をもたれたので過去の受賞作をいっしょに見ていたら、ある年度の、ある選考委員さんのことばが目に留まりました。「優等生の作文ばかりで残念だ」というのです。

 

 わたしはおどろきました。

「優等生」というのは、もっと希少なものだと思っていたからです(この塾には、ごめんなさい、ひとりもいません)。

 どうすれば、「優等生の作文」なんぞを書けるのでしょう。

 AIにおねがいして、一作書いてもらいました。

 お題は、「小学校高学年生の書きそうな、優等生の作文」です。

 

 

 

 

 私たちの周りには、いろいろな人がいます。肌の色、言葉、文化、考え方など、みんな違っています。この「多様性」がとても大切だと思います。

 

 まず、多様性は私たちの世界を豊かにします。たとえば、世界にはさまざまな食べ物があります。日本の寿司や、イタリアのピザ、インドのカレーなど、いろんな国の料理を食べることで、私たちは新しい味を楽しむことができます。友達と一緒に異なる国の料理を作ったり、食べたりすることは、とても楽しいです。

 

 また、多様性は私たちに新しい考え方を教えてくれます。学校には、いろいろな国から来た友達がいます。彼らの話を聞くことで、私たちの知らなかった文化や習慣を知ることができます。例えば、友達の中には、特別な祭りを大切にしている人がいます。その祭りの話を聞くと、私たちもその文化について興味を持つようになります。

 

 さらに、多様性は私たちを成長させてくれます。人は異なる考え方や価値観を持っています。それを理解し、受け入れることは、時には難しいこともあります。しかし、そうすることで私たちは、より大きな視野を持つことができると思います。友達との意見の違いを話し合うことで、自分の考えを深めたり、新しい発見をしたりできます。

 

 私たちの社会は、多様性のおかげで、より素晴らしいものになっています。違いを受け入れ、お互いを尊重し合うことが、平和な世界を作る第一歩だと思います。これからも、私たち一人ひとりが多様性を大切にし、仲良く過ごしていきたいです。

 

 私の夢は、みんなが違いを尊重し合い、協力できる社会を作ることです。そのために、私は日々、友達とのコミュニケーションを大切にし、多様性について学び続けます。私たちの違いを楽しみながら、一緒に素晴らしい未来を築いていきましょう!

 

 

 

 りっぱな文章ですね。

 

 まず、「多様性」というきわめて凡庸なことばに目をつけたところがすばらしいと思います。

「優等生」とは、ある枠組みのなかで、高い評価を賜っている人たちのことです。

 その枠組みをできるだけはみださないように気をつけましょう。

 空前絶後のことを言ってはいけません。

 独創性などはご法度です。

 みんなの言っているようなことを、みんなよりも少しだけ巧みな言いかたで言うようにこころがけましょう。

 

 

 つぎに、あなたの気配を消しましょう。

 できるだけ無味乾燥な文体、できるだけ中立的な文章で、できるだけ無難なことだけを書くようにしましょう。

 優等生に、自我など要りません。

 ある集団のなかで、その集団のルールをいちばん徹底的に「わたし」と同化させることに成功した存在、それこそが、優等生だからです。

 優等生は、じぶんでものなど考えません。そういうことは、野蛮な逸脱です。

「わたしはこう思う」「ぼくはこう考える」ではなく、「みんなはこう思う」あるいは、「チームはこう考える」。

 これこそが、優等生の思考方法というものです。

 

 

 この作文は、多様性バンザイ一辺倒で、ちょっと単純すぎますが、もう少しレベルの高いものを書きたければ、この「多様性」という概念について、あなたなりに疑問を表明してみてもよいでしょう。

 けれどもそれは、けっして行きすぎてはいけません。

 考えを、深めすぎてはいけないのです。

 なにかを疑うにしても、答えのでる範囲ですませなければいけません。

 深すぎる懐疑は、当たり前だと思っていたものごとの、見たこともないすがたをあらわにしてしまう恐れがあります。

 そんなものを見せつけられたら、みんなは不安になってしまうのです。

 ぜったいにゆるがないと信じていた常識というものの、存外なもろさや儚さがあらわになったとき、多くのひとびとは、けっきょくは怒りだします。

 怒ることは苦しみです。

 そんな苦しみを、なによりも、じぶんよりも重んじなければならないはずの「みんな」に味わわせるなど、優等生のなすべきことではありません。

 浅瀬でちゃぷちゃぷやりましょう。

 そのためにべんりなことばなら、たくさんあります。

「考えさせられた」とか、「痛感させられた」とか。

 そういうことをじゃんじゃん言っておけばよいのです。できるだけ当たり障りのないことだけを、できるだけかっこよく書きましょう。

 

 

 締めは安易にポジティブに。これも優等生らしい作文の条件のひとつです。

 人間は、変化や複雑性をきらいがちです。「今のままじゃだめだ」とか、「お前がこうだと決めつけてるこれ、ほんとうはこんなにむずかしい問題なんだぜ」とかいわれると、イラッとします。

 優等生たるもの、他人様をいらだたせるようなことはあってはなりません。啓発的なことを書くにしてもほどほどに、人びとの共感を得られる程度にとどめておいてください。

 知性のするどいひと、精神の繊細なひとにとって優等生になることは、じつは、ラクダが針の穴を通りぬけるよりむずかしいことです。

 三日くらい完全に徹夜したあとで、うんとぼやけた頭で書いてみてください。そうすれば、いいぐあいに薄っぺらな結論部分がでてくると思います。

 それでもまだお利口なことを書くのに抵抗のあるひとは、スーパーマリオの、スターの音楽でもながしながら、トゲ山の上でも走りぬけるような気持ちで、もうやけくそに書ききってしまってください。

 

 このように、優等生になるというのは、「じぶん」よりも「みんな」に就くことであって、ばかばかしいこときわまりないのですが、そのばかばかしいことを、恥もためらいも、迷いもたじろぎもおくびにもだすことなく、みんなよりもぐっと優美にこなしていけるのが最高の優等生というものなのです。

 これは努力や能力の問題でなく、気質というか性格というか、一種の、まあ才能といえば才能でしょう。

 

 教室に通ってくれているみなさんは、優等生になるためには、少々ちゃんとものを考えすぎています。

 

「ああでもない、こうでもない……」

「こんな可能性もある、こんな懸念もある……」

 

 意見ひとつを練りあげるのに二十分も三十分もかけている生徒さんがたを見て、わたしは時に心配にもなりますが、おおむね、頼もしく感じています。

 

 不良になってほしいわけではありません。あれはあれでけっきょく優等生とおなじようなことをしているのです。

 

 できるだけたくさんのことばに誠実な実感をともなわせながら、ゆたかに、しなやかに生きていってほしいものです。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年10月11日 14時05分

読むことについて 3

 前回は読むことの基礎についてお話ししました。

 

 ある文章を「読めている」というとき、われわれは、いまなんの話をしているのか、はっきりわかっている。つぎなんの話が来そうか、ほんのり予感できている。そしてその予感が外れたとき、柔軟に思い込みを訂正していくことができる。そういう話でした。

 

 またそのために、語彙を増やしたり、いわゆる背景知識を蓄えたり、接続詞に着目したり、教室で、対話をかさねながら多くの問題を解き慣れたりすることが、とりあえずは有効かもしれないというお話をいたしました。

 

 ではそれだけで「読める」ようになるかというと、なかなかむずかしいところです。

 問題は、二つあります。

 

 一つは、脳の負荷の問題です。

 

 黙読は、傍目にはじっと文字列を眺めているだけにしか見えませんから、きわめておとなしい、休息によく似た行為のようですが、脳のほうはひっきりなしにせわしく稼働しています。

 

 語を認識するたび意味を考え、文をとらえるたび前後の文との関係を量り、話題が転換されるたび、それまでの論の運びも頭にとどめながら読みすすめねばならず……。

 

 このような作業を常時、おしまいの一語までつづけていかねばならないわけですから、じつは黙読は、ものすごいマルチタスクなのです。脳にたいへんな負荷がかかっています。

 

 長い文章を読解しなければならない場合、目下読んでいる部分の解釈に全神経を使ってしまっていると、「あれ? さっきまでなんの話をしてたんだっけ?」「なんでここでこの話がでてきてるんだっけ?」こんなことにもなりかねません。

 というか、ほとんどの場合、そうなります。

 文脈を、見失ってしまうのです。そうなるともう、「いまなんの話をしているのか」を理解することはできません。

 

 たとえば、独我論というものについての文章があったとして、そこでリンゴの例が持ちだされているときに、「ああ、リンゴの話をしているなあ」と認識するだけでは不十分なわけです。

「『独我論』っていう哲学的議論について説明するための補助として、リンゴの具体例に言及しているんだなあ」こう思わなければなりません。

 

 それまでの話のながれを意識しながら、いまの一文も読み解かなければならないわけです。それをどんどん先へ、先へとつづけていくわけです。これはけっこう頭を使います。

 

 頭を使っていると、余裕がなくなります。

 余裕がなくなると、どうなるか。

「行間」というものが、読み取れなくなってしまうのです。

 

 行間とはなにか? それは、はっきりと書いてはいないけれど(むしろはっきりと書いていないことによって)、文章のあちこちから感じられる、隠れた筆者の主張、あるいは物語文であれば登場人物の心理や思考、行動などのことです。

 

 これは学校の勉強としての「国語」にかぎらず、本を読むとき意識してみてほしいのですが、すぐれた作家ほど多くは語らないものなのです(だから漫然と読んでいると「なにこの話?」で終わってしまうこともよくあります)。

 

 意識してみてほしいのですが、といったってそれを意識するのがむずかしいという話でしたね。

 

 むずかしいんです。

 

 なじみのない概念語や学術用語の意味の推測、主・述関係が不明瞭だったり修辞的だったりして一見なにを言っているのかよくわからない文の意図の解釈、そもそもピンとこない主張への思いめぐらし、「時間内に読まなきゃ」という焦り、「わかんないなあ、つまんないなあ、お腹へったなあ」という雑念……。

 

 こういうものに脳の全リソースを奪われてしまっている状態では、「行間」への気配りなどはとうぜんおぼつかないでしょう。

 

 どうすればよいか。

 

 もちろん、前回お話しした対策はどれも有効です。

 

 たとえば、語彙を増やして「主観」「客観」こういうことばが「猫」や「バナナ」とおなじ程度になじんでくれば、解釈に脳がいちいち疲れることはなくなるでしょう。

 接続詞を頭で覚えるだけでなく、じっさいに使い慣れるなどしてマスターしておけば、文と文のつぎ目ごとに「これは『順接』だから、ええと……」「『逆接』っていうことは、つまり……」とわざわざ頭を働かすまでもなくなります。

 

 これらにくわえて、今回わたしがお勧めしたいのは「音読」です。

 以前、古文の学習について書いたさい、異言語学習における音読の効用を強調いたしました。

 

 母語でもおなじです。

 

 読むことは身体知です。知識や概念を増やすだけでなく、感覚を養わなければうまくなりません。

 文章のリズムを身体に叩きこむつもりで、とにかく毎日何べんもくり返し、くり返し音読してください。

 

 最初のうちは、とにかく速く読むことだけを意識してみてください。高速音読です。

 つっかえながらでもかまいませんから、速さだけを意識して、とにかく何度も声に出して読んでみてください。

 毎日です。かならず毎日やってください。習慣にしてください。

 一日十分でかまいません。

 はじめのうちは、頭が疲れてしかたがないでしょう。急に眠くなってくることもあるとおもいます。

 けれどもこらえて、ひと月、ふた月とつづけてみてください。

 慣れてきたら、抑揚をつけてみてください。文章の意味についてもよく意識しながら、それができるだけつたわりやすくなるよう、こころを込めて、何度も読んでみてください。

 

 

 

 

 二つ目の問題は、やや精神論的な話になってくるとおもいます。

 

 思い込みを訂正する、ということについてですが、これは多くの生徒さんが苦手としていらっしゃるようです。

 

 とくに、前回も書きましたが、読書好きの生徒さんほど、「思い込み」の論理を築き、維持していくのがうまい傾向にあると感じます。そうして、自分なりの理解をもとに記述答案をしあげてしまった結果、語彙も豊富で、長い文章もすいすい読めてしまうのに(読めてしまうからこそ)、まったく的外れなことを書いてしまっていることも少なくないのです。

 

 思い込み、そのものは悪ではありません。

 むしろ、必要なものです。

 読みながら、「こういう話かな?」と絶えず頭のなかで仮説を立てていかないことには、深くなめらかな読みを実践することはできません。

 けれどもその「仮説」というのは、ほとんどつねに挫かれるものだと思っていてください。

 

 あるいは、当たったように思える場合でも、筆者の言っていることだけでなく、その「言いかた」のほうにも注意をむけてみてください。

 文章のリズム。ことばの選びかた。そういった細部にも、気を配ってみてください。筆者の声を、聴きとろうとしてみてください。あなたの「思い込み」との、もっと深いところでの一致やズレが見えてくるはずです。

 

 はじめての文章を読むときの態度として、もっとも望ましいのは素直であることだとわたしは思います。

 といっても、なんでも唯々諾々と受け容れろというわけではありません。自分なりの考えを放棄しろということでもありません。

 

 いわば、方法論的な素直さです。

 

 目の前の文章で展開されているのが、どんなに納得のいかない主張だとしても、とりあえず、読んでいる間だけは「ふむふむ」といったん、真摯に向き合ってみてほしいのです。

 

 そうでなければ見えてこないもの、聞こえてこない声が確実にあります。

 

 もちろん、先述のとおり「思い込み」をこしらえたり、あるいは、「それはちがうだろ」と疑問を抱いたりしながら読むことは、大いにけっこうです。

 

 それは、素直さと矛盾しません。疑問も思い込みも、読んでいる文章に触発されて生まれたものにはちがいないからです。

 

 ただ、それらの思考に囚われすぎてしまってはいけません。かならず、疑問を抱いている自分、思い込みをもっている自分、そういった自分を冷静に観察し、場合によっては「まあまあ」となだめる第三の自分を高所にたもちつづけてください。

 

 この「第三の自分」の存在感が増してくるにしたがって、「素直」でいることは容易になっていきます。

 

 逆にいえば、さまざまな理由によって「素直」でいることのむずかしいとき、文章はわれわれになにも語りかけてはくれないでしょう。

 そんなときわたしたちが聴くのは、われわれ自身の声ですらないのです。

 

 

 文章を、わけても書物を真剣に読むなどというのは、ある意味ではたいへんにおそろしい行為です。

 

 そこでわれわれは知らなかったことを知るだけでなく、「知っている」とか「知らない」とかいっているこの自分という枠組み自体を、大きく揺さぶられ、ぶち壊され、つくり変えられる脅威に直面しているのです。

 

 それまでなんの問題もないように見えていた世界や日常が、じつは油断ならない驚異のかたまりだったり、複雑さの極致だったりすることに、突如として気づかされてしまう恐れがあるのです。

 

 われわれはそれまで握ったと信じ込んでいた世界への幻想の主導権を手放し、わかったつもりでいた事物のわからなさにひりひりとしながら不条理な毎日を過ごさねばならなくなるかもしれません。

 

 本を徹底的に読むというのは、じつはそのくらい危険なことなのです。

 

 ですからほとんどの小・中・高等学校では、ともすると大学においてすらも、読むことについてあまりまともには教えてもらえません。

 

 そんなことをすれば世のなかはめちゃくちゃになってしまう、という信のうえにかたちづくられた世界観、にもとづいて設計されているのがわれわれのよく知っている学校教育制度というものだからです。

 

 

 

 どこからかすこし脱線してしまったようですが、「思い込み」の件にかんしてわたしがシンプルに言いたいのは、相手を疑うより先に自分自身を疑ってください、ということです。

 

 いまの世のなかは効率よく快を稼ぎだすことに特化した、あるいはできるかぎりの不快の低減をもくろんだサービスがあまりにも多く、身も蓋もないかたちで実現されてしまっており、不都合なものはすべて死角に追いやって、見たい現実だけを見ることのできる体制がととのい尽くしてしまっていますから、せっかくの余暇時間にわざわざ本を読み、じぶんの世界だけが世界でないことを思い知らされるいらだたしさ、絶望にも近い自己変革のおそろしさを味わわされることなど、あまり求めている人は多くはないのかもしれません。

 

 けれども、破壊のあとの再創造を担ってくれるものの最有力の手段として挙げられるのも、やはり書物ではないかとおもいます(もちろん、それがすべてだと言っているわけではありません)。

 

 あなたと縁遠い世界の存在の痛感は、ほぼ確実に、よいか悪いかはべつとして、あなたを豊穣なひとに変えてくれるでしょう。読むことを通し、あなたはより多くの現実を生きるひととなるのです。

 

 世界はいろいろと変わっていくでしょうが、もちろん大いに変わっていくでしょうが、ある意味では、大した変わりはないともいえるでしょう。

 しかしあなたは、読むことによって、世界の変化を実感することができるかもしれません。

 

 それくらいの可能性をもったいとなみのまずは初歩として、学校教育的な国語の勉強をやってみましょう。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年10月4日 13時57分

読むことについて 2

 講師の八柳です。

 読むこと、についてお話しします。

 

 ある文章を、とりあえず「読めている」というのは、読みながら、

 

 ①いまなんの話をしているのかはっきりわかっている。

 ②つぎなんの話がきそうなのか、ほんのり予感できている。

 ③その「予感」が外れたとき、「ああ、そういう話だったのね」とすばやく自分の思い込みを修正していける。

 

 ということです。読解力を高める、というのは、つまりこの三つのちからを高めるということなんです。

 

 では、どうすればいいのでしょう。逆に、この①から③ができなくなってしまうのはなぜなのかを考えてみましょう。

 

 ①、そもそもげんに読んでいる一文の意味すらよくつかめないときは、まず語彙力の不足が疑われます。説明文なら「主観」「客観」などの概念語、物語文なら感情をあらわす慣用句など。

 

 語彙集を用意しましょう。一日に何ページと決めて、覚えていきましょう。

 

 そして、これが大切なのですが、覚えた語彙は、じっさいに使ってみましょう。

 

 例文をたくさんつくりましょう。

 

 ふだん使わないようなことばでも、意識して会話に織り交ぜてみましょう。

 

「その使いかたはおかしい」「ちょっと不自然」などと、すぐに指摘してもらえる環境で使うのが理想です。

 

 教室に通ってくださっているかたは、ぜひ、わたしに例文を見せたり、話しかけたりしてください。

 

 ことばの意味というものは、思っていたよりも柔軟で、「ぶれ」を許容するものなんです。

 辞書や語彙集の定義を丸ごと覚え込んでも、その「ぶれ」をとらえられるようにはなかなかなりません。生きた用例にたくさんふれながら、からだになじませていきましょう。

 頭で覚えただけのことばは、いざというときなんにも語りかけてはくれません。

 

 

 ②、このちからを向上させる方法は、ふたつあります。

 

 ひとつ、話題についての背景知識を増やすこと。

 

 大学受験であっても高校受験であっても、中学受験であってもそうですが、試験で出題されるような説明的文章のテーマというのは、ある程度決まっています。数多くの文章を読みなれておけば、「ああ、またあの話ね」となる機会は、とうぜん増えるわけです。

 

 わたしは文学や思想系の話題をあつかった、標準的な分量の新書などであれば、だいたい十分から十五分くらいもあれば一冊読めてしまうのですが、それはじぶんがその分野についてよく勉強してきているので、ひとつひとつのことばにほとんど肉体的な実感がともなっているばかりか、「つぎなんの話がきそうなのか」という、この予測能力がけっこう正確にはたらくからなのです。

 

 ざーっとページに目を走らせながら、「これは知らないなあ」とか「えっ、そっちの方向にいくの?」とか思ったときにだけ、読むスピードを落とします。

 樋口一葉のような眼球運動の天才でないかぎり、読むのが異様に速いひとはだいたいこのように、既存の知識に頼っているのだと思われます。

 

 ただこのやりかた、つまり背景知識の拡充によって未知の領域を少なくしていこうというやりかたは、読解という分野においてはあくまで補助とお考えください。

 知識だのみの読みかたをしていると、ほんとうにまったく未知のことがらについての文章を読むはめになったとき、うまく対応することができなくなってしまいます。

 また、これは③でもふれますが、この種の読みかたには危険もともないます。

 

 では、どうすればよいのでしょうか。ここで、ふたつ目の方法です。

 

 接続詞に習熟すること。

 

 これはどの参考書にもおそらく書いてある、説明的文章読解の基本中の基本だとおもいます。読むときに、とにかく、「だから・しかし・ところで・いっぽう・ただし・なぜなら」……こういった、文と文とをつなぐことば、「接続詞」に注目してください。

 

 接続詞は、順接、逆接、対比、転換、補足、説明と、「論理関係」を示すはたらきをします。読者は、この接続詞に着目しながら読むことで、つぎの一文にむけた心がまえをすることができるのです。

 

 たとえば、「傘をもって外にでた」という文があったとして、そのあとに、「しかし……」とつづいていれば、「雨は降らなかったのかな」などとなんとなく予想がつきますし、「だから……」と書いてあれば、「濡れずにすんだのかな」とこれもやはり予測がはたらきやすくなるわけです。

 

 この種のことばのありがたみをつくづく実感したければ、接続詞や接続助詞をいっさい使わず、あなたの主張をのべる文章を書いてみてください。

 それはきっと、ある種のおもしろみをもったものにはしあがるでしょう。

 けれども、けっして読みやすいものではないにちがいありません。

 

 

 ③、これはむずかしい問題なんですよ。②ですこし言及しましたが、いろんな知識をもっていたり、考えることの得意だったりする生徒さんほど、ここで罠にはまってしまうことが多いんですね。

 

 要するに、思い込みで読んでしまうんです。それが思い込みだと気づけないまま、一気呵成に記述答案を書きあげてしまいます。まぎらわしい選択肢にひっかかってしまいます。

 

 読書好きなのに、いまいち国語の成績が伸び悩んでいる生徒さんがたの問題も、多くの場合はここにあります。すらすら読むことはできるのですが、あるいはできてしまうがゆえに、緻密に読むことに慣れていないのです。

 

 こういうかたは、ぜひ、教室に来てください。答案そのものを拝見するだけでなく、その回答へといたった理路について、お話を聴かせてください。

 いっしょに、「思い込み」の根源を発見していきましょう。やがてあなたなりの、読みかたのくせのようなものがあきらかになっていくでしょう。

 それを客観的にとらえることで、はじめて、読んでいる最中に「あっ、いま思い込みで読んでいるかもしれない」と気がつけるようになっていくんです。

 

 しかし……これは場合によってはほんとうにむずかしい問題です。

 

「思い込みの世界にとどまりたい」という、つよい誘惑がはたらく場合もあるとおもいます。それが不安や恐怖、焦りのかたちをとってくることも多いでしょう。

 

 しかしとにかく、ていねいに、しなやかに、虚心に目の前の一文を読み解いていくことを徹底しましょう。

 あせらないこと。がっつかないこと。これがなにより肝心です。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年10月4日 13時55分

書くことについて 2

 講師の八柳です。

 火曜日19時からの中学生のクラスには、現在三名の生徒さんが参加してくれています。それぞれ、読解や作文など必要に応じた課題に取り組んでもらっているのですが、このあいだ、きわめて興味深い一幕がありました。

 

 ある生徒さん、仮にKくんとしておきますが、そのKくんはものごとをいろいろな角度から考察するちからがとても高く、どんなテーマに関しても自分自身の主張だけでなく、他のさまざまな立場からの意見も想定しながら慎重に筆をすすめてくれるのですが、先日、あるテーマにしたがって意見文を書いてくれたとき、どうもそのしあがりに納得がいかないようでした。

 

 そのテーマとは、「災害時、テレビ局は一律に通常放送を自粛して、被災状況の報道に徹すべきか否か」。

 

 最近でいうと、年明けから能登の地震で正月のお笑い番組などが放送中止になりましたね。あるいは、わたしなど真っ先に思いだすのは、もちろん東日本大震災のときのことですが、ああいうメディアのありかたを是とするか非とするか。

 

 Kくんの意見は「是」、つまり各局一律にバラエティ番組等の放送は取りやめて、災害報道に専念するべき、というものでした。

 

 根拠の部分を読んでみると、いま原稿が手もとにないため正確な引用でなく申し訳ないのですが、「広くテレビで報じることにより、ひとりでも多くの国民に関心をもたせ、募金や、ボランティアなど復興に向けた活動を促していくのが望ましいから」。

 

 なるほど……とは思うものの、わたしとしても、読んでいていまいち物足らないというか、いつものKくんの文章にはそなわっているなにかが欠けているような印象を覚えました。つまらない、とまではいわないものの、なんだか、ずいぶん平板な感じがするというか……。

 

 うーん……と原稿を手に考え込んでしまっていると、書いたKくんが、とつぜん、わたしにこう言ってきました。

 

「先生、だめっす。おれ、これ、なんかフツーのこと書いちゃってます」

 

 あっ! とわたしはおもいました。

 そうか、そういうことだったのか。

 

 話を聴いてみると、Kくんは、数日前アメリカの同時多発テロについてのドキュメンタリーを観たばかりで、いまは被害者や被災者、遺族のかたがたに百パーセント共感する以外の立場をとることができなくなってしまっているそう。

 

 いつものKくんの論じかたであれば、とうぜん、このあと「全面自粛」という状況の否定的な面についての検討に移っていってくれるはずなのですが、今回にかぎっては、個人的な感情のせいで、「是」以外の立場から考察することがむずかしくなってしまっていたのです。

 

 それで今回のKくんの作文は、いつもならある、厚みや深みのようなものを欠いてしまっていたのでした。すごく、一面的な論になってしまっていたのです。

 

 けれども、それは大した問題ではありません。わたしが今回Kくんにほんとうに感心したのは、Kくんが、

 

「先生、これ……すみません、このテーマ、また、今度にしてください。おれ、これ今後の課題にしたいっす。なんか、これ、もっとちゃんと書けるようになることが、おれの最終目標になる気がします」

 

 こんなふうに申し出てくれたことです。

 これはおおきな知恵だとおもいます。

 Kくんは、自分の理性がきかなくなってしまう瞬間に、気がついていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 書くことを上達させる唯一の方法、それはとにかく、たくさん書くことです。

 たくさん書いて、たくさん、ひとに読んでもらうことです。

 そしてたくさんじぶんで読み返し、たくさん、書き直すことです。

 

 どうすればたくさん書けるようになるのでしょう。

 

 まずは、書くことのハードルを下げましょう。

 

「なにを書いてよいかわからない」という方。

 

 もしかしたらあなたは、無意識のうちに「書いてもいいこと」「書いちゃいけないこと」を区別してしまっているのかもしれません。あるいは、「書くほどのこと」と「書くほどでもないこと」を。

 いっしょに頭を捻ってみましょう。

「書いちゃいけない」「書くほどでもない」そう考えて、はじめから棄ててしまっているアイデアのなかにこそ、なにか題材がひそんでいるかもしれませんよ。

 

「よいものを書こう」「おもしろい作文にしよう」

 

 こういう考えをもってはいけません。まして、教師を感心させようだなんてぜったいにおもってはいけません。そのようなたくらみは、かならず、あなたの文章を再読に堪えないものにします。

 いまいち調子がわるくても、読者のウケもよくなさそうでも、とりあえず、決まった分量書ききることが大切なんです。

 よいものばかりを書こうとしていては、いつまで経っても書けるようにはなりません。

 どんな文章にも、魅力はあるものです。それはたいがい、あなた自身の気づかないところに宿っているのです。

 安心して、よけいなことは考えず、ただマス目をひとつずつうめていくことだけに専念してください。

 

 

 

「書きかたがわからない」という方。

 

 大丈夫です。書きかたなど、ありません。書くことは自由なおこないです。ほんとうは、けっこう不自由なところもあるのですが、その話をするのはきっとまだ早いでしょう。

 まずは、うかんでくることばをなんでもばーっと原稿用紙に並べてみてください。

 マス目がじゃまなら、白紙を用意します。

 中身はなんでもいいですよ。意見を書いても、物語を創っても。

 もちろんふつうに身近な出来事を書いてくれてもだいじょうぶです。

 オチなんかなくてかまいません。展開なんて意識しなくてオーケーです。

 とにかくたくさん書いてください。原稿用紙なら、一枚くらいはうめてください。

 白紙なら、文字の大きさにもよりますが、端から端まで書ききってください。

 

 書けたなら、いっしょに読み返しましょう。

 

 どうですか。

 読者のあなたから見て、書き手としてのあなたの魅力はじゅうぶんに発揮されていると思いますか。

「いまいちだな……」とおもうとしたら、それはなぜでしょう。

 

 どういうところに原因があるのでしょう。

 

 表現が、あいまいになってしまっているのでしょうか。

 論理のつながりが、わかりにくくなってしまっているのでしょうか。

 話の展開が、ぎこちなくなってしまっているのでしょうか。

 

 いっしょに「うーむ」と考えましょう。

 そして、誤魔化しのない対話をかさねましょう。

 そこではじめて、あたらしい語彙、接続詞の意義、「型」というものの効用、ひいては国文法についての知識(助詞への気配りで文章はぐっと精彩に富んだものになります)、こういったものについて学ぶ意欲も生じてくるでしょう。

 

 

 試験や課題などで文章を書くことがもとめられる場合、そこで試されているのは、できるだけ正確な、つまり規範的な日本語文を作成する能力です。

 

 これは、日本語話者なら誰にでもしぜんにそなわっている、というたぐいの技能では決してありません。おなじ日本語であっても、「なんとなく」で意味の通じる(通じたような気になっている)話しことばと、緻密な読解を要求する書きことばとでは、性質がまったくちがいます。

 

 正確な、わかりやすい文章を書くことは、誰にでもできることではないのです。

 その技術を向上させるためには、長年の、特殊な研鑽を積まなければなりません。

 

 しかしわたしは、同時に、「書く」という行為は、ひとつのドーナツのようなものだとも考えております。

 

「正確に書く」。

 

 それはたしかに、「書く」ことの中心に据えられるべき重要な心がけですが、ドーナツのまんなかに位置しているのがなにかといえば、それは、穴なのです。

 

 フレンチクルーラーやオールドファッションを食べるとき、穴から先に食べはじめるひとがいるでしょうか。

 

 そんなの腹もふくれませんし、おいしくもありません。なにより馬鹿馬鹿しいでしょう。

 書くことの苦手なひとが、いきなり型やパターンを身につけようとしているとき、これとおんなじことをしているようにわたしにはおもわれます。

 

 穴のかたちをとらえるためには、まずドーナツの全体こそをとらえなければなりません。

 そしてむしゃむしゃとかぶりつくのです。それが中心へとたどりつくいちばんの近道です。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月28日 13時09分

古文の学習について

 講師の八柳です。

 

 古文や漢文は不人気科目の筆頭です。

 

 生徒さんがたにお話をうかがうと、将来なんの役に立つのかわからないのでやる気も湧かないとおっしゃいます。

 しかし役に立つとはどういうことでしょう。

 税理士の資格だとか、プログラミング技術のように、むこう数十年にわたって確たる食い扶持をもたらしてくれるということでしょうか。

 そういう意味でしたら、たしかに役には立ちにくいでしょう。

 けれどもし、なんらかのかたちで日本語の文章を書く機会をもつようでしたら、勉強してみて損はないとおもいますよ。

 たとえば、以下のような文章についてあなたはどのような印象を抱きますか。

 

「私たちは、ディスラプティブなテクノロジーとトランスフォーメーシャルなビジョンを駆使し、サステナビリティとソーシャルインパクトの融合を追求します」

 

「先進的なアイデアを創出し、アジャイルなアプローチで市場のニーズに迅速に応えることで、サステナブルな成長を実現します」

 

「チームメンバーの多様性を尊重し、各人のポテンシャルを最大限に引き出すことで、コラボレーティブなカルチャーをクリエイトします」

 

 これは創作ですから極端な例ですが、むかし、わたしの勤めていたインフォメーションテクノロジー企業内でも似たようなことば遣いは跋扈していました。

 

 おなじ内容をわれわれの母語で言いあらわすとどうなるでしょう。

 漢語と和語と、それぞれ用いて表現しなおしてみると、どうなるでしょう。書き換えられますか。

 

 

 古文、漢文を習得するにあたっておすすめの勉強法、それは、音読です。

 とにかく音読してください。

 江戸時代の人びとは、「素読」といって、子どものころからわけもわからないままに、孟子や論語、孝経などといった漢籍を、とにかく教師のまねをして、耳で聴き、声にだし、身体で覚えこみました。

 そうして漢文の「感覚」を身につけたのです。これは、いかなる異言語においても有効な学習法だとわたしはおもいます。

 

 わたしは時折語学狂になる時期があって、古典ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、パーリ語とやってきたのですが、どの言語を学ぶときでも、文法書を一冊終わらせたあとは、音読、音読、音読ばかりでした。

 

 ただそれはやみくもに、デタラメに声にだして読めばいいというわけでもないのです。

 できれば以下の手順を意識して、取り組んでみてください。

 

 まったくの初学者のかたを想定してお話しします。

 

 古文の場合でしたら、まず、「用言の活用」を覚えなければなりません。

 

 用言ってなんでしょう。それは、動詞、形容詞、形容動詞のことです。動詞は九種類、形容詞は二種類(補助活用もいれると四種類)、形容動詞も二種類に活用しますね。このパターンをすべて覚えましょう。

 

 未然形から命令形まで、全種類の活用においてすらすら、一瞬の迷いもなく唱えられるようになるまであの表を頭に叩きこみましょう。

 

 寝ごとで「a・i・u・u・e・e……」とつぶやきはじめるくらい、友だちが「ウケるー!」と言ったら「下二段活用!」と頭をよぎるくらいです。

 

 黙って目で見て覚えようとしてはいけません。できるだけ声にだして読みましょう。

 耳でも覚えましょう。

 読んでいるじぶんの声が、いざというときしぜんとよみがえってくるようにしてしまいましょう。

 

 ことばの勉強は、最初がかんじんです。いったん読めるようになってしまえば、それほど苦でもなくなります。しかし、読めるまでがキツいのです。

 この段階に、ひと月も、ふた月もかけていてはいけません。毎日コツコツ、少しずつやっていけばいいかな、などと考えてはいけません。挫折するからです。どこかでめんどうになってしまうからです。

 

 計画を立てましょう。

 

 三週間、やりかたによっては二週間でもかまいません。そのごくかぎられた期間だけ、他科目についやしている勉強時間のうち、喫緊の必要があるぶん以外はすべて、古文の勉強に充ててください。

 最初の一週間で、用言の活用を完璧に覚え込みましょう。

 このようなスケジュールはどうでしょう。

 

 一日目:動詞

 二日目:動詞の復習と形容詞

 三日目:形容詞の復習と形容動詞

 四日目:形容動詞の復習と動詞の再復習

 五日目:動詞の再々復習と形容詞の再復習

 六日目:形容詞の再々復習と形容動詞の再復習

 七日目:形容動詞の再々復習、総まとめ

 

 第一目標は活用表をつまずかず、ひと通り唱えられるようになること。それを白紙に書けるようになること。

 

 第二目標は、かんたんな短文のなかで指定の単語を適切なかたちに活用させられるようになること。なぜその活用形にせねばならないのか説明できるようになることです(たとえば「花咲け時」という文を見て瞬時に「あっ、体言が後に来ているから連体形にしなきゃ!」と判断し、「花咲く時」に直せるようになる、など)。

 

 そこまでできるようになったらまずはいいでしょう。教室に通ってくださっているかたは、ぜひここまでに得た知見をわたしに講義してください。

 アウトプットは、もっとも効果的な勉強法のひとつです。

 わたしは拝聴し、なにかまちがいがあるようなら訂正いたします。

 

 そこを乗りきれたらつぎの一週間で基本的な助動詞の意味と活用の種類、接続まで覚えましょう。以下のような計画はどうでしょう。

 

 一日目:完了(つ・ぬ・たり・り)

 二日目:前日の復習、過去(き・けり・けむ)

 三日目:完了と過去の復習、推量(む・むず・べし・じ・まじ)

 四日目:前日の復習、推量・推定(らむ・めり・らし・なり)

 五日目:推量・推定の復習、断定・願望・反実仮想など(なり、まし、たし、まほし)

 六日目:前日の復習、総復習①

 七日目:総復習②

 

 助動詞の場合、「接続」というのが厄介なんですね。

 何の助動詞は用言の何形の後にくる、というルールが決まっているのです。たとえば、助動詞「ぬ」は連用形接続である、「べし」は終止形接続である(ただしラ変型動詞につくときは連体形接続となる)など……。

 

 これは理屈だけ覚えてもじっさいに読むときには役に立ちませんから、問題を解きながら理解してもらったほうがいいでしょう。

 

 たとえば、「(思ひ)む子を法師に(なす)(たり)むは……」()内の語を適切な形に活用させてください、というような問題に、とくに「総復習」の日には、できるだけたくさん取り組んでもらうのがよいと思います。

 

 

 以上、古文の学びはじめの時期におすすめのふたつの学習計画を提示いたしましたが、おわかりいただけるであろう通り、わたしが、とにかくなによりも意識してほしいのは復習、とにかく復習が重要だということなんです。

 

 フォトグラフィックメモリーのような、特殊な能力をおもちの方であればいざ知らず、ふつう、人間は当然いろいろなことを忘れていきます。

 

 忘れることを前提に、計画を立てていかなければいけません。

 

 問題に取り組むさい、冊子に直接書きこむのでなく、かならず、ノートに解くようにしてください。まちがえてしまった問題、正答していても理路のあやふやな問題には、なにかしるしをつけるようにしてください。

 そして翌日の学習は、しるしつきの問題を解きなおすことからはじめてください。

 なぜ、そのような答えになるのか、きちんと納得のいくかたちで、誤魔化しなく、自分自身に説明できるようになっていることをたしかめてください。

 

 ノートは、これはひとの好みにもよるのでしょうが、あまりきれいにつくりすぎないほうがいいと思います。

 情報を整理し、あとで見返すだけならば参考書でじゅうぶんです。

 いちどていねいに見栄えのよい紙面をつくる間に、十ぺんでも百ぺんでも音読したほうが、暗記のためにはぜったいに効果的です。

 ノートは基本的に、よごすものだと考えてください。

 わたしのおすすめは、「セルフ講義法」です。

 ノートの一ページをホワイトボードに見立てて、そこに例えば助動詞なら「完了」とか「過去」とか、なんでもいいのですがテーマを立てて、思いうかぶ情報をがーっと書きなぐっていく。

「つ、ぬ、たり、り、き、けり……」など。

 

 書きなぐりながら、べつにじっさいに声はださなくてもいいのですが、自分自身に対し、でてきた情報について解説をおこなってみる。

 

「つ、ぬ、たりは連用形接続だけれど、りの接続はちょっと変わっていて、『サ未四已』と語呂合わせで覚えるのがよく……」

 

「き、は直接過去、けり、は間接過去で……詠嘆の意味もあって……」

 

 するとこの不意にでてきた「詠嘆」ということばから、和歌のことへと連想がひろがっていったりするわけです。

 

「和歌……和歌……ええと……枕詞なんてのもあったな……なんだっけな……」

 

 と言いよどんでしまったら、その分野については知識が欠落しているということ。そうしたらそこを参考書で重点的に学んだり、あるいは、教室でわたしに尋ねてくれたりすればよいのです。

 

 

 話がやや逸れてしまいましたが、最初のきついひと月ほどで集中的に文法の基礎を叩きこんでしまったら、そこからは、じっさいに易しい短文を読みながら、古文というものに慣れていきます。

 

 慣れ、これも大切です。われわれの親しんでいる現代的な文章と、いわゆる古文とでなにがちがうかといいますと、それは明晰さというものにたいするとらえかたなんです。

 

 多くの古文は、とくに源氏物語や枕草子をはじめとする王朝文学や、その文体をまねぼうとした室町時代の物語文学などに顕著な傾向ですが、はなはだぼんやりしています。

 

 順接なのか、逆接なのか。主語はだれなのか。なんの話をしているのか。省略や、仄めかしがあまりに多く、たんに単語や文法の知識を万全にしただけでは、この戸惑いからぬけ切ることはできません。

 

 文脈を読みわけるちからを養わねばならないのです。そのためには、一般的に考えて、あるていどの時間を要します。

 

 教室では、生徒さんがたに、一文ずつ、逐語的に訳してもらうやりかたをとっています。

 

 なぜ逐語訳(文章のなめらかさはいったん度外視して、一語ずつをとにかく正確に訳していく方法)をとるかというと、これは、ある種の罠に陥らないようにするためです。

 

 といいますのも、現代文の得意な生徒さんですと、あるていど、「フィーリング」で読めてしまうかた、「なんとなく」の内容なら把握できてしまうかたがいらっしゃるんです。

 

 しかし、いざ設問を解きにかかると、そこで読解の求められているのは正確な文法知識なしには手も足もでない部分であることがひじょうに多いのです。

 

 たとえば、

 

「今はこの世のことを思ひたまへねば」

 

 この「たまふ」が、なんとなく敬語っぽいな、尊敬語っぽいな、というところまでは推測がきく方も多いでしょう。しかしそれはまちがいなのです。「たまふ」には二種類あって、これは謙譲語の「たまふ」、下二段活用のほうの「たまふ」なのです。

 

 それが見わけられないと、たとえば、「尊敬語っていうことは、主語はえらい人なのかな……」などと、「一見読めているっぽい誤読」のほうへと向かってしまうのです。

 

 これはあくまで一例ですが、このような事態をさけるために、塾では逐語訳をおねがいしています。

 

 わたしが一文一文、その生徒さんの進度や必要に応じた解説をいたしますので、どうか生徒さんにおかれましては、あまさずメモをお取りください。

 たくさんプリントに書き込みをしてください。

 あいまいな点はなんでも質問してください。

 

 そして、家に帰ったらその文章をひたすら音読してください。

 

 音読しながら、意味がしぜんと頭に再生されることをおたしかめください。もし、「ここどういう意味だっけ?」というところがあれば、ためらわず、後日わたしにお尋ねください(あるいは、ご自分でお調べいただいてもけっこうです)。

 

 その日だけでなく、翌日からも、十分、十五分ていどでかまいませんから、かならず毎日、音読の時間をつくってください。

 

 おなじもの(前回の授業のプリント)を、何度も何度も音読してください。

 

 できるだけ高速で読んでみたり、情感を込めて読んでみたり、いろいろな読みかたを試してみてください。

 

 毎日、かならず毎日です。でなければ効果はでてきません。

 どんなに忙しくても、疲れていても、どんなに短時間でもかまいませんから、かならず、毎日つづけてください。

 ひと月くらいもつづければ、古文をそれほど苦もなく読めていることに気がつくはずです。単語帳を開いたり、敬語の種類を整理したりしはじめるのは、それからです。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月27日 13時57分

ベンキョウについて

 講師の八柳です。

 たまにはまともな塾の先生らしく、「勉強」のことでも書こうかとおもいます。

 それにあたって、ふたつの勉強をわけて考えさせてください。学校の勉強と、そうでない勉強と。

 後者の勉強こそ、わたしは、生きていくよすがになるようないとなみだと考えています。

 

 それは、あなたというひとに生きていくちからを感じさせてくれるものについて——昆虫でも魚でも、野球でも電車でも、戦闘機でもマインクラフトでも、推しのアイドルでも——どうすればより深く知ることができるのか、それをつねによく思考しながら、理知的に、かつ情熱的に、徹底的にきわめていくなかで、じぶん自身をもがつがつ変化させていく。

 

 すなおなおどろきや、知恵熱のでるような思索や、痛みをともなう自己破壊を数多く経験しながら、世界を、そしてあなた自身をより微細に、複雑に、明晰にとらえられるようなあなたになっていく。

 

 ものすごく野蛮で、過酷で、おそろしい、けれどもきっとあなたに自由を、ということは幸いを、もたらしてくれるにちがいないいとなみです。

 

 わたしはこの勉強を習慣とすることによってどうにかこの歳まで生存してきました。これからもつづけていくでしょう。

 

 これにくらべれば学校の勉強は、なんということはありません。ただの作業です。

ですからわたしは、これを「ベンキョウ」と呼ぼうとおもいます。今回、おつたえするのはこの「ベンキョウ」のやりかたです。

 

 

 

 

 みなさんいつもベンキョウお疲れさまです。

 学校で五時間も六時間も授業をうけてから、塾にまできてあれほど熱心に読解問題や作文の練習をこなしてくれているみなさんに、わたしは、こころから敬意を表します。

 もしわたしがおんなじことを義務づけられたら、三日坊主になる前に脱走してしまうでしょう。

 

 みなさんのうち多くのかたは、週に一度、二時間の授業を受けてくださっていますね。

 それだけで国語の成績が上がるかというと、上がると言いたいのはやまやまなのですが、じつは、なかなかむずかしいところなのです。

 

 家庭学習が不可欠なのです。

 

 そこでみなさん、まずは教室でしかやれないことと、家でこなしたほうがよいこととをわけて考えてみてください。

 

 教室でしかやれないこと、その筆頭として挙げられるのはたとえば、作文・小論文・記述答案の添削です。

これはご家庭ではむずかしいでしょう。

お書きになったものがあれば、ぜひ、わたしにお見せください。

そのうえで、いっしょに討議いたしましょう。

作文や小論文であれば、「どんなことが書きたかったのか?」

記述問題であれば、「どこをどう読んでこの答えにたどりついたのか?」

 あなたの考えを、わたしにお聞かせください。

それにもとづいて、わたしは改稿案をご提示いたします。

 

 

 気がかりな点について、すぐに質問ができるのも教室にいることの利点です。

 こちらでご用意した課題についてはもちろんですが、家で読んでみて納得のいかない参考書や問題集の解説、取り組みかたのわからない学校の課題、模試やテストの直しなど、ベンキョウにかんする疑問でしたら、どんなささいなことでも、ためらわずにぜひご相談ください。

 

 わたしは他のあらゆる分野についてはまたとないほどのぐずですが、割り算ができなかったり、大谷翔平を知らなかったりして生徒さんにからかわれるのも茶飯事ですが、国語のことについてなら、多少はましなこともいえるはずです。

 

 大学受験生までのみなさんが疑問におもわれるようなことについては、手も足もでないということは、まずありません。かりに即答のできないようなことがあれば、きちんとしらべてからお答えします。

 

 頼りなく見えるでしょうが、どんどん頼ってみてください。

 

 それでいよいよ「こいつはだめだな」となったら、そのときは、しかたがないので退塾をご検討ください。

 

 

 質問は、寺子屋式教室など複数の生徒さんがべつべつのことをしていらっしゃるクラスではすぐに対応できないこともありますが、いつでも、いくつでもしてください。

 あいまいなところは、ほったらかしにしないでください。

 

「こんなこと聞いていいのかな」

 

 などという心配は、無用です。

 わたしは、みなさんが何度おなじところで間違えようと、どれだけ長時間考えこんでしまおうと、叱ることもなければ、イライラすることもありません。

 

 ベンキョウは、たかだかベンキョウではないですか。

 

 そしてわたしもあなたも、ひとりの人間ではありませんか。

 

「さっき説明してもらったばかりなのに、わるいな」

 

 こんなふうにもおもわないでください。

わたしも、口下手でほんとうに申し訳ありませんが、すこしでも理解のきっかけをつかんでもらえるよう、わたしなりに工夫してご説明いたします。

 

 

 

 さて、教室での二時間は、朱のはいった文章の書きなおしやその講評、質疑応答を交えての記述答案の作成などをしていると、じつに、あっというまにすぎてしまいます。

 

 ここからは、家庭学習の領分です。

 

 もしほんとうに、国語の成績を上げたい生徒さんがいらっしゃいましたら、わたしに、次回の来塾までのスケジュールについて、こと細かにご教示ください。

 

 一日に、どれだけの時間を国語の勉強に割けるのか、それを「だいたい毎日三十分くらい」などとおおざっぱなかたちでなく、「月曜は何々の予定があるから二十分くらいで、火曜日は部活が休みだから一時間くらいはとれて……」などと、その日ごとにつぶさに教えてください。

 

 そのうえで、大目標とはべつに小目標を立てましょう。

 

 大目標とは、たとえば模試の偏差値をこのくらい上げたい、つぎのテストで何点とりたいなどといった、その達成にある程度の時間を要する目標のことです。もちろん志望校なども。

 

 それにたいして小目標とは、週ごとの目標です。

今週は「枕草子」を完璧にしたいとか、「夢十夜」をしあげたいとか。

そうすると、その週の一日ごとにやらなければならないことが見えてきます。

この日はワークを何ページまで終わらせて……。

この日とこの日は復習にあてられる……。

この日は時間がないから電車で作者にかんする知識でも覚えようかな……。

 

 

 こういったことを、いいですか、わたしが一方的に提示するのでなく、いっしょに考えることが大切なんです。

 

 

 計画の立案や修正をとおして、みなさんがたには、自分自身のことをより深く考える習慣を身につけてもらいたいのです。

 

「ぼくは忘れっぽいたちだから、復習に多くの時間を割くべきだろうなあ」とか、

「わたしはちょっとむりな目標を掲げすぎるところがあるのかも」とか、

「思った以上に集中がとぎれやすかったなあ」とか。

 

 いざベンキョウを実践してみて、感じたことはなんでもわたしに教えてください。

 より精度の高い計画を立てるため、いっしょに話し合いましょう。

その過程で身についた自己自身についての知恵は、きっと、将来「勉強」をはじめるときの、無二の味方になるでしょう。

 

 

 

 

 心構えについてお話しします。

 

 

 ベンキョウは、みなさん骨身に染みてわかっていらっしゃるとおもいますが、苦痛です。

 退屈です。

 

 そういうものなんです。

 

 勉強がつまらなく感じられる場合、そこになんらかの問題がひそんでいることが多いものですが、ベンキョウのほうにかんしていえば、つまらなくってあたりまえです。

 

 そういうものだとわりきって、ただたんたんと、計画通り、日課をこなしつづけてください。

 

 ひと月くらいもつづければ、「やらないとなんか気持ち悪い」状態になるのではないでしょうか。

 そうなればしめたものです。

 ベンキョウは、あなたの生活の一部となったのです。

 スマートな雰囲気のあることばを用いれば、「習慣化」というやつです。

 ベンキョウに、意義など要りません。お腹がすいたらご飯を食べる。眠たくなったら寝床にはいる。それとおんなじです。

 

「こんなことして将来なんの役に立つんだろう?」

「ぼくの人生にとってどんな意味があるんだろう?」

 

 そう考えてしまう気持ちはよくわかります。ですが、それはベンキョウにおいてはたんなるさまたげです。

 

 どんなことでも、あなたしだいではじゅうぶん役に立たせられますし、そもそも益・無益だけでものごとのなんというか価値のようなものをはかろうとする発想には、わたしは手放しでは賛同しかねますが、それでも、理不尽な苦行のさなかに漠然とした不満の感情が、そういうことばをとって頭のなかで暴れまわるという事態なら、わたし自身も何度も経験してきています。

 

 ですが、これは勉強ではありません。

 ベンキョウなのです。

 つまらないものなのです。たかだかこれくらいのものの出来不出来が、かけがえのないあなたという存在の生のありかたを左右しうる一要素となっているこんな世界、こんな社会に生まれてきたことが運の尽きです。

 あきらめて、よけいなことは考えず、やると決めた課題に集中しましょう。

 

 よけいなことは考えない。

 これはベンキョウの鉄則です。

 

「テストで〇〇点とったら△△を買ってもらえる」

「この課題が終わったらyoutubeが観られる」

「終わらなかったら叱られる」

 

 こういう動機づけのしかたは、もちろん一概に否定し去ることもできませんが、わたし個人としては、あまり好ましいものとは思えません。

 

 期待であれ、恐怖であれ、なにか先々のことに思いをはせているあいだ、いまげんに取り組んでいる目の前の課題からは注意が逸れてしまっています。

 

 これは能率を大いに下げるでしょう。

 

 よけいなことを考えてしまったら、「あっ、いまよけいなこと考えてた」「気が散ってるな」と気がつけるようになってください。

 そんなじぶんを責めるのでなく、じっと冷静に観察してみてください。

 何度もそうして注意をひきもどしているうち、なにかがわかってくるでしょう。

 

 

 

 自責。これも大敵です。

 

「ぼくってあたまがわるいかも」

 

 こういう不安は、ひとをベンキョウから遠ざけます。

 まちがいを、認められなくさせてしまいます。

 

 不安に憑かれると、ひとは、なにか指摘されたとき、かーっと言いわけしたくなってしまいます。解説に、耳をふさぎたくなってしまいます。誤りを、なかったことにしたくなってしまいます。

 

 

 つらいですよね。日ごろ、することなすこと数字で評価される世界を生きているのですもんね。

 それは、ベンキョウができない=だめなやつ、という思いこみがそだってもしかたないですよね。

 

 でも、大丈夫ですよ。どうか安心してください。

 

 ベンキョウは、しょせんベンキョウです。

 

 できないからといって、あなたのあたまがわるいわけではありません。

 まして、人間性の問題などではありえません。

 

 あなたの話を聴かせてください。ベンキョウを、大げさにとらえすぎてはいませんか?

 

 勉強のことを考えてみてもいいかもしれませんね。

 

 あなたを「生きたい」という気持ちにさせてくれるものはなんですか?

 

 なんでもいいんですよ、ゲームでも、アニメでも、マンガでも。

 

 それとくらべると、いまあなたを苦しめているベンキョウは、あまりにもちっぽけなものに思えてきませんか?

 

 人生におけるベンキョウの濃度を、薄めてしまうのです。石ころを蹴とばすのに、大きな意味が要りますか?

 

 どうしたらよけいな不安なく、たんたんと集中して日課をこなしていけるのか、いっしょに考えていきましょう。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月24日 15時45分

作文の授業について

 むかし、生徒のみなさんはご存知ないかもしれませんが、淀川長治さんという人がいました。

 映画評論家で、『日曜洋画劇場』という番組の解説役を務めていらっしゃいました。

 お話の締めくくりに、きまって「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」とおっしゃるので、「サヨナラおじさん」と親しまれていました。

 

 

 このひとには、どこで読んだかわすれてしまいましたが、ある信条のようなものがありました。

 それは、どんな映画も決してけなさない。なにかひとつはかならずよいところを見つける、というものです。

「あの女優の脚の組みかたがいい」とか、「あそこのせりふ回しがおもしろい」とか……。

 

 

 わたしが、みなさんの作品を読ませてもらうにあたって、大切にしているのもこのことです。よいところを見つけます。なおしてみてもいいのかも? というところに関しては、そっと、朱ペンで原稿に書き添えてお返ししています。

 

 

 よいところ、とはどんなところでしょう?

 

 それは、そのひとの作品だけがもつ、独特の味わいです。

 

「いかにもこのひとらしいなあ」という、文章や、構成、目のつけどころなどの、「お手本」からのズレのことです。

 

 技術や巧みさによって醸せるものでなく、むしろ、そういったものをすべて手放した先にあらわれる、そのひとだけの声や身体の躍動の痕跡です。

 

 今期の作文教室の生徒さんがたの作風について、ちょっとここでふれさせてください。

 

 

 

 

 Sくん。

 このひとは、入塾以来、ほぼずっとひとつのながい物語を書きつづけてくれています。

 ゲーム「マインクラフト」に材をとった、魅力的な登場人物たちはクラスのメンバーにもすっかりおなじみですね。

 みなさん「マインクラフト」ってご存知ですか。

 キャラクターはみんな四角い顔をしていますね。

 だからSくんは、ある場面で、「目をまるくする」という慣用句を、「目を四角にする」ともじってくれました。

 こういう愉快なことば遊びは随所にみられます。かれの文体の特徴ですね。

 時おり、トリックスター的なキャラクターが物語の筋に関わりなく乱入し、ナンセンス、かつユーモラスな饒舌をくり広げてシリアスな展開をぶち壊したりもします。

 いきなり漫才がはじまったり、メタ的な視点がはいりこんできたり……。

 毎回新しい書きかたを実験してくれています。すばらしいですね。

 

 

 

 

 A.Sくん。

 最古参のメンバーで、クラス随一の達者者でしょう。

 作品は、寓話からSFからミステリーから青春小説ふうのものから……。とにかく多岐にわたります。

 そして毎回、さまざまな文体を使いわけてくれるのですが、それでもご本人特有のユルさやのんびりした感じは残りつづけていて、それが実にいい味わいをうんでいます。

「ああ、Aくんの作品だなあ」という感じがするんですね。

 最初期の作品は怪獣同士のバトルだったり、まぬけな貴族の失敗談だったりして、鑑賞会ではクラス中爆笑させていたものでしたが、このごろの作品ではある種の深まりというか、一筋縄ではいかないような、思想性の片鱗がうかがわれるようになってきました。

 文章もグッとひきしまってきましたね。

「こんなことば、よく知ってるねえ」というむずかしい語彙も多用されるようになってきました。

 それでいて、あのくつろいだユーモアの感覚は依然作品全体にただよっているのですから、ご本人もあまりカタくなりすぎないよう、深刻な雰囲気をつくりだしすぎないよう、かなり気を配ってくれているのでしょう。 

 お見事です。

 

 

 

 

 A.Kくん。

 彼の持ち味はなんといっても正確さへのこだわりです。

 旅行や休日の過ごしかたなど、事実にもとづいた作文を書いてくれることが多いのですが、何月何日の何時になにをして……。これこれの映画を観て……。どこどこの温泉へ行って……。

 こういったことを、きちっきちっと書きこんでくれます。

 事実をたんたんと、つらねていくスタイルなんですね。それが小気味よいリズムをうんでいます。

 そこに時おり、たとえば『移動教室』の肝試しのくだりなど、「叫びながら全力で館内を五周した」こういう、きわめていきいきとした描写が飛びこんでくる。

 そのギャップに、ドッとクラスのみんなも沸きます。

 秋田へ旅行したときのことを書いてくれた作品などは、お見事でした。

 出発前の空港のくだりだけで、八百字ちかく書いてしまったのです。

 「長すぎたかな」と、かれは心配していました。

 いいんです。それでいいんです。それこそが、いいんです。

 構成がどうの、配分がどうのということは、すくなくとも第一稿を書くときは、まったく重要でないことなんです。

 一行ですませることだってできなくはないただの空港でのたいくつな待ち時間に、それだけの言語的な現実を見つけることのできた、書く人としてのあなたはすばらしいんです。

 最初は二百文字埋めるのも嫌がっていたのに、いまではめきめき腕を上げ、四枚、五枚は当たり前に書いてくれるようになりました。クラスいちばんの旅行記の名手です。

 

 

 

 

 Mくん。

 とにかく器用な物語作家です。

 宗田理さんの「ぼくら」シリーズを愛読していて、そのオマージュ作品を書きつづけてくれているのですが、こちらがなにかリクエストをしてみると、それをすぐさま反映してくれるんです。

 たとえば、「この森田っていうキャラクター、ちょっと影が薄いんじゃない?」といったら、すぐにその森田を主役としたお話をつくってくれるんです。

「さとうっていうひと、どんな性格なの?」こう聞いてみると、すぐにさとうの人がらが、わかりやすいだけでなく、おもしろく読者に伝わるような描写をチャッとさしこんでくれるんです(さとうの話はとっても長くて、みんな眠ってしまいます)。

 文体にかんしてもまちがいなく、固有の魅力をもっています。熟語や慣用句の多用、といった知的で品のよいところと、オノマトペの乱舞のような、元気いっぱいなところとが、うまーく調和しているんです。

「Mくんの声がする文章だなあ……」としみじみします。

 物語の舞台も文化祭、体育祭や、時たま時事的な問題についてもかなり大胆なあつかわれかたをしていたり、読んでいるほうを飽きさせないくふうが随所にされているんですね。

 お金を支払う場面で、主要キャラクターのひとり・陽子が、「えー、新札使うのやだ」。こういうせりふをサラッといれてくるところ、ほんとうに巧みですねえ。このたったひとことから、陽子の性格や生活が、いろいろにイメージされますもんね。これからの作品も楽しみです。

 

 

 

 

 Nくん。

 最近入塾してくれました。それできのう、はじめての鑑賞会だったのですが、まあー、舌をまきました。

 なんという、飄逸とした文章!

 お姉さんたちといっしょに、ある作家にまつわる名所めぐりをしたときのことを書いてくれたのですが、語りがとにかくおもしろいんですね。

 ご本人は、海外の作家の、ある有名なファンタジー小説を愛読していて、その影響もうけているようなのですが、それだけにはおさまらない、さらさらと、肩のちからの抜けたユーモアが全編にちりばめられています。 

 新幹線でスマホゲームをしていたとか、どこどこのどういうホテルに泊まったとか、恐竜博物館に行かせてもらえなかったとか、あるいは、バス停まで歩くのに骨折の治りきらない足が痛かったとか……。

 一見なんてことのないエピソードの数々も、Nくんの筆にかかると思わず笑ってしまうような小話に変わります。

「これ、なんの話?」「この一文、要る?」っていうところが、ひとつもないんですね。

 旨味が凝縮されているんです。

 どのくだりもかならずオチがついていて、どの文にもかならずひとつ、「くすり」としてしまうようなワードのふくまれる、かれのセンスが光ります。

 最後、台風で新幹線がとまってしまった話など、じっさいその時はかなりしんどかったはずなのに、ここもまたユーモアのちからで「くすり」をもたらすエピソードに変えてくれました。

 書くことで、ある現実のあらたな側面を見いだしてくれたのです。すばらしい知恵です。わたしなどなにごとも深刻に考えすぎてしまうところがあるので、ぜひ見習いたいとおもいます。

 

 

 

 

 

 ちょっとのつもりが、だいぶ語ってしまいました。基本メンバーは、現在この五名です。

 

 かれらの書きぶりを拝見していると、「おっ、来たな」と思うことが多々あります。

 

 書いたものが、ある一定の分量に達したとき、なお書きつづけようとしていくと、なんというか、離陸のようなものが起こります。

 

 書く行為が、書きたいことを追い越すときがおとずれるのです。このときは、もう書き手のあたまには、意図や、たくらみのようなものはありません。あったとして、それはあまり重視の対象にはなっていません。

 

 頭でことばをどうにか捻りだすのでなく、書いたことばが、つぎのことばをひとりでに呼んでくるような状態がおとずれるのです。

 

 ひとたびこうなると、書くことはもうほとんど自動的な行為となります。

 

 書いたそばから、つぎの一文がうかんでくるのです。まるで、足もとだけがつかの間凍る湖の上を走っていくようなものです。

 

 大丈夫です。つじつまは、ひとりでに合っていきます(Sくん、たとえば今回の作品のバトルシーンが、そうでしたね)。

 

 書くわれわれよりはるかに多くを、はるかに深く、ことばは考えてくれているようなのです。

 

 よけいな迷いはすて、いまはとにかく走りつづけてください。書きつづけてください。

 わたしはそれを言語や非言語で、おつたえするためにそこにいます。

 

 

 

 わるい文章、そういうものがもしあるとすれば、それはつぎの日、読みかえしてみて顔が真っ赤になってしまうような文章です。鑑賞会から、逃げだしたくなってしまうような文章です。

 

 ギリシアの神話に、こんなお話があります。

 

 むかしゼウスという神さまが、じぶんたち神と人間とを区別しようと考えました。

 

 プロメテウスという名前の巨人が、「それはおれにやらせてくれ」とゼウスにおねがいし、了承を得ました。

 

 プロメテウスは、大きな牛をころし、二つのかたまりにわけました。

 ひとつは肉と内臓を、食べられない皮でくるんだものでした。

 もうひとつはごつごつの骨のまわりを、おいしそうな脂でコーティングしたものでした。

 

 それを用意したプロメテウスはゼウスを呼んで、二つのかたまりのうち、どちらかをえらぶよう求めました。

 

 プロメテウスの考えはこうでした。

 

 おれは、人間たちによいことをしてやろう。ゼウスは見かけにだまされて、きっとうまそうな脂のほうをえらぶだろう。けれどもほんとうは、それは食べられない骨なのだ。

 そして人間たちは、肉と内臓を手にいれる。それはおいしくて、栄養たっぷりなのだ。

 

 ゼウスはこの、プロメテウスのたくらみをほんとうは見抜いていました。

 けれどもあえてだまされたふりをして、脂に装われた骨のほうをえらびました。

 そのかわり、人間たちから火を取りあげました。

 

 このとき以来、人間は、えらびとった肉や内臓のように、死ねばすぐくさって消えてしまうようなさだめとともに、生きることとなったのです。

 

 

 

 

 

 みなさん、文章において、骨とは、脂とは、肉や内臓とは、いったいなんだとおもいますか。

 くさる文章と、くさらない文章とのちがいはなんでしょう。

 

 よい作品をしあげるための、いちばんの方法は「書きなおし」です。

 できれば二度ほど、書きなおせるといいでしょう。「修正」するのでなく、「改造」するのだとでも考えてみてください。

 

 仮にわたしたちの書いたものが翌朝にはもうくさってしまっていたとしても、われわれは、それをふたたびよみがえらせることができます。

 わるくなった肉のかけらを、注意ぶかく取りのぞいてみてください。

 

 わたしもあとでじぶんの書いたものをなにかのきっかけに読みかえしてみることがあったりすると、「どうしてここで黙れなかったのだろう」と感じることがよくあります。

 

 つけ足すことよりも、けずることを意識してみてください。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月21日 13時41分

学歴について

 講師の八柳です。

 わたしはとにかくなにかするたびぐずだのろまだとまわりをやきもきさせずにいられない子どもでした。

 

 小六のとき、卒業生入場の練習で、右手と左足、左手と右足をピシッ、ピシッと狂いなく連動させながら胸を張って見ばえよく行進しなければいけないのに、わたしだけどうしても右手と右足、左手と左足が同時にうごいてしまうばかりか、数歩進むうち背中もまるで湿気にやられたボール紙のようにくしゅんと丸まってきて、それが何度もくり返されるので、二日酔いで学校にくることもざらだった監督役の担任教師をひどくいらだたせたものでした。

 

 わたしは全卒業生の目の前で何度もその場を往復させられました。

 すると、いったんはできるようになるのです。

 しかしふたたび列に加わると、なぜかまたおなじような醜態をさらしてしまうのです。

 ふざけているわけでもなかったはずですが、教師からすればおちょくっているように見えたのでしょう。わたしは個室に呼ばれ、熱血指導をたまわりました。

 

「やくざものになる!」

 それが教師の見立てでした。

 

 また、これは小学校にはいりたてのころだったかもしれませんが、「おえかき」のことはよくおぼえています。

 

 あるとき、「春」をテーマにした絵をかきなさいという課題がだされたのでした。

 

 わたしは、色をぬるのが好きでした。画用紙にかがみこんで、手をうごかすのが好きでした。わたしにとって、絵を描くことはしあがりの問題でなく、一種の運動競技のようなものでした。わたしは、クレヨンが好きで、まあるいかたちに惹かれていて、そして、目をつけたのが黒色だったのはおそらくほんとうにたまたまでした。

 

 後日、タンポポ、チョウ、ピクニック、といったかわいらしい春の風物にならんで掲示されたなぞの暗黒球体を見て、参観におとずれた母は卒倒寸前でした。

 家に帰ったわたしは母の厳重な監視下で、泣きながら「春のようせいさんのお城」を描かされました。

 

 

 

 こういうことが毎日のようにあったので、中学にあがるころにはもうすっかりくたびれて、人生に対してどこか投げやりな気持ちになっていました。どうせなにをやったってうまくいくはずはないとさめた傍観者のような態度をとっていました。

 父親は、わたしにまっとうなビジネスマンとしての道を歩んでほしがっていたようですが、そのためには成績があまりに壊滅的でした。

 

「てめえ、あたま、わるいんだから、やれ!」

 

 ぼこぼこ怒鳴りつけられながら、毎晩数学のドリルを解かされましたが、わたしはそのうちに、オロチ退治でもありませんが、焼酎のまわりはじめた父の目をぬすみ、解答冊子を丸写しにする、という、きわめてプリミティブな抵抗戦略をとるようになりました。

 

 急に正解を連発しはじめた、しかし試験は変わらず赤点ばかりのわたしに対し、父はとうとう、なんにも言わなくなりました。

 冊子の答えをうつすとき、ほどほどに誤答もまじえてほんとうらしさを演出する、それだけのずるがしこさもはたらかない、ただずるいだけのくそがきを息子にもった現実が情けなく、受け容れがたかったのでしょう。わたしはいまでは父とは疎遠なのですが、この件にかんしてはこころからかれに同情しています。

 

 

 

 わたしは読書をたくさんし、空想にたくさんふけりました。そして、理数が0点でもはいれる公立高校にすすみました。

 

 

 

 そこでの生活は、わるいことばかりでもありませんでしたが、「なんだかわからんなあ」ということもいろいろありました。

 あるときすぐそばの河川敷で、一年生と三年生とが決闘をおこなうという噂がながれてきました。野球部の練習の最中椅子の角でなぐられた仲間のしかえしをするために、下級生のうちとりわけ威勢のいい気性の人びとが、メリケンサックなどをつけ先輩を呼びだしにいったというのです。

 おおぜいの野次馬たちが廊下を走っていきました。

 そのときさっさとお家に帰ってしまったわたしは、後日、図書室で本を読んでいたらふいに胸ぐらをつかまれました。そして郷土史の棚のかげに連れこまれました。

 

「調子こいてんじゃねえ!」

 

 背のたかいゴールキーパーの男はいちおう司書さんに聞こえないくらいの声量で威嚇してきました。

 そこでわたしは、とくに他意もなく引っ込み思案にぽやぽやしているだけのわたしの態度を、何人かのヤンチャものたちが「あいつなまら気取ってるべや」「なんますかしてるべや」などと誤認して、こころよからず思っているのをはじめて知りました。

 

 わたしは、おたおたしてしまいました。

 

 そのゴールキーパーの男には、個人的なしたしみを感じていました。

 

 わたしはかれがお弁当の時間、シュウマイや、唐揚げや卵焼きといった大盛りのおかずを差しおいて、いつも、お魚のかたちをしたプラスチックの容器から一滴二滴白飯のうえに醤油をたらし、そのままはふはふかっこむような食べかたをしているのを知っていました。

 

 醤油たらしご飯、それは、わたしにとって小学生のころ行儀がわるいからやめなさいと母に規制されて以来ひさしく味わえていなかった禁断の美味でした。

 

 それでわたしは、ある日の昼食時、その白飯の食べかたをするあの男をやや遠巻きに発見し、ああ、ここにも同志がいたのだと、異国で同郷人を見かけたときのように、ほんのり活気づいたような気持ちになっていたのです。

 

 わたしはその旨を、いまにも殴りかかろうとするかれに告げました。

 

「醤油たらしご飯、おいしいよね」

 

 かれの目は、白黒しました。

 

 

 

 

 わたしは前にもすこし書いたかもしれませんが高校二年の終わりくらいにあこがれの先生が、都の西北にあるという有名な大学で授業をもつことを知り、そこで小説の読みかたや、書きかたまでもじきじきに教わることができるという情報を手にし、それではじめて、人生でほんとうにはじめて、本格的な勉強というものを開始しました。

 

 上京をする、それもだれもが知っているような大学に通うために東京でひとり暮らしをするなどという発想は、それまでのわたしにはまったくありませんでした。

 

 ただなんとなく地元のまあ数学はぜったいにむりなので三教科で受けられる私立大学にでもなんとなく入って、なんとなくそこを出て、なんとなく就職をしてなんとなく生きていくのだろうと、なんとなくおもっていました。

 

 どうなったっていいとおもっていました。なにをやったってうまくいった試しがありませんし、そのことでいつも叱られてばかりだったからです。

 そもそもわたしは、生まれてくるときでさえ、へその緒を首に巻きつかせなければ産道を通りぬけても来られなかったのでした。

 しくじりつづきの人生で、日々は、不可解な試練のつらなりでした。他人はみな聞く耳もたない異郷の門番でした。

 

 

 

 そんなわたしが、ひとたび有名大学に受かってみると、たちまちインテリあつかいをうけるのです。進学校ではない母校では、横断幕ものの騒ぎでした。あの高校からわたしの大学へ現役ですすんだものは、おそらく、開校以来わたしが最初でした。

 とりわけわたしの無惨に荒廃した理系半球しか観測したことのなかった物理や数学の教師らにしてみれば、これはまさしく驚天動地の戦果であったようでした。

 

 

 わたしは、ここがほんとうに厄介なところなのですが、ひとに見直される快感を知りました。それまでじぶんをしっしとぞんざいに追い払っていた手のひらが、大学名を告げるなり、ひっくり返って卑しく擦りあわされるさまをニターッと観察するのが、気持ちよくってしかたありませんでした。

 

 親戚たちのあいだでは、あらたな解釈学が成立しました。

 それまでは「ぼんやり」「からっぽあたま」の象徴だと見なされていたわたしの無表情は、「深謀遠慮」「哲学的な思索」のあらわれとして解されるようになったのです。

 

 わたしは、味を占めました。

 前に引いた『貝の火』という物語で、うつくしい宝玉を手にしたとたん威張りはじめるあの仔兎のホモイの気持ちが、わたしにはよくわかります。

 

 わたしは長期の休みのたび母校をおとずれるようになりました。英雄として、凱旋するのが至福だったからです。

 かつての同級生らと夜の公園でしゃべっているときに、警官が職務質問しにくると「しめたものだ」とおもいました。身分を証しだてるものとして、学生証を示すことのできるのが誇らしかったからです。

 

 警官は、「おっ」と言いました。

 友だちはみな、「おおーっ」と囃しました。

 

 それがまた、わたしをぞくぞくさせました。

 

 

 

 

 いっぽうで、わたしは焦りはじめてもいました。

 

 当然のことですが、大学では、わたしよりはるかに優秀な頭脳、潤沢な文化資本にめぐまれた人びとが、格好のよいカタカナのことばなどをいっぱいに散りばめて、フーコーがどうの、ドゥルーズがどうのときわめてあたまのよい御談義に花をさかせていたからです。

 

 わたしは、その低質なまねごとに腐心しはじめました。

 図書館にいって、じぶん自身の問題意識がなんなのかもよく考えてみないまま片っぱしから思想の書物を読みまくり、いっぱしに、カントがどうの、ヘーゲルがどうのなどと衒学的なもの言いを弄するようになりました。

 フロイト全集も読みきって、議論の相手が、なにかわたしに都合のわるい意見をのべるたび、

 

「ああ、はいはい、『投影』ね……」

 

 などと、齧りたての心理学のことばを動員し、相手の正論をなかったことにしてしまうのでした(これこそ未熟な防衛機制というものでしょうが)。

 なぜなら、「インテリ」に列せられてはじめてひとさまの承認を得ることのできるようになったわたしは、だれよりも「あたまのよい」存在でなければならなかったからです。

 わたしはもういちど、あのばかなじぶん、なにをやっても人びとの否定や嘲笑や罵倒ばかりを誘いだしてきた学歴なしのみじめなじぶんに逆もどりすることだけは、死んでも避けなければならないとおもっていました。

 

 わたしにとって、その時期に身につけた思想はどれも、本心ではつねに離反を画策しているよそよそしい護衛部隊のようなものでした。

 本音を話せばかならず笑われるものと信じきっていたので、なにを言うにもニーチェがどうの、ハイデガーがどうのと、いちいち箔づけをしなければならないありさまでした。

 

 わたしのことばは、死んでいました。

 

 わたしはそれでかまわないとすら思っていました。みんな、わたしにことばを求める人たちは、ばかなわたしの思いつきより、わたしの知っている思想史上の偉人の箴言などを聞きたいのだと思いこんでいたからです。わたし自身でなく、ひとりの「インテリ」の金言こそが求められているのだと感じていたからです。

 

 学びにとぼしい時期でした。いろいろな書物にふれてみたって、こちらの視野がせまくなっているのだから当然です。

 

 あるときわたしは友だちが、みんなで居酒屋に行っているあいだ、ひとり家で『意味の論理学』というむずかしい本を血眼に熟読していました。

 それで、さっぱりわからないままのわたしを差しおいて、翌朝、顔のむくんだ友だちのIくんがその本をあつかった討論で最大級の讃辞をおくられていたりすると、ぽろぽろ泣きたくなるのです。

 

「なんだ、こいつ! きのうさくら水産に行っていたくせに……!」

 

 帰宅して、ベッドにもぐりこむと、はっと思いあたるのです。そうだ、あいつの親、たしか大学の先生じゃん!

 それで二重らせんの残酷さに思いを馳せはじめるのです。理科なんか、小五くらいで投げだしたくせに。

 親に電話をかけたくなるのです。なぜあんたらは、そろいもそろって高卒なのかとねちねち責めたくなるのです。いまからでも遅くないから医者になれ、大学教授になれと。

 雷にうたれて数学の天才になったという男の話を読み、嵐の夜、下井草一帯をうろつきまわったこともありました。

 

 

 

 

 

 

 ずいぶん長くなってしまいました。

 

 最後にこれだけ言わせてください。

 若いみじめなわたしにとって、学歴は、それを振りかざすことではじめて人としての発言をゆるされる、仰々しい銃器のようなものでした。

 エリートとは、いつでもだれかに話を聴いてもらえるうらやましいひとたちのことでした。

 知識とは、真実とは、たとえ価値のないわたしの口からでたものだとしても、熱心に耳を傾けてもらえるはずのなにかのことでした。

 

 あるひとが、エリートの知らない「裏の真実」のようなものに目の色を変え、のめり込んでいくとしたら、それはなぜなのでしょう。

 

 わたしはこういうことばを思いだします。

 

「一人の人間が一つの真実を自分のものにして、これこそわが真実といって、それにもとづいて自分の人生を生きようとするとたんに、彼はグロテスクな人間に化してしまい、彼が抱きしめる真実も虚偽になってしまう」(シャーウッド・アンダソン『ワインズバーグ・オハイオ』小島信夫・浜本武雄訳)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月20日 15時22分

興味について

 講師の八柳です。

 いまでも売られているのかわかりませんが、わたしが子どものころ、スイカバーというアイスが流行りはじめていました。

 

 ほんとうに、切りわけたスイカさながらのかたちをしていて、スイカ味、ともなんとも言いがたい赤い身の部分と、ソーダ味のする緑色の皮の部分、そして、ちいさないくつものチョコレートの種から成る、愉快な棒アイスでした。

 

 この商品の出はじめのころ、わたしは札幌市内の幼稚園にかよっていました。

 園長は常時つま弾いているアコースティックギターとチャーミングなちょび髭を特徴としたふくらかな中年男性で、風変りな経歴の持ちぬしだったらしく、掲げた教育方針はおそらく他の園にくらべていくぶん独特なものでした。

 

 たとえばわたしらは、大人たちを「先生」と呼ぶのは禁じられていました。親しみを込め、呼び棄てにするならわしでした。ユミ、とかタカハシ、とか。

 

 わたしはユミとファミコンカセットの貸し借りをしたこともありますし、リビングに、でんとバイクの置いてあるタカハシの自宅にまねかれたこともありました。

 他にもいろいろ、いまでは物議のたねともなりかねないような距離の近さがありました。

 

 その園のたしか年長組に属していたあるとき、細かないきさつはもうわすれてしまいましたが、ミヤマという、オリンピックへの出場経験もあるとまことしやかにささやかれていた先生にともなわれ、わたしたちはどこかへ外出していました。

 

 たぶん夏の日で、帰り道にわたしたちはアイスをひとつずつ買ってもらえることになりました。どれでもいいから好きなものをえらびなさいとのことでした。

 

 わたしはそのとき、なぜだかすっかり苺の気分になっていたので、おぼろげな記憶ですが、「いちごのしずく」とかいう名前の、紅いろの棒アイスをえらびました。

 ところが、他の園児たち全員の手には、示し合わせたかのようにスイカバーがあったのです!

 

 あっ、とわたしは総毛だちました。

 ぎらぎらした、アスファルトの傾斜のうえでした。

 

 わたしはそれまでにも、大人たちに気を揉ませがちな園児でした。

 

 キャンプファイヤーから離脱したわたしを、たくさんの懐中電灯が追ったこともありました。

 隠し芸大会では、控え室からの消失芸を披露して会場をどよめかせました。

 

 そういったこれまでのさまざまなことへの馴染みがたさが、それこそまるで手にしたアイスの棒のような、一本の因果の軸でつらぬかれたようにわたしには感じられました。

 すべてが符合したのです。

 

 世のなかには、スイカバー人間と、そうはなれないはぐれものとがいる。これが、五歳のわたしの頭を占めた、人生ではじめての人生論でした。

 

 わたしは、これからのながい人生が、このスイカバー人間たちとの絶えざる闘争になるだろうことを予感していました。

 そして、そのころはまだ本州に上陸したことさえなかったのですが、この国のどこかに、きっと息をひそめているにちがいない「いちごのしずく」人間との邂逅、そして、神聖な連帯を、ひっそりと切望していました。

 

 

 

 このあいだ、高校生の生徒さんにお話をうかがってギョッとしました。

 いまの世の中には、なんでも一定時間おきに「写真を撮れ」「それを共有せよ」と強要してくる、なんというのでしょう、サービスのようなものが存在しているらしいですね(わたしの理解がちがっていたらごめんなさい)。

 その「強要」というのが、時をえらばず、啓示や召命のようにおとずれるものらしく、ある種の狂熱に駆られたひとびとは授業中でも敬虔なまでにパシャパシャやりだすので、問題になっているらしいのです。

 

 ものすごい時代ですね。

 

 Twitter、いまは「X」というのでしたか、あるいはfacebook、インスタグラム、Tiktok、そういうものについては、わたしも、名前くらいは認知していますが……。

 

「田舎の女子高生の幸福度は、低下していると思います」

 

 その生徒さんはおっしゃっていました。

 

「都会の女子高生が、新宿や、渋谷のようなところへ出かけている様子を、ずっと見せつけられねばならないわけですから」

 

 また、中学生の生徒さんがたなどは、課題のワークに取り組む際、範囲が不明瞭なときなどは「グループライン」に「範囲どこまで?」などと投稿すると、そこに属する数十名の同級生のうち、だれかしらは即座に情報を提供してくれるのです。

 

 そういう様子を見ていると、わたしなどは、つくづく、いまの時代に生まれなくてよかったものだと思ってしまいます。

 

 わたしの学生時代は、もちろん、こういった相互監視網の発達する以前のことでした。

 

 いまでは小学生の生徒さんがたも流暢にデジタルのことばをしゃべりこなしていらっしゃいますが、インターネットというものは、わたしがまさにかれらと同い年くらいのころ、一部の家庭に流布しはじめた秘密の技術で、わたしは友だちに「チャット」の画面などを見せてもらうと、このモニターの向こうがわに、顔も名前も年齢もわからないどこかの人間が、たしかに意思をもって実在しているということが、どうしても信じがたく感じられたものでした。

 

 いま、われわれは、相当にややこしい世界を生きているようですね。

 

 ひとさまにじぶんの私事を、それも適度に虚構をまぶされた私事を知らしめたいという願望が、わたしにもまったく欠けているわけではありません。

 なぜなら、こうしてブログに文章を載せつづけているのも、やはり先史時代の人びとが、洞窟の深部にバイソンやマンモスをえがきつづけたのとは、かなり性質の異なるおこないであるといえるだろうからです。

 

 けれどもわたしは、飽きたらすぱっとやめるでしょう。

 それにわたしは、やみくもに数字を稼ぎたいとはおもいません。だれかに褒められたいともおもいません。

 数字や承認の世界は本質的に、スイカバー人間のつかさどる世界だからです。わたしはそこに、近寄りたくはありません。

 

 はじめから背を向けたのでもありません。いちど混じりこもうとして、挫折したのです。

 その挫折を経てはじめて、スイカバーのみならずチョコモナカもガリガリ君もパピコもヨーロピアンシュガーコーンもぎっしり詰まった棚のなかから、明晰判明なこころのありようで「いちごのしずく」を選びとれるようになったのです。

 

 そして、ひとくちに「スイカバー人間」といって遠ざけていた人びとも、時によってはハーゲンダッツ人間やMow人間、あずきシャーベット人間へと変化しうることを理解できたのです。

 

 人間は、いつでもおなじアイスばかり選んではいられません。

 わたし自身にしてからがそうです。

 

 高二のときのある日の休み時間、陰口大会をもよおしていたクラスメイトのひとりから、ふいに真顔で「てかさ、おまえさっきから調子あわせて笑ってるけどさ、それ、うちらスイカバー人間より、よっぽどスイカバーっぽくね?」こう詰問されたとしたならば、わたしはむしろ、やすらかな誇りすら感じたことでしょう。

 ちょうどアメリカ人の高官に英語力をほめられ、「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」と返した白洲次郎のような心境です。

 

 永続不変のスイカバー人間がいるのでなく、人間を、つかの間スイカバー化してしまうなにかがあるのです。

 

 

 

 このあいだ、生徒さんがたはどれほどご存知かはわかりませんが、『8時だよ! 全員集合!』という往年の有名なコント番組の「傑作選」が放映されていました。

 ゲストとして、たくさんの、今時の親子が招かれていました。みんな四十年以上も前の、苔むしたお笑いを見せられて、世代の垣根なく、暴風のなかのすすきのようにげらげらとのけぞって腹を抱えているのです。

 

「令和にも通用する、ドリフのお笑い!」

 

 わたしはその光景にうすら寒さをおぼえました。

 もともとそうぞうしいもの、乱暴なものの大きらいなわたしは、当然の帰結としてドリフなどむかむかしてたまらないのですが、そのときわたしがおぼえていたのは、もっと隠微な嫌悪感であるようでした。

 

 わたしは、「いやー、今見てもおもしろいですねえ」などとそら涙をぬぐっているようにも見える男性芸能人をぼんやりながめながら、このひとは、いまのわたしとおなじ環境でこの痛々しいドタバタ騒ぎを見せつけられても、本心から、同様の感想をのべることができるのだろうかと疑問をいだきました。

 

 その疑問は、すぐにわたし自身へと跳ね返ってきました。

 

 わたしは、あの劇場ふうのセットに座らされ、他の大勢の観客のただなか、進行役の芸人にマイクを差しむけられたとしても、はたして、「いちごのしずく」の姿勢をつらぬくことができるのだろうか?

 どろんと小器用に、スイカバー人間へと変貌してしまうのではなかろうか?

 

 わたしはそういうじぶんをもうれつに嫌悪します。

 

 ですから、スイカバー製造工場的な空間にはできるだけちかづかないようにしています。

 その版図は、年々拡大しているようにもおもいます。

 網野義彦の「無縁の原理」ではありませんが、もっとすなおに、無頓着に、なんの飾り気もなく、「いちごのしずく」人間でいることのできる場所はないものでしょうか。

 先の高校生さんの話では、ネット上では、そのような世間での居心地のわるさを吐露することじたいひとつの「アピール」と見なされてしまうのだそうです。

 

 

 

 わたしは、オリンピックで日本がいくつメダルを獲得しようが、メジャーリーガーが何本ホームランを打とうが、若年の棋士が何冠を達成しようが、日本人俳優が史上はじめてのナントカ賞の快挙だろうが……。

 

 どうしても、めでたいともうれしいとも感じることができません。

 わたしの人生には、なんの関係もないからです。 

 こういうことは、どうして世間ではあまり言ってはいけないことだとされているのでしょう。

 

 わたしはけっして、万事に無関心なわけではありません。つめたい人間でもないつもりです。

 けれどもわたしが、興味のないことに「興味がない」と表明すると、多くの場所で、空気は凍ります。

 いまげんにここにいるひとと根本的にちがう言語でものを考えていることのわかる瞬間は、くるおしく、さみしいものです。

 けれどもわたしはたとえばプルーストやフローベールに興味をもってくれとは頼みません。源氏物語を読んでくれとも望みません。

 

 興味のなさは興味のなさのまま、大切にしていていいのです。

 そのことに罪悪感をおぼえたり、ひょっとしてわたし機械人間なんじゃなかろうかと疑いはじめたりしなくっていいのです。

 あなたのえらんだアイスを大事にしてください。

 

 

 

 

 映画『ブレードランナー』で、主人公をおいつめたアンドロイドの男の、最期のことばが印象にのこっています。

 

 

「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。

オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。

タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム。

そんな思い出も、時間と共にやがて消える。

雨の中の涙のように。

死ぬ時が来た。」

 

 

 なにもかも、雨の中の涙と思ってみてはどうでしょうか?

 それはけっして、儚いばかりのものではないはずです。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月20日 13時59分

経験について

 講師の八柳です。

 みなさんはトイ・ストーリーという映画を観たことがありますか。

 カウボーイや、宇宙飛行士や、犬や恐竜といった、さまざまな見かけや性格の人形たちが、抜群のチームワークでいろいろな事件を乗りこえていくお話です。

 あの映画で、人間がすがたをあらわすといつも人形たちはパタンと身じろぎひとつしなくなってしまいますね。

 同年代の友だちとのあつまりで、話題が世間のことに及びはじめると、わたしはいつもあんな感じになってしまいます。

 意思のない、打ちすてられたおもちゃのように、つくねんと硬直してしまうのです。

 

 

 わたしは、じぶんほど物知らずな人間もなかなかいないだろうとおもいます。

 わたしくらいの年ごろであればふつうちょっとしたものになっていてしかるべき世間知や社会常識の蓄えが、ぜんぜんないのです。

 

 たとえば、「株式会社」のしくみがわかりません。

 そのような形態をとっている企業に属していたこともありますし、その優待情報を主要な売りとする雑誌の校正さえ担当したことがあるはずなのですが、「株」というのがなんなのか、いまだにわかりません。

 

 友だちのなかには、その売買によって多大な利益をあげているひともいます。

 

「車一台ぶん」

 

 とかれは、その額を誇らしげに仄めかしてくれました。

 

 けれども車って一台いかほどするものなのか、わたしにはとんと見当がつきません。

 このあいだ、生徒さんに教えてもらってはじめてベンツのマークを知りました。

 だから街でさっそうとすぎていく当該車種を見かければ、「あっ、ベンツ」とひとつ覚えのように頭のなかでつぶやくようにはなったのですが、ああいうものがなぜお金持ちのひとたちの熱烈な持て囃しをうけるのか、いまだに理解できません。

 フェラーリ、ロールスロイス、ランボルギーニ……たとえ目の前をびゅんと飛ばしていったとしても、歓声をあげる自信はありません。

 

 このあいだも、ある生徒さんに「グローバリゼーション」の説明をさせてもらっていたとき、「ほら、世界中どこに行ってもアメリカのお店を見かけるでしょう。ユニクロとか、マクドナルドとか……」とひとさし指を立ててみせたら、「ユニクロって日本企業ですよ」と指摘され、愕然としてしまいました。そんなことも知らないまま、毎日よたよたのドライEXシャツに袖をとおしていたのです。

 

 ですからわたしはよく、生徒さんに「そんなこと、どこで知ったの?」と尋ねます。

 それは、なんらかの教育的効果を期待してのことでなく、本心からそう不思議がっているのです。

 

 わたしは、興味のないことはまったくおぼえられません。「あとでしらべよう」とおもっても、その「しらべよう」すら忘れてしまうのです。

 そのくせ何年も前のあやまちやしくじりにいつまでもくよくよしつづける性向もあるのですから、この脳みそが、ざる状であるのはまちがいないにしても、その目は粗いのかそれとも無駄にこまやかなつくりなのか、いったいどういう形状をしているのか、理解にくるしむところです。

 

 

 こんなわたしにとって、知らないことは恥だとされる場所にいつづけることはたいへん苦痛なことでした。

 

 なにかについて知りません、と白状したわたしが、つぎに「教えてください」とつたえる前に、鼻白まれたり、冷笑されたり、正気を疑われたりしてしまっては、そこでわたしはしょんぼりとして、「知りたい」どころではなくなってしまいます。

 そしてわたしはこうおもうでしょう。

 

「くそう、こいつらは。おれは、カントもニーチェも知っているのに。トルストイもドストエフスキーも、みんな読んできたというのに」

 

 こうしてあらたな蔑みのたねが生じます。

 

 世のなかに、知らなくって恥ずかしいことなどひとつもありません。

 なにか知っているからといって偉くなれるわけでもありません。

 けれども知らないことを恥ずかしがらせようとするひとたち、知っていることで偉ぶろうとするひとたちはたしかにいます。

 より正確にいうならば、あるひとのことを、「知らないことを恥ずかしがらせようとする」行動や、「知っていることで偉ぶろうとする」態度へといざなってしまう、なんというか、こんがらがった、かなしい鎖のようなものはまちがいなく存在しています。

 

 たびたび宮沢賢治のお話をして恐縮ですが、『銀河鉄道の夜』という物語に、一見いじわるな、ザネリという男の子がでてきます。

 そのザネリから、帰ってこないお父さんについてからかうようなことをいわれたジョバンニは、胸をつめたくし、こんなことを考えます。

 

「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはまるで鼠のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリがばかだからだ」

 

 もしこの本を読むことがあったら、ジョバンニのこのことばの意味について、どうかよく考えてみてください。

 ザネリがいじわるをしたくなるのは、いったいなぜでしょう。そのかれを、ジョバンニがばかだと言いたくなるのはなぜでしょう。

 

 

 

 わたしをはげましてくれることばの一つに、大好きな作家のながいながい小説の一節なのですが、こんなことを言っているくだりがあります。

 

「戦争に行ったからといって、だれもが偉大な叙事詩人になれるわけではない」

 

 それなりの年数を生き、たくさんの経験をしてきたひとは、その経験をもとに、なにか若いひとへと教訓を伝えたくなるものです。

 それは大いにけっこうでしょう。

 わたしもそうして、たくさんの大人たちから「なるほどなあ」と思えるようなお話を聴かせてもらってきました(わたしがいまこうして書いているのも、そういったたぐいの文章だといえるかもしれません)。

 

 けれどもそのとき大人側がけっして忘れてはいけないのは、ひとは、それぞれの人生を生きているということです。

 あるべつのひとが生きぬいてきた十年や二十年に、あなたがあなたとして生きてきた十年、これから生きていく二十年は、ふくまれていないのです。

 あなたはあなた歴において、だれよりも先輩なのです。なぜなら、あなたの人生は、あなたにしか生きられないからです。

 あるひとつのできごとが、万人におなじ経験をもたらすということはありえません。

 

「おれもむかしはそうだった」

「あたしもあんたくらいの歳のときさあ」

 

 そんなふうに説教されるたび、わたしは「ん……?」と違和感をおぼえてきました。

 

「おれは、あんたではないぞ」

 

 もちろんひとが、ある種の話題においてなぜそういう語りかたをとりがちなのかということについては、もっと微妙な問題もふくまれてくるでしょう。たとえば話し手と、話されることばとの関係、ということについて、もっとよく考えてみなければならないにちがいありません。

 

 

 

 できごとを経験にするのはことばです。

 あなたがあるひとつのできごとに、あるひとつの角度からだけことばの光を照射しつづけるなら、そのできごとはいつまでも、単一の扁平な意味しかあなたに明かしてくれることはないでしょう。けれどもあらゆるできごとは、ほんとうは解きつくせない多面体なのです。

 

 みなさんは作文のとき、「書くネタがない」ということをよく口にされますが、ネタなどなくていいのです。話の中身など、どうだっていいのです。

 大切なのは、それをどう書くか。どういうことばで、あるできごとのある側面を発見していくかなのですよ。

 

「昨日、どんなことがあった?」

 わたしの問いかけに、

「んー、なんにもなかった」

 そう答えてくれる生徒さんがいらっしゃいます。

 

 なんにもなかった、はずはないのです。あなたはビッグバン以前の虚無空間をただよっていたわけではないのですから。

 なにかはあったはずなのです。

 けれどもそのささやかな「なにか」はすみやかな概数化の結果、無にひとしいものとしてあつかわれ、素粒子のようにあなたのこころをすり抜けてしまったのです。

 しかし、この世のあらゆる物質がけっきょくはまさにその無数の粒子から成っているように、あなたの人生も、大半の部分は書くに値しないできごとから構成されているのですよ。このことをあなたはどのようにおもいますか。

 

 

 たくさんのめずらしいできごとを経てきている必要はありません。

 知らないことがいっぱいあったってかまいません。

「〇〇じゃなきゃ」という思いこみを解除して、あなたのすでにもっている、ささいなできごとのあらたな意味を無数に発見してください。

 わたしはそのお手つだいをします。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月18日 10時00分

日常について

 講師の八柳です。

 わたしは朝おきるとまずカーテンを開けゆっくりバナナを咀嚼しながら、ブライトライトMEという、一万ルクスの光をはなつ四角い器具の前で十五分間、正座します。

 どんなに急いでいてもきっちり十五分、もそもそ口を動かしつづけます。

 これはバナナに豊富にふくまれているトリプトファンという栄養素を、光によって、しあわせの物質セロトニンへと変えるためです。

 セロトニンは、精神の安定をもたらします。

 遅刻をしてもまあいいかという気分になることができます。

 ですから、万一寝坊をしたとしても、この儀式だけはぜったいにかかしません。

 

 つぎに、カフェインを摂取しながら文章を書きます。

 中身はなんでもかまいません。

 飽きるまで、つかれるまで、あるいは、なにかまとまったものがしあがるまで、とにかく文字を打ちつづけます。

 毎日だいたい、原稿用紙換算で十枚ぶんくらい書くことが多いです。

 小説の体をなしかけるものもありますし、シュルレアリスムもどきの奇天烈駄文に終わることもあります。

 消してしまうものがほとんどです。

 ひとさまにお目にかけるためでなく、ごく私的な精神健康法としておこなっているだけのことですから、それでいいのです。

 

 それから瞑想に移ります。

 一時間ほどすわります。

 白い、満開の光の花や、海外の大瀑布のような光景がみえてくることもあります。

 それがすんだら各種外国語の音読、そして、有酸素運動を三十分。

 ここまでで、だいたい十一時くらいになっていることが多いです。昼食の献立はいつもきまっていて、鯖缶とヨーグルト。それに、トマトジュースです。

 

 わたしには、美食家の心理がよくわかりません。

 前にいちどだけ引き出物のカタログギフトで銀座の寿司屋のお食事券を申し込み、勇んで赴いたことがあったのですが、けっきょくわたしには、電車でレーンを走ってくる炙りバジルチーズサーモンのほうが、多量の快をもたらしてくれるようでした。

 焼肉なども大の苦手で、焼きながら、談笑しながら、機敏に網上の標的を見さだめて、ひとに譲ったり、すかさずかすめ取ったりする、これは脳の複数の領域を酷使する、高度に政治的な労働であって、わざわざそれなりのお金を支払ってそのような苦役への従事を志願する気にはなれません。

 ドラえもんのひみつ道具で、なんというのか名前は忘れてしまいましたが、ひとつぶでお腹いっぱいになる未来食のようなものがあって、ああいうものがもし実用化されるなら、わたしは毎日それだけを摂るでしょう。

 

 

 昼食後、天気がよければ散歩に行きます。

 缶コーヒーをのみながら、日光をあび、さかんにセロトニンを分泌しながら一時間ほど歩きます。

 天に突き立つ野草を見ていると、ふしぎに思います。

 どうしてこのかたちで「しゅばっ、しゅばっ」と音がしないのか。

 まるで、刑期をつとめるやさしい火焔のようです。わたしはそれをひっこ抜き、口にふくんでみることもあります。苦ければ吐きだします。

 

 おもしろい声の鳥やめずらしいかたちの花を見かければ、ぼんやりと眺めながら「ほおー……」とおもいます。

 スマートフォンはきらいなので写真は撮りません。

 部屋にもどれば図鑑があるのでそれで名前をしらべよう、そうおもうこともありますが、けっきょくいちども実行したことはありません。

 植物のしくみも、鳥類のからだのつくりもいまだによくわかりません。

「ほおー……」でけっこう、満足してしまうのです。

 

 

 買いものをして、家に帰ると夕食をつくります。

 ひとりで食べるものではないので、鯖缶ヨーグルトで終わらせることはできません。けっこう凝ったものもつくります。

 

 お湯をわかしたり、なにかを煮込んだりしているあいだ、むぞうさに本を捲っていることもあります。

 いいな、あるいは気になるな、と思うところがあれば、赤ペンでじゃーっと印をつけます。後でじっくり読んでみるためです。

 いまではもうそうたくさんの本を読むことはありません。

 部屋の本棚におさまっているのは、わざわざ数えたことはありませんが、せいぜい三百冊くらいでしょう。

 わたしにとって、なんらかの意味で励ましとなる一節をふくんだ本ばかりです。これらをくっきり選りぬくために、やはり二十代までの濫読の時期は必要でした。

 おんなじものを何度も新鮮に読み返しながら、わたしは老いていくでしょう。

 

 手鍋がコトコトいいはじめたら、もう読書はやめてしまいます。

 夕食をとり、ふろにはいります。

 湯ぶねをつかうことは、基本的にはありません。すぐにのぼせてしまうので、この場所に十分以上とどまることはできません。

 たまに箱根や草津などへ旅行することがあっても、大浴場へは行きません。

 知らないひとに話しかけられるのがいやだからです。

 くつろぎをもたらすはずの湯のなかで、愛想笑いにつかれていたら元も子もないでしょう。

 わたしは部屋のシャワーですませ、長風呂の同行人がもどってくるまでのあいだ、畳のうえで瞑想しています。

 

 

 夜はおそくとも二十二時までには就寝します。

 ドライヤーで髪をかわかして、まだ十九時過ぎくらいであれば映画を観ることもあります。

 ストーリーのはっきりしているものは苦手です。

 アクション、サスペンス、ホラーなどはぜったいに観ません。

 邦画だと小津安二郎をよく観ますが、『東京物語』などはあまりおもしろいとは思えません。『秋刀魚の味』が好きです。休職期間中、あれの、酔った笠智衆が軍歌を口ずさむとこばかり毎晩観ていました。

 海外のものだと、ゴダールです。よくわかりませんが、「わからなくっていいや」と思えるから気が楽です。

 映画館へは、たまにキャラメルポップコーンの匂いをかぎに立ち寄ります。

 

 二十一時半ごろ、布団にはいります。できるだけ少量の水で(トイレに行きたくなってしまうので)、漢方ふた包み、錠剤二錠を嚥下します。それからもう一錠、こんどは舌のつけ根のあたりで溶かしきります。

 日中うみだしたセロトニンがメラトニンへと変化して、援軍に来てくれます。そして悪夢を撃退してくれます。

 とはいえ、気がかりな夢を見たら見たで、わたしにはそれを解くたのしみも保証されるわけです。

 わたしの数すくない趣味のひとつは、夢解きです。

 わたしのこれまでに見たもっともうつくしい光景は、夢の夜空にひろがったエメラルド色の星の嵐でした。けれども、それはどうでもいいことです。

 わたしは書くのに疲れてしまいました。

 

 

 これがわたしの代表的な一日です。みなさんも、ありきたりな一日をこまかく書いてみてください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月17日 14時14分

「先生」について

 講師の八柳です。

 わたしはこれまで何人もの「先生」と呼ばれる職業のひとらと関わりをもってきましたが、真にその呼称にふさわしいとおもうことができたのはただ二人だけでした。ひとりは、学部生のころから、大学院時代にまでお世話になった、作家で、フランス文学者でもあるH先生です。

 

 

 わたしは十八のころ札幌からわざわざ上京してきたのですが、それはちょうどわたしの大学入学年度に創設予定だった新学部で、あの先生に教わりたいがためでした。わたしはあの人に会ってはじめて、じぶんがこれまで「尊敬」というものを知らずに生きてきたことに気がつきました。

 

 ゼミの面接の日、わたしは大きな楽器を背負っていました。

 ふつう持ち歩きに適しているとされる61鍵や73鍵のキーボードでなく、88鍵の電子ピアノです。

 ハンマータッチの、通常据え置きにしておくタイプのものですが、そのころ友だちと楽器を演奏する習慣があって、しかもシンセサイザーなど買うお金をもっていなかったわたしは、しかたなく、もともと持っていたその電子ピアノを、引っ越し用のケースにいれて毎日背負って歩いていました。

 振りこまれた定期代は本につかってしまったので、新井薬師前から一時間ほど、徒歩で通学していたのです。

 リュックのほうにもいつどれが読みたくなるかわからない先々のじぶんのため複数の本をぱんぱんにねじ込んであったので、日々、夜逃げしているような大荷物でした。

 先生はたしかそれにひとことも言及されなかったとおもいます。さらり、さらりとしている人でした。

 

「ほんとうはねえ、八柳くん。僕も、誰かを選んで誰かを落とすっていうやり方は、とりたくないんだ。できれば、紙飛行機で決めたいと思っているくらいなんだよ」

 

 いくつかのごく形式的なやりとりの後、最後に質問は? ときかれたわたしは、落選した場合、もう二度とこのひとに会う機会はないかもしれないとおもい、当時のわたしとしては思いきった、いまにしてみればずいぶんとういういしい問いかけを先生に向けました。

 

「作家の書くものは、どこまで意図の産物なんですか?」

 

 

 わたしはゼミに所属することになりました。

 先生の、授業のやりかたは学部だろうと大学院だろうといつもおなじでした。なにか一冊の小説を、とにかくじっくり読むのです。一回に二、三ページ、いや、もしかすると数行くらいしか、すすまないこともあったかもしれません。代わる代わるに音読しながら、一文ずつ、おとずれた読みかたを自由に披露しあっていくのです。

 

「ここは、どうだろう? 何か思ったことはありますか」

 

 先生はごくおだやかに、かすかにいたずらっぽく、そう問いかけられました。「子規はお菓子が好きだった」とか「鉄瓶の茶が湧いた」とか、どんな些細な一文であっても分け隔てなく取りあげられました。そして決まって、こう添えられました。

 

「僕が何か答えをもっているわけではないんだけれどね」

 

 この読みかたを、先生は、「頁の風景を変える」と表現していらっしゃいました。

 

 三四郎が、汽車に乗っている。となりのボックスに、女性も乗っている。食べ終わった弁当の包みを、窓から三四郎が放りだす。折しも、女性が身を乗りだす。空っぽの弁当箱が、あわや、直撃しそうになる!

 

 こんなくだりがでてくると、わたしたち、たしか修士課程の一年目だったとおもいますが、二十二、三のりっぱな大人たちが、ちいさな教室の椅子を三等車の座席に見たてて、進行方向はこうだとか、風向きはこうだとか、女の動きはこうだとかいいながら、しきりと身体を動かしてみるのです。

 

 いまわたしの教えさせてもらっている「精読」の授業でも、生徒さんがたは、ノッてくるとこのような読みかたをしてくださいますね。わたしはそれを見ていると、速いながれの川のなかに立ち尽くしているような気持ちになります。

 

 

 先生は、ご自分からなにかまとまった見解を説かれることは稀でした。われわれ若いゼミ生の、いま思い返してみればトンチンカンもはなはだしい議論のさまをしごく鷹揚に見まもっていてくださいました。そして時折控えめに意味深長なひとことをつぶやかれるのでした。つねにもの柔らかで、このひとがゴルゴ13の愛読者だとか、ヤクザ映画の愛好家でもあるなんて、わたしにはどうしても信じられないことでした。

 おなじゼミの仲間が、就職先の一候補として金融機関を考えていると先生に相談したところ、先生が語気をつよめてそれに反対したという話を聞き、わたしはひどく意外におもいました。同時に妬ましくも感じました。

 わたしはといえばゼミ論の講評会かなにかのときに、「まあ、真人間になれるなんて思わないことだよ」そう予言され、きょとんと首をかしげているばかりでした。

 

 

 わたしは先生の作品を何冊も書きうつしました。先生のような気品あることばの書き手になることを夢みていました。けれどもそれは達成されませんでした。先生が先生のようにしか書けないのと同様、わたしもわたしとして、どうにかやっていけるやりかたを見つけなければなりませんでした。そのためにあこがれや尊敬が遠まわりをもたらすのかそれともなんらかの力を添えてくれるのか、わたしにはいまだ、判断はついていません。

 あるひとの傑出した部分を目撃するたび「このひとのようになりたい」そう思う悪癖が、いまもわたしからは抜けきりません。ゆるやかに下降していく年代にはいったというのに、です。

 

 

 もうひとり、わたしが真心をこめて「先生」と呼んでもいいと感じているのはこの塾の塾長です。

 べつにいま、背中に銃口を感じながら宣伝文をつづらされているわけではありません。

 本心からそうおもいます。

 塾長は、わたしの恩人です。いくら人手にこまっているからといって、空いたばかりのその隙間を、どこからともなく転がりこんできた得体の知れない石ころでふさごうとなど考えるでしょうか? 「人物」だなあ、とおもいます。

 

 

 わたしが、作文の授業で「鑑賞会」に重きを置いているのも塾長の影響です。

 そうしろ、と教えられたわけではありません。塾長が、わたしに体現してくれたのです。

 

「先生、『フォース』はありますよ」

 

 わたしはこういうことを、わりに大まじめに言ってしまうところがあります。この歳ではじめてひとさらい観たスター・ウォーズの影響を、この時期にはうけていたのでしょうね。生徒さんがたひとりひとりに、こころのなかで、メイ・ザ・フォース・ビー・ウィズ・ユー、とつぶやきかけてもいました(口にだしては言わないだけの分別はあるわけです)。

 もちろん、わたしだってさわらずに人の首を絞めあげたり、果物を意のままに浮遊させたりするような異能が実在しているとはおもいません。隠喩としてのフォースです。

 その旨わたしがしどろもどろにお伝えすると、先生はウーンと考え込んでくださってから、こうおっしゃいました。

 

「それならダース・ベイダーは、いるだろうな……」

 

 こういうとき、わたしの気持ちは華やぐのです。虚構を真剣に分かちもってもらえたことによる、よろこびの花がひらくのです。

 塾長は、わたしのばかげた発言を、一笑にふしたり、黙殺したりすることなく、その意味するところについて、真摯に熟考してくださいました。いつもそうなのです。

 人間は、それぞれの現実を生きていますから、だれかにとっての現実は、あるひとにとってはたんなる虚構にちかい存在感の希薄さをもっています。

 他人の現実を、頭ごなしにこきおろすのならそこに争いが生じるでしょう。

 唯々諾々と受け容れつづければ、いずれじぶんの現実が虚構に反転するでしょう。

 塾長がいつもわたしに示してくれるのは、このいずれにも偏らない、虚構と現実との、第三の取りあつかいかたであるように、わたしにはおもわれるのです。

 

 あなたがもし国語力をみがき、自分自身の内なる声をけっこうしっくり読みとれるほどにまでことばの取りあつかいに長けてきたのなら、そのちからを、どうか友だちのためにも使ってみてあげてください。

 友だちでなくてもかいません。だれか大切なひとのために役立ててみてください。

 そのひとの話すことに、じっくりと、大まじめに耳を傾けてあげてください。

 そのひとのことばそのものや、浮かんでくる自分自身の思いを、どこまでも入念に「読解」しようと試みつづけてください。

 そして相手の見ている世界にふさわしいことばを繊細に、けれども大胆に選びとりながら、挑みかかるのでなく、包み込むのでもないように、いろいろなことをまっすぐに問いかけてみてください。

 

 じぶんにとっての現実の息づきを、他人のなかにも感じられることはひとつの奇蹟です。それを分かちもとうとこころざしてくれるひとが一人でもいれば、生きることはそう困難ないとなみでもなくなります。「読む」ことがひとを救うのです。

 

 有名な禅の公案に、こういうのがありますね。

 

「両手を合わせれば音が鳴る。では、片手の音は?」

 

 わたしが塾長と他愛ない雑談をさせてもらっているとき、しばしばよぎるのがこれなんです。

 片手の音だなんて謎めいた言いぐさですが、そもそも両手がぶつかって音が鳴ることだって、じゅうぶんなおどろきではないでしょうか?

 鑑賞会でわたしが感じてほしいとねがっているのは、じつはこのようなことなのです。

 

 

ところで、わたしはこれまでじぶんの出会った二人のよき教師について書いてきました。それなら、悪しき教師とはどんなひとでしょう?

 それは、スター・ウォーズの暗黒卿です。

 エピソードⅢで、ダース・ベイダーになったアナキンの肩をたたく、さもいたわしげなあの手つき、あのほくそ笑みをよく見てください。

 あれが、最悪の教師というものです。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月17日 13時56分

仕事について

 講師の八柳です。

 わたしはながいこと無職でした。家事をしながら、一日中本ばかり読んでいました。小学館の、日本古典文学全集というのを安く手にいれて、古事記から、おしまいの巻まで読みとおしました。そしてこの塾につとめはじめました。

 

 

 天気がよければ、池袋まで行きました。猫たちの多く住む公園がありました。猫たちは、雨でなければほぼ毎日、わたしの出没を目撃しました。わたしは並木道を歩きながら、魔法のビスケットでもふやすかのような要領で、ポケットのあたりを高らかに叩いて音をたてました。すると、聴覚の敏い猫たちは、わたし固有の音を聞きわけて、むらむらとあちこちからつどってくるのでした。かれら彼女らは、いちように、耳の先っぽをちょん切られた「地域猫」たちでした。

 

 日暮れどき、わたしのよく会釈するおじさんや、おばさんたちは、スーツを着ていたり、すぐ隣にある大型商業施設の入館証をさげていたりしました。かれらのたずさえてくる布袋には、猫たちの夕食だけでなく、カップ酒や、即席ラーメン、スナック菓子などがはいっていました。公園の奥のほうに、いまでは撤去されてしまったかもしれませんが、ブルーシートの邸宅が乱立していました。そこから大勢の猫たちをひきつれて、あごひげのながいおじいさんがでてくるのでした。わたしはそのひとが姿をみせると、いつもそそくさと立ちあがったものでした。そして「もう行くの?」といぶかしむ大きなリュックのおじさんに、「重大なプロジェクトを任されているので」と愛想よく応じ、とっとと消えたものでした。

 

 わたしは、あの公園にいるあいだだけは無二の富者でした。休日など、だれもが猫と戯れたがるなか、すみの日なたで、もっとも多くの猫たちにうずもれたわたしは、もっとも多くの羨望をあつめる者でした。海外からの観光客たちに、どうか写真をとたのまれるようなことは茶飯事でした。サラリーマンふうの男性が、ちょっとしたおやつなどをもって猫の気をひきにくれば、わたしは余裕をもって一匹、二匹をわけてやりました。そして、またとない優越感を味わうのでした。

 

 

 裁判所に通いつめたこともありました。わたしは、ロースクールのまじめな学生のふりをして、なにも書くあてのないメモ帳を手に、神妙な表情で傍聴席にすわっていました。手錠をかけられた犯罪者が刑務官にひかれてくるのを目の当たりにしていると、なににも拘束されていない自由な両手の持ちぬしであるこのじぶんが、たまらなく誇らしく感じられてくるのでした。けれども、職業を問われた被告人が、「会社員です」などとこたえると、わたしの表情は、けわしく曇ってしまうのでした。

 

 

 わたしはすべての保護者さまを尊敬しています。仕事をして生きていくということは、なぜこんなにもむずかしいのでしょう。

 わたしは学生のころ、黄道上に存在する星座とおなじ数だけのアルバイトに挑戦し、そのすべてにおいて、一恒星年以内の退職を余儀なくされてきました。

 もつ鍋を調理すればキャベツとレタスを混同し、台車で弁当を売りにいけば段差でつまずき、横転。車道がからすの祝宴場と化すしまつでした。わたしに仕分けられた郵便物やペットフードのふくろは例外なくずたずたに裂け、複写された書籍は古文書同様に損傷し、使用された掃除機は二度と人間のいうことを聞こうとはしなくなりました。

 

 アルバイトですらそのざまですから、会社生活などつとまるはずもありませんでした。

 わたしは、大学院修了後、なぜか面接の通過できてしまった港区のコンピューター系企業に少しのあいだ、居すわっていたのですが、どうも体育会系の人びとをいらいらさせてしまうところがあるらしく、ひときわ熱心なご指導、ご鞭撻をたまわった結果、ソースコードよりも先に「鬱」というきわめて複雑な成り立ちの漢字の書きかたを覚えさせてもらうことになりました。名だかいカフカの断片で、「水泳のできない水泳選手」というのを読んだとき、「そんなばかな」と笑っていたわたしは、七年後、プログラムの書けないIT企業社員になっていたのです。

 ホームページの更新が滞りがちなのは、どうもあの「管理画面」というのを見ていると、十年前、ドンドコ物騒な打楽器の演奏つきで世のきびしさを説いてくださったありがたいK部長の大音声がよみがえってくるからなのですね。ミーティングでは、紅い旗にかこまれた反動分子のようなこともずいぶんさせられました。

 

 生徒さんがたでこれを読んでいるかたがいらっしゃるかどうか、わかりませんが、たぶんいないだろうとはおもいますが、大人になってから、立食形式の新入社員歓迎会などで談笑の輪にくわわらず、すみっこで、もくもくビーフカレーばかりかっこんでいる変わりものが目についたとしても、どうか不名誉なあだ名をつけたりはしないであげてくださいね。

 そっと、ほうっておいてあげてください。

 かれはついにひとことも発することはないでしょうし、妙な言いわけをして二次会への参加をこばむでしょう。

 自己紹介のために与えられた三分間も、ひたすら沈黙で通すでしょう。

 それは聖賢ぶっているのでなく、たんにことばがでてこないからなのです。交感神経系が、あまりに活発化しすぎているせいなのです。

 こんなとき、ちゃちゃっとなにか小話を披露して「どっかんどっかん」先輩がたを愉快がらせたいあなたは、いまから作文の練習をきちんとまじめに積んでおいたほうがいいですよ。

 わたしにはなんにも教えられませんけどね。

 

 わたしの知らぬ間に、周りのみなさんは近くのアジアンレストランでおしゃれなランチをしたり、休日にフットサルをして親睦を深めたりしていたようです。ビルの目の前のタリーズコーヒーで、フランス革命前夜さながらに、さかんな愚痴の言い合いもおこなわれていたようです。

 そうした文化風土に、わたしはどうしてもなじむことができませんでした――このタイミングでこんな話を切りだすと、なんだか青汁かなにかの宣伝番組じみていていやらしい気もしますが、あのとき、もしもわたしが読むすべや書くすべを知らなかったとしたら、こうしてしぶとく生きつづけるのとは、べつの解決手段をえらんでいたでしょう。

 もっと簡便で、あっけなく、そして、不可逆的なやりかたです。

 それはサクッと済むでしょう。

 けれどもわたしは、この世界から抜けだしていくことより、この世界を、再発見、もしくは再創造することを選んだのでした。そして、そちらの道へすすむにあたり、ゆいいつ身の助けになったのが、わたしにとってはことばを読む力、ことばを書く力でした。

 

 わたしは、いまでもうだつがあがりません。みなさんは、よくわたしの給料を尋ねられますね。わたしはそのたび、はぐらかしています。なぜなら、もしみなさんがその実額を耳にしたのなら、絶句せずにはいられないだろうからです。憐憫の情をもよおさずにはいられないだろうからです。

 わたしは、あわれまれながら物を教えさせてもらうのはごめんなのですね。けれども、それはわたしが卑屈になっているということではありません。車や、腕時計や、三階建ての一軒家、避暑地の別荘なども所有していなければ、おそらくは今後所有する見込みもない人生ですが、わたしはおおいに幸福です。

 本を読み、散歩して、みなさんとことばを交わす。たまになにか書く。預金残高を眺めても、憂鬱になることはありません。なぜなら、いまを充実して生きているからです。

 もし現実が、物質だけから成っているのなら、こうした心境はついにわたしにはおとずれなかったでしょう。

 わたしは、漠然とした「ふつう」へのあこがれと、失望とをくり返しながら、絶えずあせり、いらだち、悲しみ、不安に陥り、憎しみにかられながら、こころ安らぐことなく一生を駆けぬけたでしょう。

 なぜなら、そんなにまでわたしを苦しめる「ふつう」の正体を、ことばによらずして看破することは不可能であるからです。

 

 

 みなさんがこのままコツコツと勉強をつづけ順当に国語力を向上させていくならば、社会生活上出くわす文章のほぼすべてが難なく読みこなせるようになるでしょう。虫のいい儲け話の不整合に気がついたり、慇懃なメールにただよう底意を嗅ぎとったりすることも、造作のないこととなるでしょう。それが第一目標です。緻密さは大前提です。

 けれどもたまには、その先のことについてもどうか考えてみてくださいね。そこにあなたをもっと自由にしてくれる、なにかがあるかもしれません。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月14日 13時25分

教養について

 教養ってなんなのでしょう。なぜ、世の中にありとある知識のうち一部のものだけが非常なとくべつあつかいをうけ、嗜むべきものとして珍重されているのでしょう。

 納得いかないんですね。教室に通ってくれている生徒さんがたはみなすばらしい「教養」を持っていますよ。

 魚のことならなんでも知っているひとがいます。電車や野球にめっぽう詳しいひともいます。戦闘機の型番をぴたりと言いあてるひとがいたり、「推し」についてなら何枚でも書けてしまいそうなひとがいたり。

 マイクラ博士もいます。作家のように書くひと、哲学者のように考えるひと、落語家のように話すひともいます。こわれかけのマーカー置きや椅子を直してくれたひともいます(ほんとうに助かりました)。空手の型や、マジックを披露してくれるひともいます。バスケ選手にサッカー選手、それからテニスプレーヤー……。ほかにもまだまだ、書ききれないくらいです。

 かれらのげんに所有しているものこそが、黄金の知的財産でなくてなんでしょう。わたしはこころからうらやましく思います。興味関心の対象について熱弁をふるってくれる生徒さんがたにくらべ、わたし自身、なにかにのめり込んだり、時の経つのを忘れたりしてきた経験が、あまりにとぼしく感じられるからです。「これが大好き!」と自信をもって宣言できるものがあるなんて、ほんとうにすばらしいことですよ。それこそが生きるちからになっていくんですよ。

 だいたい国語の読解問題などというものは、三十分くらいもまじめにやっているといったん疲れてしまうものなんですね。それでもいいんです。そういうものですよ。叱責したってしかたがないんです。やりたくないことやらされて、あくびをしたら怒られるなんてわけのわからない世界ですから。「怒られるかも」とこころの縮んだ状態で学べることなどひとつもないんです。運命なんです。うけいれるしかないんです。飽きたら飽きたでなにかは学べるんです。

 おもしろい冗談のひとつも言える先生なら、ここでガラッと空気を変えられるんでしょう。あるいは興味深い雑学の披露できる先生なら。でも、わたしはだめですね。そういう器用な先生ではないですよ。おしゃべりが得意ではありませんし、そもそも、ぴかぴかの目で聴きいってもらえるようなおもしろ豆知識の持ち合わせなんてひと粒もありませんからね。生徒さんがたのほうがよっぽどいろいろ通暁してるんです。

「先生、〇〇って知ってます?」

 そう聞かれるとわたしはたいがいなんにも知らないんですね。ごめんなさい。理科とか算数とかについてはとくに無知なんです(分数の足し算引き算もできませんからね)。それで生徒さんの話に耳を傾けさせてもらいます。〇〇の内容は、人によってじつにさまざまですね。その日学校で習った知識をさずけてくれる生徒さんもいますし、ひいきのyoutuberのことについていろいろと教えてくれる生徒さんもいます。

 ほんとうに毎回驚嘆ものですよ。みなさんどれだけ豊かなことばを持っているんでしょう。

 どれだけ多くを知っていて、どれだけ深く考えているんでしょう。

 なにを問いかけてもスパッと答えがかえってくるんです。

 ドクターイエローの仕事。パ・リーグとセ・リーグのちがい。トラベリングの定義。カナヘビの生態。日本のお城と西洋のお城。ジョコヴィッチのすごさ。youtubeの広告収入の金額。米軍の強さの秘密。すとぷりの魅力。エンダードラゴンの脅威。ABC予想。日本刀の鑑賞方法……。すべて、生徒さんがたから学ばせてもらいました。

 話を聴いているあいだ、わたしはじぶんが「先生」などと呼ばれていることが畏れ多くなってくるんです。そもそもわたしは、教育とか指導とかいうことばは苦手なんですが。

 

 それで、時たま学校の成績の話なんかになると、どうなるか。みなさん一様に元気をなくしてしまうんですね……。「おれ、そんなに頭よくないっすから」。「わたし、なまけものなんですよ……」。

 いやいやいや。ぜったいにそんなことはないですよ。あなたのさっき発揮していたことばのちからで、どうかご自分のことを別角度からとらえ直してみてくれませんか。頭がよいとか、わるいとか。なまけものとか、がんばりやさんとか。そういう学校教育的な異臭の染みついたことばから脱して、もっと、自己へのいたわりにみちた繊細な表現を、どうか模索してみてはくれませんか。

 わたしはあなたがたを尊敬しています。そこまで無心になにかを追究していける情熱の放射をまぶしく受けとめています。あなたがたにくらべ、わたしはなんとつまらないことをしているのでしょう。好きな本を、好きなように読んでいるだけのはずなのに、ピンときた映画を、ひたすら楽しんで観ているだけのはずなのに、どこか、

「おれはいま知的なことをしている」

「教養をたくわえている」

「インプットをしているのだ」

 そんなさもしい、あさましい満足感をぬぐいきれていないじぶんがいるのです。

 恥ずかしいですよ。くだらないですよ。

 なんとまずしい心根かとおもいますよ。なにか他のことのためにあることに取り組む、ということには、本質的ないやしさがあるのです。

 わたしもむかしは、あなたがたのように頁をめくったものでした。物語もぼんぼん創ったものでした。それはただたんに、本を読むための読書、物語を書くための創作行為だったのです。けれどもそのうちに、読書するのはばかだ無知だと笑われないため、なにかを書くのはあわよくばそれによってなんらかの対価を得るためになってしまいました。それでわたしのとくに十代から二十代半ばくらいまでの時期は、まるまるクレーターのように、ぼっこりとした虚無に侵されているのです。

 価値。意味。目的。こういう一見パリッとした、正統づらのことばどもについて、いちど可能なかぎり深く考えてみてはくれませんか。

 これらのことばたちは影のようにあなたがたに忍び寄り、理屈や常識の威を借りて、世界を一変させてしまうのです。

 創造性をなくしてしまった大人のこころの風景が、あなたがたには想像がつきますか。

 そんなにも貴重な宝をゆずりわたしてまで、常識って招き入れねばならないものなんですか。

 わたしは、それがひとを強張らせ、人生をひからびさせていくだけのものならば――社交場での駄弁に金箔をまぶしたり、みみっちい自尊心をカエルの腹みたくでっぷり膨張させるためだけのものならば、「教養」なんてひとつも要らないとおもいます。

 あるいは、こういうこともできると思います。あなたを元気にさせてくれるもの、時間を忘れて夢中にさせてくれるもの、それこそがあなたにとっての教養なのです。

 学校でやっている勉強は、それを突きつめていくためのやり方の練習に他ならないのですよ。国語や算数、理科や社会そのものについてくわしくなる必要はべつにぜんぜんないのです。なりたければ、なったらいいでしょう。けれどもそのためにあなたが自分自身を疑いはじめたり、嫌いになったりしていては元も子もないのです。数字にふりまわされていたらしかたがないのです。

 革命をおこせとは言いません。革命は、ジャコバン派をも誕生させるものだからです。

 だまってそこから逃げだしましょう。ほんとうに逃げてしまう必要はありません。あなた自身のなかに逃げ場をもつのです。逃げるということばがいやならば、なにかべつの言いかたを発明してみてもいいでしょう。とにかく、「なんかちがうな」「しっくりこないな」そう感じるとき、違和感を覚えてしまうじぶんを責めるより、周囲に悪態をつくよりも先に、なによりも先に「これがやりたい」「これならばやってみてもいい」と思えることを、あなたのなかに保ちつづけてください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月14日 13時11分

勉強について

 講師の八柳です。

 勉強を成功させる要素のひとつとして、もちろんやる気が挙げられます。やる気があればたいがいのことはどうにかしていけるでしょう。塾に通う必要すらないかもしれません。しかしやる気というのはなかなか湧いてこないものなんですね(すくなくともわたしの場合は)。湧いてきたとして長つづきするともかぎらないものなんです。ちょっとしたきっかけで、呆気なく消滅してしまうかもしれません。儚いものなんです。こういうものばかりを当てにしていては、なかなかうまくはいかないんですね。

 

 やる気がでないからといってむりやり奮起したり、自責に没頭したりするのはよくありません。それはきっとあなたなりの理由があってそうなっているんでしょう。その理由とやらも、解明可能なものであるとはかぎりません。むやみと突きつめず、スマホやタブレットもいったん手放して、できるだけぼーっとしてみてください。浮かんでくる考えや感情を、そのまま観察してみてください。やる気のなさの研究です。これもりっぱな勉強でしょう。

 

 話を聴いてくれるひとがそばにいるのなら、そのひとに相談してみるのもいいでしょう。「ぼくはどうしても宿題をやる気になれないんだが、ぼくってなまけものなんでしょうか?」

 しかしこれは聴く側がとてもむずかしいんですね。巷にあふれる「聴く」ことについての本は、「なるほどなあ」と思うものもありますが、「これはどうだろう」と首を傾げてしまうようなものも多くあります。

「傾聴」ってなんなんでしょうね。

 思い通りの方向に相手を誘導するためのテクニックなんでしょうか?

 部下を動かす……。生徒をやる気にさせる……。

 そんなうたい文句には、どうもわたしは寒気を感じてしまうんですね。

 聴くことは、もっとぎりぎりのいとなみであるような気がします。

 この場合でいうと、話す側に「宿題やろう」という気持ちが生じる可能性とおなじくらい、聴く側に「宿題ってやらなくていいんじゃ……?」という世界観の大変革がおこる可能性もあるかもしれないと思うんです。

 その危うさを受け容れたうえでなければ、聴くだけの状態にとどまることは困難だと思うんですね。

 つい腫れものあつかい的な全肯定に傾いてしまったり、批判の牙をのぞかせてしまったりすると思うんです。

 それなしにただ聴くことはほんとうにむずかしいことなんですね。「勉強」において理想的なのは、この姿勢をもって教師や参考書と関わりをもつことなんです。しかし、自分の話をじゅうぶん聴いてもらってもいない人にとって、他人の教えを一方的に聴かされつづけることほど苦痛なことはないですからね。

 

 やる気がでないし、テストの点も低い。宿題もだせないし、叱られっぱなしだけど、とくに不安は感じていない。自己嫌悪とかもべつにない。毎日たのしく生きている。

 すこしのためらいもなくそう断言できるそんなひとが、もしほんとうにいるならばおそらくわたしが教えられることはほとんどありません。

 わたしが教えを乞いたいくらいです。

 あなたは、すばらしいものをもっています。

 あなたを言祝ぎたい気持ちでいっぱいです。

 どうしたらあなたのように闊達に人生をわたっていけますか。わたしはほんとうは、あなたのように生きたかったんです。あなたのように世界に存在したかったんです。

「いやいや今は子どもだからさ」

 と、ある人はいうかもしれません。

「現実が見えてないだけなんだよ。勉強しなけりゃ、将来きっと苦労するよ」

「勉強くらいちゃんとしておくべきだよ」

 どうしてひとは、他人の楽天性に接するや、ちくりとイチャモンをつけたくなってしまうのでしょうか。

 わたしの実感では、「〇〇しなければ」「〇〇すべきだ」ということばには、たとえ〇〇の首尾よく完璧になせた場合であっても、人生を壊死させるものが多量に含有されています。

 わたしのまわりの大人はみんなこの種のことばの尊大な使い手たちでした。

 かれらがおろかだったのではありません。おろかさが、かれらを占領したのです。

 不安に征服されたのです。

 狭義の勉強で、おろかさを克服することはできません。おろかさは何度でもおとずれます。それは人間の条件です。ですからせめてじぶんがおろかになっているとき(それはわるいことばかりとはかぎりません)、みなさんは、それに気づける大人になってください。そしてかろやかに苦しみを笑いとばしていってください。

 

 ほんとうに、不安のきっかけはどうしてこんなに遍在しているのでしょう。

 生徒さんがたと話していると、「頭がよい」「わるい」ということばが飛びだしてくることが多いんですね。どうやら成績のよしあしをそう表現しているらしいんです。おそろしいことですね。復習をこばむ生徒さんがよくいらっしゃいますが、それはだらけているのでなく、意志が薄弱なのでもなく、ある種の恐怖のせいではないですか。

「じぶんは、思っていたほど優秀な頭脳の持ちぬしではないかもしれない」。

 こういう疑念は人間をかぎりない不安に突きおとすものなんですね。まちがいの直視を拒ませるんです。「頭のわるいじぶん」を、だれしも認めたくないんですね。

 頭がよいとかわるいとかいうことについて、すこし考え直してみませんか。

 頭のよさってなんですか? IQの高さですか? 知識の多さですか? 電気信号の行き交いのなめらかさですか?

「地頭」なんて言いかたも、わたしは好きにはなれません。わたしはどれだけこのことばに苦しめられてきたでしょう。

 

「りっぱな大学をでているのに……」

「修士号までもっているのに……」

 卓番もメニューも覚えられないなんて。ホイコーロー弁当をひっくり返しちまうなんて。運転免許もとれないなんて。領収書の書きかたすら、おぼつかないなんて。

「地頭のほうはね……!」

 

 ばかって残酷なことばですよ。

 それは相手に、お前は無意味な存在だって宣告しているようなものなんです。

 お前の考え、お前の現実、お前の世界、それ、ぜんぶまちがいだぞって。

 どうしてそんなむごいこと、他人に言ってしまいたくなるのでしょう?

 それはじぶんが「ばか」かもしれないと脅えているからではないでしょうか? こいつが正しいなら、まちがっているのはおれのほうだと白か黒かの世界観に陥ってしまっているからではないでしょうか? だとしたら、こんなかなしいことはないじゃないですか。

 頭がいいとかわるいとか、勉強ができるとか地頭がざんねんだとか、そんなことにこだわるのはもうやめにしませんか。

 それらはすべて、状態なんです。時によるんです。

 人間だれでもかしこいときもあればおろかなときもある。それだけのことなんです。

 じぶんのリズムで好きにものを考えられているとき、だれだって最高の賢者なんです。

 その反対に、罵声をあびながらしあげた作文はどうですか。脅しをうけながら記述したレポートはどうですか。生硬なたわごと以外を記すのはむずかしいと思いますよ。

 ばかとかぐずとか、そういうことばは朗らかさ抜きに口にしてはいけないんです。

 自分自身に対してもです。

 開き直りのきわみに達しているのなら、それもひとつの知恵たりうると思いますよ。

「我は愚人の心なるかな」

 これは老子の境地です。

「学を絶てば憂いなし」

 きびしいことばですね。なかなかここまでは振りきれないんじゃないでしょうか?

「善と悪と相去ること何若ぞ」

 ……こんな仙境にまであくがれてゆける目途が立ちそうにないなら(わたしもむりそうです)、どうか自己否定はやめてください。

 とはいえわたしがそんなふうにお伝えをしてもきっと説得力はないんでしょうね。

 わたしはふんだんな自己否定だけを主要な資源にここまでやる気を精製してきたような人間だからです。

 それはすさまじいエネルギーをうむんです。

「やらなきゃ死ぬ」と思えばだれでもやるんですね。

「死ぬ」というか、「生きている価値がない」と思うんです。

 学歴エリートになりたいとか、外車で寿司屋に通いたいとか、そんなきんきらの下心からのこじゃれた自己研鑽ごっこなどでなく、価値のないじぶんからの脱出を急務とした全身全霊の逃避行ですから、とにかくもう、むちゃくちゃに勉強するんですね。

 じぶんのだめさにしんそこ打ちのめされているひとは、そのだめ人間から遠ざかるためならどんな努力でも厭わないんです。

 それで高三のころ、全国模試で二番になったこともあります。

「陰謀だ」とおもいました。「イルミナティの暗躍だ。おれを、油断させようとしているんだ」

 なぜならこんなうすのろに、こんな華々しい成果をおさめることなどぜったいに不可能だと信じきっているからです。

 それで安堵も誇りもなしに、いっそう勉強しはじめるんです。

 これは一種の病気です。その発作は、ここで勤めはじめてからもしばしばわたしをおそっています。

 わたしは塾長に、けっこうな劣等感をおぼえているんですね。ちょっとした雑談の最中にも、「おいおい、このひとどれだけシナプスが多いのか」こう青ざめることが何度もあるんです。そこで終わればたんなる尊敬なのですが、わたしの場合、

「それにくらべておれは……」「おれがきてからこの塾は……」と奈落へむかってしまうんですね。

「なんと、たよりない教師であることか……」

「おれも、もっと頭がよくならなければ……」

「塾がつぶれる……」

「没落する……」

「おれが……」

「おれのせいで……」

「おれがつぶすのだ……」

「おれが、頭のわるい教師であるせいで……」

 それで葎のしげった教室の跡地が見えてくるんです。野ざらしの白骨と化したわたしと塾長もうかんでくるんです。

 あせって、いろいろなことを試すんです。アメリカのサプリを大量発注したり、アマゾンでシャーマンに異次元のヴィジョンを見せてもらおうとペルー行きの航空券を購入しかけたり。

 どうにかじぶんに付加価値をつけようとあくせくしはじめるんです。モンドセレクション認定をほしがるハムのようなものですね。

 あるいは、もうどうにもならないと悟ったときなどは国立博物館に通いつめ、弥生土器などを眺めながら「頭がよくてもわるくても……」「どうせいつかはみんな死ぬ……」そんな自己慰撫的な観想におぼれたこともありました。

 ラカン派の精神分析をうけようとしたり、ヴィパッサナー瞑想をはじめたり(いまでもやっています)……。

 もうれつに語学をやった時期もありました。

 古典ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、パーリ語……。教養人へのねたみとあこがれが爆発したんです。

 これはじっさい、読めるようにはなるんです。できなきゃ生きてる価値はない、それがそのときのわたしの世界の絶対法則なんですから。

 文法書を叩きこんで、長文をむさぼり読んで、ひたすらに音読をくり返す……。

 ひたすらというのも、誇張でなく、ほんとうにひたすらなんです。

 ギリシア語であれば、アテナイ人よりも多弁になるんです。

 パーリ語なら、どんな比丘よりも読経にはげむんです。一日何時間でもぶっ通しで。

 これは古文や漢文でも、ほんとうにすらすら読めるようになりたいひとにはおすすめの勉強法です。どういうわけだか、理屈ぬきで意味がとれるようになってきますから(江戸時代のひとびとも、漢文学習で、素読というやりかたをとっていたそうですね)。

 それでプラトンとか、ホメロスとかセネカとか、仏典とかを「読破」して、なにが変わったのか?

 けっきょくなんにも変わらないんですね。

 たまに見学のひとが来て、「あれ? 東大の先生じゃないの?」とかいわれると、グサッと泣きたくなっているじぶんがいるんです。

「くそう、くやしい。うだつがあがらない。おれはギリシア・ローマの遺産にも、古代インドの叡智にだって、こんなにもつうじているというのに……!」

 そんなふうに心中くさくさぼやいてるんです。みっともないでしょう。これが頭のわるくなっている状態です。

 こんなぐあいですよ。

 

 

 いいですか。

 開発、教化、保護。いかなる名目のもとであっても、人生早期に侵略をうけた精神は荒みます。そして、ある種の肥沃さは、二度と回復されることはありません。

「とんだ世界に出生してしまったもんだなあ」

 ぜんぜんたのしからぬ「おたのしみ会」の最中、わたしはそうなげきながらにかにかのつくり笑いで凍っていました。

「出口はどこにあるんだろう?」

 しかし大帝国の将軍のような教師たちは、わたしのリアルな「たのしくなさ」を奪いとりました。すくなくとも、それをわたしなりのことばで表明することをゆるしませんでした。「くだらなかったです」は「おもしろかったです」に、「二度とやりたくありません」は「来年もたのしみです」に、書きかえさせられました。

 わたしも当時の担任教師も、まぎれもないおなじ日本語の母語話者であるはずなのに、住んでいる言語世界はアステカ人とスペイン人ほども隔たっていたのです。

 

 

 この世でもっとも無益でやるせないのは、分裂した魂同士のもめごとに翻弄されながら、あるまとまった歳月をすごさねばならないことです。

 わたしのこころのおおかたの部分は教師の体現するものの側につき、もういっぽうの貧弱な勢力だけがやっと、わたし自身のなけなしの味方でした。わたしはそれらの定期的な衝突のたびに講和の道をさぐり、そして、疲弊しました。

 ある戦争が、ある画期的な爆弾の投下をまってようやく終結したように、わたしの内戦を終えるためには、ある人生上の一大事件が不可欠でした。

 それがもっと早く起こればよかったと未練がましく思うこともありますし、もしもそんな偶然にめぐまれなかったらとそら恐ろしくなることもたびたびあります。

 しかし、なんにせよいえるのは、もっとなにごとも笑い飛ばしながら生きてきたかったということです。

 もしもういちど子ども時代にもどれるのなら、わたしはわたしを威圧するすべての大人たちに鼻くそ爆弾や小便砲をおみまいしてやるでしょう。そしてけたけたと、情熱的に笑うんです。ねずみ花火にでもなったみたいに、笑いつづけるんです。

 わたしがのちのち死ぬほど苦労して奪還をこころみるはめになったわたし自身の魂の特定領域を、もう二度とぜったいにはじめから実効支配させないよう、死にもの狂いで守りぬくんです。

 

 あなたがもしまわりと協調しそこなおうと提出物を出しそびれようと、成績表が「あと一歩」づくめだろうとシャトルランでぶっちぎりのびりだろうと、それでなお、ある種平和ぼけ的なあかるさを維持していられるのなら、それはわたしにはこのうえない宝であるように見えますから、どうかよけいな自己批判へとむかったり、世のなかへの呪詛をはじめたりはしないでください。だれに向けるのであれ、否定という行為にはあまりにも多くの罠がひそんでいます。なかなか飛びこえられませんから、ちかづかないでください。

 

 

 以前授業で『貝の火』という物語を読みました。宮沢賢治です。おはなしの最後、目の見えなくなってしまったホモイにむかって、お父さんがこう語りかけます。

 

「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」

 

 あなたの貝の火はまだ健在ですか。一生貝の火のこわれない人はいるのでしょうか。あるいはそもそもそれを授かる機会もないひとは。

 わたしはこのお父さんのようにあなたをみちびくことはきっとできません。けれどもあなたが、あなた自身をこのようになぐさめていくためのことばを見いだすお手伝いならば、もしかしたらすこしくらいはできるかもしれません。

 きついことばの気配に怯まずのびのびやれる環境で、あなたなりの知性が最大に発揮される瞬間を感じてみませんか。

 けんけんと他人をねじ伏せるためでなく、えらそうな連中の心をとろかすためでもない、ただあなた自身の魂へのいたわりの精度を向上させるための手段として、ことばの技術の探究に時間をそそいでみませんか。

 

 

 

 

 もちろんふつうに国語も教えさせてもらいます(生徒さんがいなくなったらどうしよう、そんな不安にとらわれて、あわてて書き添えてしまいました。これが大人というものです)。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月13日 13時47分

書くことについて

 講師の八柳です。書けなさにもいろいろあるようです。書きたいことがあるのなら、それを書いていけばよいのですが、どう書いてよいかわからないことも多いですよね。

 ここで締めきり日など喫緊の必要があれば、わたしは型をお伝えします。三段階構成とか四段階構成とか、序論、本論、結論……。世の中で一般的とされている文章がどんな体裁をそなえているか、それをいくつか示します。「はじめ」で主張を提示して、「なか」で根拠をつぶさに説き、「まとめ」は例えばこれからの展望なんかにふれてみる……。決まりのようなものはたしかに存在しているんですね。テクニックさえもあるんです。それを踏まえれば、推敲や書きなおしの末たしかにそれらしいものはしあがるんです。「おおー……」とわたしも思うんです。けれども内心、疑問を感じていることもたしかなんですね。書くってこんなことなのか、と。

 ほんとうは、試験も提出期限もないのなら、まずはルール無用でやってみてほしいんですよ。中身も構成もまったく決めないんです。とりあえず一文書いてみて、ことばの浮かぶままにポンポン遠慮なくつらねていくんです。考えたことを書くのでなく、書きながら考えていくんです。その結果、できあがった文章が何を言っているのかわからなくってもいいんです。読みながら、いっしょにじっくり考えてみましょう。たいがい何か見えてくるんです。気づくんです。「じつはわたし、こんなことを考えていたのか」。これが書くことの奇妙なおもしろさのひとつなんです。じぶんで思いも寄らなかったじぶんの考えが、原稿用紙に出現するんです。ただし、いつもそうなるわけではありません。これは、ノッて書いたときだけそうなるんですよ。こんなこと書いたら叱られるかな。笑われるかな。あんなふうに書かなくちゃいけないのかな。みんなはいったい、どう書いてるのかな。そんな不安にとらわれているうちは、むりなんですね。おもしろくない文章になるんです。これは作文にかぎらず、自由気ままにやれない仕事の産物は、たいてい見るに堪えないしろものなんですね。

「おもしろくない文章」のおもしろくなさの根源は、どこにあるのでしょう。それは笑いどころがないだとか、サービス精神が感じられないとか、あるいはエンターテインメント性の欠如とか……そういうことではないんですね。これはAIに文章を書かせてみるとよくわかります。ChatGPTの文章って、きわめておもしろくないんですね。それはなぜかというと、誰にでも書ける文章だからなんです。いくらでも量産可能な文章だからなんです。だから読んでいてもつまらないんですね。つまらないといっても、それはあくびをもよおすとか鼻くそをほじりたくなるとか、そういうつまらなさとはまたちょっと異質なような気がわたしはしているんです。なんだか世界の偶然性、生命の躍動性がひどくないがしろにされているような不安を覚えるんですね。不気味なんです。「死」を感じるんです。清潔な美辞とか、品行方正な決まり文句とかの器用な組みあわせのグロテスクな産物には。もっとも、これはいくらか趣味の問題でもあるのでしょう。わたしなど、三島由紀夫の小説世界のあまりにも過剰な構築性に「ウッ……」となってしまうのとちかいところがあるのかもしれません。

 もちろん誰もにおもしろい文章を書けとは言いません。試験やコンクール(コンクール向けの作文についてわたしに何かが言えるとは思えませんが)などで一定の成果をおさめたいということなら、その対策にむかっている一定の期間だけはおもしろさとは異なる価値観につくことも必要です。けれどもそのときでも、まるで社会主義国のリアリズム作家のように規範的、かつ工業的文章の量産に粛々と従事しなければならないみずからの悲喜劇的境遇を、どこか俯瞰的におもしろがりながら取り組んでいけたら、そこに、おもしろさを感じられるチャンスはあるかもしれませんね。

こんなふうに書いていて「アッ」と気がつきましたが、わたしは、誰もの精神に夜になったらひとりでに動きだすびっくりオモチャ箱が蔵されているという暴力的な楽観論をとっているわけでもありません。ちらかすことが好きなひと、ととのえることの性に合うひと、いろいろいると思うんです。けれども誰しもが、固有の深遠な宇宙をひめているという前提で、生徒さんがたと接しています。その宇宙に書くことで乗りだすも乗りださないも、かれらの「自由」です。「行くぞ」のひと意気で行けるところでもありませんし、もどるすべを知らず、月面にでも住みついてしまえばごく地上的な重力に再度適応しがたいほど精神の一部が衰弱してしまうこともありえます。それでわたしは、人をできるだけ見きわめてそれぞれに合った宇宙探検法を提案していますが、今後ますます過大になっていくことの考えられる世間的なもろもろの重圧から解き放たれるすべを体得しておくのは、小器用なプレゼン資料を手ばやく量産する技能を身につけるより、人間関係を自在に駆動するおしゃべりの魔術を習得するより、本質的に有用なことなのではないかと考えております。生きやすさとは、つまるところ、自分自身との対話の回路をどれだけ多様に持っているかということではないでしょうか。それが完全に遮断されていれば、いかに光輝ある肩書きの所有者だろうと呆気なく鬱にさえ陥ってしまうんです。「いったい人生とは」と謎めいた後悔のなかで死んでいくことにさえなりかねません。

書くことは、自由になるためのひとつのやりかたです。書くことですぐ幸福になれるわけでもありませんが、幸福の定義を拡張することはできます。これが自由のはじまりです。けばけばしく威勢のいい窮屈なことばの秒速で飛び交っている現代社会では、深くゆったりと考えるために原稿用紙のマス目を愚直に埋めていくよりすぐれた方法はあまり存在しないのが実情です。「こころが洗われるようだった」。「考えさせられるできごとだった」。こういう麗し顔した常套句たちが、あなたの苦境にあるときほんとうに、あなたを救ってくれますか。固有の地獄を生きぬくよすがになりますか。サーッと引いていくんです、そういうありきたりなことばたちは、ほんとうにつらいとき、いつの間にか姿を消している、元金持ちの、素性のしれない取り巻きたちのように。ことばは、思考そのものです。おそろしい、おぞましいことなんです、一度じぶんの果てまで徹底的に冒険してみてもいないうちに、できるだけ皆の輪からはみださない範囲で思考を済ませようなどと取り決めてしまうことは。思考は、ほとんど現実そのものですよ(すべてではありませんが)。

 わたしは、とにかくノッて書ける環境を用意したいと考えています。じっさい生徒さんがたがノッてくれているかどうかは、わかりません。今度聞いてみます。でも、とにかくもりもり書いてくれてはいます。

作品は、めちゃくちゃでもかまいません。単語の羅列でもかまいません。いっしょに読み解きます。お話を聴きます。どうすればもっと納得のいくかたちになるでしょう。いっしょに考えましょう。型や構成がなぜ要る(とされている)か、そのとき理解できるでしょう。

 ブルース・リーは、型を壊すためにはまずその型を身につけなければならないと言いました。リーはいいですよ。だって格闘技が好きなんですから。自発的に究めたいと思っているんですから。でも、文章嫌いの子がはじめっから型だのお手本だの押しつけられたところで、うんざりしてしまうのは当然なんです。放棄しちゃって当たり前なんです。そもそも書く意味がわからないんですから。意味のわからないことへは、われわれは、誰だってなかなか惹かれないでしょう。

それに、ある意味残酷な、ある意味においては幸いともいえる可能性をはらんだことですが、ある種の人たちは、型の習得、それだけに一生をついやしてしまいかねないんです。何枚書いても「巧く」なれないんです(それこそがすばらしい才能なんですが)。それでけっきょく「作文ってこころにもない嘘を書かなきゃいけないんだな」「つまんないな」というような固定観念が強固に根づいて、それはとうとう文章全般への手のつけようのない苦手意識へと繁茂していきかねないんです。

 言語活動は人間生活の基礎です。ことばは、われわれのあるじです。ことばでものを考えるというより、ことばが、ものを考えるんです。それなら、ことばの柔軟性はできるだけ高めておいたほうがいいのではないでしょうか。ことばの柔軟性を高める、それは、ことばの放牧術を心得ることです。ことばを完全に管理下に置くのでなく、さりとて野生化させるのでもなく、ことばが生じる、出てくる、つながっていく、そして、あらたなことばを呼んでくる。こういう一連のながれについて、できるだけ他人事として目をひらかれる不思議な経験を、気負わず妥協せず前のめりにもならず、つみ重ねていくということです。書きたいことのないひとでも大丈夫です。少しくらいなら書いてみてもいいかもしれないことのしっぽをいっしょに探しましょう。それもなければいっしょに困りましょう。目下まったく関係のない話をしたり、ぼんやりしたりしてみましょう。なにか出てくるかもしれません。けれども、ほんとうはそういう焦慮とかすけべ心とかは、できるだけ抱かないほうがいいんですが。どんなに期限がせまっていても、運命論的な静観が最善手であることも、時にはあるのです。望ましいのは、あなたのながれに従うことです。あなた自身のリズムに乗ることです。そのためのお手つだいをわたしはします。教師にできる最上の仕事は、けっきょくは賦活です。

 次回は、この「リズム」ということについて(あるいはそれをきっかけになにか)、気が変わらなければ、なにか考えてみたいと思います。気が変わったら、そのときに書きたいことを書きます。書きたいことがなければ、書きたくなるまで更新はひかえます。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月7日 12時47分

読むことについて

 本は読んでもいいものですし、読まなくてもいいものです。まずその前提からはじめなければ息苦しくってしかたないと思うんです。本をたくさん読んだからといってそのまま国語が得意になるわけではありません(なりがちだとはいえるでしょうが)。好きなとおりに本を読むことと、与えられた文章を緻密に読み解くことはまったくちがう作業だからです。後者がのぞましい自己投資で、前者はくだらない時間の浪費だというわけでもありません。

 また、いうまでもないことですが、本をたくさん読んだからといって知的な人間になれるわけでもありません。「まさかそんな」と思うひとは、ぜひ教室に来てください。わたしがここにいます。まぬけな読書家の好例をお見せします。

 本はたくさん読まなければならないのではないか。いろいろな物事に通じなければならないのではないかという思い込みの生じがちな世の中で暮らさねばならないのは大変なことですよね。わたしもさっき読書家を自称しておいてなんですが、興味のある本以外はぜんぜん頭に入ってこないんです。読んだそばから中身をすっぽり忘れてしまうんです。とくに自然科学とか歴史系とかはまるでだめなんですね。わたしは大隈重信というひとの銅像のある大学に修士課程まで七年通っていたのですが、いまだにそのひとがなにをどうしたひとなのかよく知らないんです。「これじゃあさすがに」と中央公論社の、シリーズ『日本の歴史』を注文して一から読みはじめてみるのですが、すぐに眠ってしまうんですね。エスタロンモカを服用してもだめなんです。いつも応仁の乱くらいで投げだしてしまうんです。「まいったなあ」と思います。あくびがでるんです。よだれが落ちたりもするんです。京の燃えているページに。

 そんな人間のいうことですから、話半分に聞いてほしいのですが、本は読みたいものだけ読めばいいんです。ぜんぶ読み通さなくてもいいんです。飽きたらやめていいんです。気になるところから読んだらいいんです。それで「おっ」となにかを感じたら、もう少しぱらぱら捲ってみてください。惹かれるところが、あるかもしれませんしないかもしれません。それも飽きたらやめてしまいましょう。むりやり読んでもなんの意味もありません。読書は労働じゃないんです。この世界ではなんでも労働と化しすぎです。本くらい気ままに捲ったらいいんです。ただ、買った本を何冊も途中で投げだしていたらお金がもったいないので、図書館をつかったらいいでしょう。いっぱい借りて、いっぱい捲って、いっぱい眺めて、飽きたらどんどん返しましょう。それをくり返すんです。記憶に残るものも、そうでないものもあるでしょう。その差がくっきりしてくるでしょう。そのうちに、じぶんの好みがわかってくるんです。「これは」という一冊と、もしかしたら遭遇するかもしれないんです(しないかもしれませんが)。そうしたら、じっくり愛読してみるのもいいでしょう。それはなんでもいいんです。マンガでもラノベでも図鑑でもマイクラの攻略本でも、なんでも読んだらいいと思います。じっくり観察してみてください。書いてあることでも、自分の気持ちでも。べつに感想文映えすることばかりを考えなくっていいんです。名著でも知的遺産でも世界的文豪の最高傑作でも、惹かれなければ気がねなく腐したらいいんです。わたしだってたとえば三島由紀夫なんか、なにがいいのかさっぱりわからないですよ。わからないことはわからないと言ったらいいんです。それはものすごく大切なことですよ。しかしわからない人を笑ったり、怒ったりしたくなる気持ちの底にはなにがひそんでいるのでしょう?

 以前授業で『セロ弾きのゴーシュ』を読んだんですね。そのなかで、かっこうがゴーシュをたずねてくるところがあるんです。それでゴーシュに、「ドレミファを教えてください」というんです。ゴーシュは、しぶしぶ教えるんですね。セロを弾くんです。それに合わせてかっこうが、「かっこう、かっこう、かっこう」と歌います。はじめゴーシュは、ちょっと馬鹿にしているんですね。なんだ、かっこう、かっこうって。ぜんぶおんなじじゃないかと。けれどもそのうち、かっこうと音を合わせつづけるうち、不安になってくるんです。あれ、なんだかおかしいな。どういうことだろう? おれがドレミファを教えてやっているはずなのに、これはもしかして、かっこうの鳴き声のほうが、歌として本物なんじゃないか? 律儀に音階をたどるおれのほうが、つまらないことをやっているんじゃないか? そんな疑念にとらわれはじめるんですね。そしてそれはゴーシュに怒りを生むんです。

 人間は、かなうなら世界をドレミファづくめにしてしまいたいと思いがちなところがあるようなんですね。古代ギリシア以来、ドレミファの光をどこまでも行きわたらせたいと望みつづけてきたようなんです。けれども当然のことですが世界にはかっこうもいるわけです。むしろ世界はかっこうでしょう。それでゴーシュは不安になったのです。不安になれるだけえらい気もします。けれどもその不安を、その底にあるものをこのときは見通すことができませんでした。それで怒ってしまったんです。脆さをかくすなら、怒りと相場がきまっているからです。

 しかしかっこうは、鳴かせようと思って鳴かせられるものでもなさそうです。また、切って棄てられるものでもありません。どこかの殿様にとってのほととぎすとは別物なんです。鳴くまで待つといったって、その待ちかたも重要なのです。

 それでわたしは教室は、できるかぎりゆったりさせておきたいと思っています(なかなかそうもいきませんが)。そうでなければかっこうの声はほとんど聴こえてこないからです。ここは必勝鉢巻を締めて絶対合格を誓ったり、最後の夏休みを天王山と表現したりするような塾ではありません。やる気のでるボタンを押下することもできません。これに関してはほんとうにごめんなさい。わたしは、「この先生のためならがんばろう」という気にさせるようなオーラやカリスマ性に、どうも欠けているようなんです。思案やためらいが常態なんです。ご本人の存在の固有性を無視した特定方向への熱烈なみちびきは、わたしにはできません。世界は宇宙空間ですから、上も下もできればないほうがいいと思っています(しかし、そうもいかないわけですが)。

 わたしは、そのときのそのひとに望ましいと思われることを、あるいはそのうちに身につけてみてもよさそうなことを、そのひとに合ったやりかたで、わたしの力のゆるす範囲で、あるときははっきりと、あるときはまわりくどくお伝えしようと試みさせてもらっています。それだけでいっぱいいっぱいです。それはうまくいくこともありますし、うまくいかないこともあります。けれども大きな塾の苦手なかた、国語の勉強の苦手なかた、それで劣等感を覚えてしまっているかた、成績はよくても世の中のことばになにか違和感のあるかた、読むことや書くことの勉強を真剣にしたいかた、そういうかたがたにとっては、もしかしたらそう居心地のわるい場所というわけでもないかもしれません。ぜひ、ご連絡ください。いっしょにゆったり勉強してみましょう。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月6日 13時52分

2024年冬学期授業開始

こんにちは。講師の八柳です。今日から新学期の授業がはじまります。このあいだ塾長も書いていましたが、現在わたしがほぼすべての授業を受け持っています。今学期の時間割は、以下の通りです。

 

・火曜日 16時~17時 小学生基礎クラス

     17時~19時 寺子屋式クラス

     19時~21時 中学生クラス

 

・金曜日 16時~17時 小学生基礎クラス

     17時~19時 作文・精読クラス

      19時~21時 高校生クラス

 

 ・土曜日 14時~16時 寺子屋式クラス

      16時~18時 寺子屋式クラス

 

 金曜日の「作文・精読」以外はすべていわゆる個別指導形式です。

さまざまなレベルの記述式読解問題(小学二年生くらいから大学受験生まで)、いろいろな趣向の作文問題(与えられた語彙をつかっておはなしを書くもの、テーマに従って意見を述べるもの、主張を読み取って要約するものなど)をご用意してはいますが、ご家庭や生徒さんのご要望に応じて、柔軟に対応いたします。

学校の宿題を教えてほしい、テスト直前なので対策がしたい、読書感想文が書けなくてこまっている、志望校の過去問演習をしてほしい、国語よりも英語を教えてほしいなど……。ちいさな塾ですから、いつも目の前のその人に合った内容を、できるかぎりその時にふさわしいやり方で、ご提供いたします。

 教室の雰囲気でいいますと、おおむねなごやかです。わたしは、人間の最大の知性が発揮されるのは、その人の精神がもっとも自由なときであると考えています。もちろん、それは何でも好き放題にやっていいなどという意味ではありません。例えば存分に居眠りしてよいだとか、スマホゲームにふけってよいということではありえません。そういうとき、人は多くの場合ある種の衝動に支配されているのであって、むしろ自由からかぎりなく遠い状態にあるからです。

 おなじように、「やれ」と言われてやっている状態、不安、恐怖、焦り、虚栄心など、ネガティブな情動に支配されて勉強をしている状態では、人は多くのことを学びとることは決してできません。知識や情報のごときものはいくらかインプット可能かもしれませんが、それをぞんぶんに生かしていくための気力や創造性が死滅してしまいます。これはあまりに大きな代償ではないでしょうか。

 ちょっと誰かが立ち歩いたからといって、少しおしゃべりが起こったからといって、それがなんだというのでしょう。われわれは、いつなにが起こるのかわからない世界に生きているのであり、それは教室のなかでも同様です。雑談からも、ホワイトボードのラクガキからも、学べることはあります。声を荒らげて叱りつければ子どもたちは黙って座ってくれるかもしれませんが、気まずい空気のなか書いた作文がおもしろくなるでしょうか。わたしは、正直なところ「困ったなあ……」とまったく思わないわけでもないのですが、それでも「クラスが崩壊することはないだろう」と根っこのところでは生徒さんがたを信頼しています(じっさい、五分もたてば彼らは前にも増して集中しはじめるのです)。

 わたしは、教室に来てくれる生徒さんがたに、ことばの最も厳密な意味で「自由」に学べる環境を提供し、やる気がでたり、でなかったりする授業のなかで、じぶんの内なる「知性」のかたちを見いだしてほしいと願っています。知性というのは、高いとか低いとかいって比べられるものでなく、測定可能なものでなく、恒常不変なものでなく、万人に一律なものでもない――そうでなく、時により生じたり、生じなかったりするものなのだ。誰にでもそれぞれにその人なりのかしこさと愚かさとが、混然とそなわっているものなのだ。そういうことを実感してほしいと思っています。そして皆さん、じぶん固有の知性ができるだけ発揮される機会の多いその方向に、悠々と、自信をもって、独自の人生を生きていってほしいと思っています。

 そのためにわたしが有効だと考えているのが、ことばの勉強です。ことばはわれわれ人間にとって、ただひとつの、現実発見の手段です。われわれの認識は、わたしなどが言うまでもなく、ことばによっておこなわれています。生徒さんがたにはたくさんのことばを知ってほしいと思います。そしてたくさんの違和感を抱いてほしいと思います。なんか、むしゃくしゃする……。なんか、もやもやする……。怒り……? いや……。悲しみ……? こんなふうに、自分の見たもの、聴いたこと、感じたことについて、たくさんもどかしさを覚えてください。そしてことばをどんどん緻密化していってください。「チェスが下手だからといって、チェスのルールにけちをつけるのは不毛だ」と作家のモームがたしかどこかに書いていました(わたしの記憶ちがいかもしれませんが)。しかしわたしはそうは思いません。皆さんは、納得いかないことについて、精緻にけちをつけられるようになってください。「私はそもそもチェスなんてやりたいと言ったろうか?」と、根源的な思索をはじめられるようになってください。世界がチェス盤でなく、ビリヤード台や野球場、まったくの更地だった可能性について、強度ある想像力を駆使できるようになってください。

「社会貢献」「多様性」「SDGs」「利他」そういう簡便な、社会的威光をともなった流行語でなにかを思考した気になどならないでください。慣用句だとか故事成語、「知的な上級語彙」、「うつくしい大和ことば」のたぐいなど、したり顔で弄するようにはならないでください。それよりも、まずは自分のことばを発見してください。そして自分の現実を発見してください。

 さっき、ぱらぱらカフカ(作家です)の日記を捲っていましたら、こんな一節が目につきました。「世界と自己とが対立する場合、世界の側に就くこと」。カフカの真意はわたしにはわかりませんが、わたしは、ことばの勉強においてはまず徹底的に自己の側に就いてみてもよいのではないかと思います。もちろん、独り善がりの世界に閉じこもるということではありません。結果的に、それが「世界の側に就く」ことにもつながると感じます。

 以前、アンコールワットに行ったとき、石壁にラーヴァナという鬼神のすがたが彫りこまれていました。これは頭が十、腕が二十もある怪物です。「どうしてこんなすがたに」ということを、ガイドさんが説明してくれて、たしかラーマーヤナという叙事詩にも書いてあったのですが、もともと人間だったラーヴァナは、修行をものすごくがんばったので、神が来て、「なんでも望みをかなえてやる」と言ったところ、「不死身にしてくれ」と望み、それがかなえられてすべての頭をいっぺんに斬られないかぎり死なない(という話だったとたしか思います)あんな肉体を手に入れたのだそうです。それで、その所望した不死のからだで何をしているかというと、他人の妻をさらったり、征服戦争に明け暮れたりしているのです。

 その話を知ったとき、わたしが思ったのは、「ラーヴァナは、国語教室に通うべきだった」ということでした。もっとも、こんな化け物に訪ねて来られても、わたしはサンスクリットも初歩しかわかりませんし、じょうずに対応できる自信もないのですが。

 しかし、どうしてラーヴァナは望みを問われたとき、もっとましなことが言えなかったのでしょう。頭はいくつあってもせいぜい頭です。支配領域もたかだか土地でしょう。不死にせよ、それについてくる権力にせよ富にせよ、修業の果てに望むにはきわめて凡庸です。もっとぶっ飛んだことに思いを遣ってみたらよかったのではないでしょうか。別な世界、異質な宇宙。新天地。見たこともない動物たち、きいたこともない音楽、味わったことのない感情……。そういうものを、想像してみられたらよかったのではないでしょうか。しかし、できなかったのです。ラーヴァナは、「なんでも望みを叶えてやると言われた人が言いそうな(言うべき)こと」についてはよく知っていたのですが、自分固有の望みについてはなにも知らなかったのです。それを見いだすことばを、持たなかったのです。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2024年9月3日 14時03分

塾の現状について

このたび、塾長による国語の参考書『中学生からの国語の勉強法』(ナツメ社)が出版されました。

塾長は数年前から講談師に転身しまして、塾の運営および授業は専任講師の八柳に委ねております。

塾は規模を縮小させ、授業内容も八柳の能力と特性を存分に生かせるものに変えています。

こちらのホームページ記載の情報は古いため、現状には、ご興味をお持ちの方のご希望にそぐわない点が多々あるかもしれません。

2024年現在、塾長は授業を受け持っておりません。

また、生徒はごく少人数しか受け入れられません。

難関校受験に向けての指導やエリート指向の教育もできません。

国語、勉強、自己表現、大きな塾での学習などが苦手な方に適した教室です。

八柳が限られた生徒ひとりひとりと丁寧に向き合って指導します。

そのような状況ですが、ご希望に沿えそうな方はお気軽にお問い合わせください。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2024年8月11日 18時46分

2024年度夏期講習のご案内

ご無沙汰しております。講師の八柳です。

 

しばらく更新が滞っておりまして、大変失礼いたしました。

 

パソコンもスマートフォンも苦手なので、なかなか作業にかかれずにいました。ホームページの内容も、現在の実情にそぐわないところが多々ありますので、すこしずつ修正していかなければならないのですが、どうしてよいかわかりません。

 

そんなことを金曜17時~19時「作文・精読クラス」の生徒さんがたに相談したところ、それはいけない、宣伝は大事だということで、こんなものをつくってくれました。

 

 

 

 

「国語にお悩みの方へ 朗報です‼

フィロソフィア国語塾にご入会ください。

 

入塾者の声 4年生K・Mさん

自由なふんいきで楽しく学ぶことができました。

 

6年生K・Aさん

先生の分かりやすいコンパクトな解説や的確な課題で、成績が大きくのびました‼

 

6年生S・Aさん

受験勉強もはかどり、作文を他学年と交流することができ、とてもいい塾です」。

 

 

ありがとうございます。「言葉足らずな」を「コンパクトな」と言い換えるなど、表現のしかたを工夫してくれました。見事だと思います。

 

「朗報」といえるかはわかりませんが、2024年度の、夏期講習のご案内をさせてください。

以下の日時で開講いたします。

 

【日程】

7月23日、26日、27日、30日、8月2日、3日、6日、9日、10日、13日、16日、17日、19日、21日、22日、27日、30日、31日

 

 

【時間割】

①10:00~12:00

②13:00~15:00

③15:00~17:00

 

【受講料】

1時間2000円

2時間4000円

 

授業のやり方はすべて「寺子屋式」といって、いわゆる個別指導形式です。

小学校低学年生から大学受験浪人生まで、幅広く受け容れております。

学校の宿題を見てほしい、苦手克服に取り組みたいなど、各ご家庭のさまざまなご要望に柔軟にご対応いたします。

お電話だと出られない場合が多いので、お問い合わせは以下のメールアドレスまでよろしくお願いいたします。

 

philo@kokugokyousitsu.com

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 講習会のお知らせ  投稿日時: 2024年6月28日 14時24分

冬期講習のご案内

2022年度冬期講習は、12月26日~1月7日に開講します。

時間割は以下の通りです。

今回の講習では、全ての授業が、寺子屋式または志望校対策個別対応型です。

少人数クラスで、各生徒のレベルと希望に合わせて授業をご提供します。

詳細はご相談ください。

受講料は1コマあたり4000円、新規入塾生は他に入塾料5000円が必要です。

 

12月26日 

      10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

12月27日 

         10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

12月28日 

           10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

12月29日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

1月5日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

 1月6日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

1月7日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 寺子屋式(全学年)

      15時~17時 寺子屋式(全学年)

     

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2022年12月5日 17時54分

夏期講習のご案内 2022年度

今年の夏期講習7月25日~8月31日まで開講します。

以下の時間割をご参照の上、メールでお申込みください。

受講料は1コマ(2時間)あたり4000円、新規参加の方は入塾料5000円が必要です。

 

〈西荻教室 講座一覧〉

 

7月25日~27日 

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 論述特訓(小5~中3)

15:00~17:00 現代文特訓(高1~大学受験生)

 

8月1日~3日 

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

15:00~17:00 中学国語(中1~中3)

17:00~19:00 古文特訓(高1~大学受験生)

 

8月8日~10日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 論述特訓(小5~中3)

15:00~17:00 現代文特訓(高1~大学受験生)

 

8月11日~13日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 古文特訓(高1~大学受験生)

 

8月15日~17日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

15:00~17:00 中学国語(中1~中3)

17:00~19:00 漢文特訓(高1~大学受験生)

 

8月22日~24日 

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 論述特訓(小6~中3)

15:00~17:00 現代文特訓(高1~大学受験生)

 

8月25日~27日 

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 古文特訓(高1~大学受験生)

 

8月29日~31日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

15:00~17:00 中学国語(中1~中3)

17:00~19:00 漢文特訓(高1~大学受験生)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2022年6月30日 21時38分

2022年春期講習のご案内

今学期の通常授業3月22日までです。

3月25日から4月5日にかけて春期講習を開講します。

時間割は以下の通りです。

今回の講習では、すべての講座を「寺子屋式」にしてあります。

各生徒の状況・希望にあわせて柔軟に授業を提供します。

受講料は1コマ(2時間)あたり4000円です。

初めて受講する場合は、別に入塾料5000円が必要です。

教室場所は西荻教室です。

詳細はメール等でお問い合わせください。

 

3月25日~26日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年)

15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 

3月29日~4月2日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年)

15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

17:00~19:00 寺子屋式(全学年)

 

4月4日~4月5日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 寺木屋式(全学年)

15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2022年3月4日 19時52分

2021年冬期講習のご案内

12月26日~1月10日にかけて冬期講習を開講します。

時間割は以下の通りです。

 

【西荻教室】

12月26日 

      10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 小学国語標準(小4~小6)

      15時~17時 古文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

12月27日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 小学国語標準(小4~小6)

      15時~17時 古文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

12月28日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 中学国語標準(中1~中3)

      15時~17時 現代文読解(高1~高3)

 

12月29日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 中学国語標準(中1~中3)

      15時~17時 現代文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

 1月5日  

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 小学国語標準(小4~小6)

      15時~17時 古文読解(高1~高3)

 

 1月6日  

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 小学国語標準(小4~小6)

      15時~17時 古文読解(高1~高3)

 

 1月7日  

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 小学国語標準(小4~小6)

      15時~17時 現代文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

 1月8日  

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 小学国語標準(小4~小6)

      15時~17時 現代文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

 1月9日  

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 中学国語標準(中1~中3)

      15時~17時 漢文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

 1月10日 

            10時~12時 寺子屋式(全学年)

      13時~15時 中学国語標準(中1~中3)

      17時~19時 漢文読解(高1~高3)

      17時~19時 志望校対策(受験生)

 

お申込みは1コマから可能で、受講料は1コマ2時間あたり4000円です。

初めてご参加いただく場合は、別に入塾料5000円が必要です。

お申込みやご質問はメールでご連絡願います。

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2021年11月29日 22時46分

構成メモをつくろう

こんにちは。講師の鈴木です。

今回は前回のアイデアメモにつづき、「構成メモ」をつくる授業をご紹介します。

 

 

長い作文を書く場合、読み手にとってわかりやすく読みごたえのある作文にするためには、構成への意識が欠かせません。

授業ではまず、よくある構成として「三段階構成(はじめ・なか・おわり)」と「四段階構成(起・承・転・結)」を説明し、

「なか」や「転」の部分を詳しく書いて盛り上げる山場にするとよいことを話しました。

 

 

そして、アイデアメモから書く内容を取捨選択してテーマをしぼり、わかりやすい順番になるように構成メモをつくります。

テーマをしぼる際には、山場の内容を何にするかを考えます。

 

 

授業では、自分が前回の授業で実際に書いたアイデアメモをもとに、一つのお題から二種類の構成メモをつくるという課題に取り組んでもらいました。

以下、生徒が実際に書いた構成メモをご紹介します。

 

**(構成メモ:その1)********************

テーマ・・・おばあちゃんの家のそばを散歩したこと

≪山場・・・カエルをつかまえたところ≫

 

① 散歩へ出かけた

  ・ 雨がふっていた。  

  ・ いとことそのお母さんと一緒に言った。

② カエルをつかまえようとした

  ・ ちいさいカエル

  ・ ぴょんぴょんはねてつかまえにくかった。

  ・ 周りの草の色も緑でどこにいるのか分かりにくい。

  ・ 止まっているところをねらい、手でつかまえた。

  ・ 2ひきつかまえた。

  ・ 虫かごがなくて虫取りあみに入れて持って帰った。

③ 家に帰った

  ・ お母さんにカエルを見せてびっくりさせた。

  ・ カエルはにげてしまった。

**************************************

 

この生徒は、夏休みにおばあちゃんが住む長野県へ出かけたときの様々な出来事をアイデアメモに書き、

その中から散歩の途中にカエルと出会ったことをテーマに選びました。

カエルと捕まえたときの様子を細かく思い出し、詳しくメモにすることが出来ています!

ただ、三段階の「なか」の部分が盛りだくさんなので、起承転結の四段階構成に変え、

1匹目のカエルを捕まえようと悪戦苦闘した部分を山場とすると、もっと読みやすくなるでしょう。

 

 

**(構成メモ:その2)********************

テーマ・・・テニスの練習試合

≪山場・・・デュースでのねばり≫

 

① テニスの練習試合について

  ・ 勝たないとこの先優勝の確率が低くなる。

  ・ 緊張してドキドキ。

② はじまり

  ・ 最初の方はリードしていた。

  ・ このままいけば、勝てる。

③ ねばる

  ・ 追いつかれてしまいデュースに。

  ・ とにかくねばる→強く打てなくてもいいからひたすら返す

  ・ 9点で終わるところが、16点まで続いた。

  ・ 負けてしまった

④ 負けた気持ち

  ・ ねばったのに負けてくやしい。

  ・ 優勝できないかもしれない。

*************************************

 

この生徒の夏休みは、テニス漬けの毎日だったそう!

アイデアメモの段階では、練習や大会のことなど書きたいことがたくさん出てきたのですが、

字数の限られた作文を書く場合には、1つの大会、できれば1試合に絞りその中身を詳しく書いた方が面白くなることを話し、特に印象的だったこの1試合を選んで構成メモを作りました。

「とにかくねばる」場面を山場として、分かりやすい構成でまとめることができています。

さらに、デュースが続いたときの緊張感や体の感覚、相手の様子なども加えると、臨場感のある作文ができることでしょう。

 

 

このように、構成メモをつくる作業を通じて、作文のテーマと一番盛り上げるべき山場をはっきりさせることができます。

構成メモはこの後作文を書いていく上での設計図のようなもの。

たとえば、山場以外の部分が山場よりも多い文量になってしまうのは書きすぎだと分かるし、

テーマから逸れるということも起こりづらくなります。

 

 

授業では現在、学期末のまとめとして2000字作文を書くべく、メモづくり・下書きに奮闘中。

生徒たちは、長くなればなるほどメモ作りが大事になること、きちんとした構成メモがあれば楽に作文を書き進めていけることを実感してくれているようです。

 

 

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介 未分類  投稿日時: 2021年11月20日 18時09分

アイデアメモをつくろう

こんにちは!講師の鈴木です。

爽やかな秋晴れが続き、ぽかぽかの陽気に誘われるままに外に出るのがなんとも心地よい季節ですね。

少し外出しやすくなったこともあり、街ゆく人々の表情も心なしか明るく見えます。

 

 

さて、土曜日クラスの作文教室では、この2学期に「600字作文道場」の一環として、作文メモづくりの練習をしています。

作文を書く前に必要なのが、アイデアメモ構成メモ

与えられたテーマに対して思いついたことを気の向くままに書いたのでは、なかなか面白い作文にはなりません。

特に、長い作文を書く場合には、作文の内容を充実させ読ませどころを意識してつくるために、メモづくりが必須です。

アイデアメモはアイデアを広げて書く内容を決めるためのメモで、構成メモはわかりやすい構成にして読ませどころを決めるためのメモです。

 

 

授業ではまず、アイデアメモの練習から始めました。

使うのはマッピングの手法。

中央にお題を書き、そこから思いつくアイデアを単語レベルで出し、線でつないでいきます。

たとえば、「運動会」というお題の場合。

はじめはこのように思いついたことを書いていきます。

 

 

 

ここからどんどんアイデアを広げていくわけですが、そのときのポイントは、なるべく細かく具体的に書くこと。

時間を細かく区切る以前の様子を思い出すなどして、多くの項目に分けて書くとよいことを説明しました。

以下の例のように、100m走や騎馬戦の練習の様子を「1位でゴール」とか「大変だった」というように一言でまとめてしまうのではなく、スタートからゴールまでの過程を細かく分けたり、何が大変だったのかをくわしく書いたりして、メモを膨らませます。

 

 

    

 

     

 

 

ただし、メモに書いたアイデアを全て作文にする必要はありません

アイデアメモは、あくまで書く内容を決めるためのメモ。

自分で「このときこんなことがあったな」「こんな気持ちだった」などと思いだし、作文のテーマになるような面白いネタを探す作業です。

 

 

目標は、一枚の白い紙いっぱいをメモで埋めて真っ黒にすること

こう生徒たちに伝えると、黙々と手を動かしどんどんメモが広がっていきました。

鉛筆が止まってしまったときは、一回全体を俯瞰し膨らませるべき部分を一緒に考え、アドバイスをします。

「夏休み」「マスク」といった様々なお題に対し、それぞれが自分だけのアイデアメモを完成させました。

 

 

下の画像は、授業内で生徒が書いた「マスク」というお題のアイデアメモです。

見やすいように配置を直して書き換えてありますが、内容は実際の生徒のもの。

マスクをつけたままの学校生活での不便、そして新たな楽しみなど、メモを膨らませるという作業をしたからこそのアイデアが出てきました。

このアイデアメモから、何種類もの作文が書けそうです。
 

 

アイデアメモが書けたら、次は構成メモへと移ります。

たくさん出てきたアイデアを取捨選択して作文のテーマをしぼり、わかりやすい順番になるように構成メモを作ります。

その様子はまた次の記事でご紹介します!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2021年11月13日 18時13分

400字作文道場

こんにちは。講師の鈴木です。

 

今回は、土曜日の精読作文クラスの授業の様子をご紹介します。

15分で原稿用紙1枚分の読みごたえのある作文を書くことを目標にした、1学期の「400字作文道場」。

なかなか鉛筆が進まない生徒もいるだろうと思っていたのですが、タイマーで時間を計ることで良い緊張感が生まれ、ほぼ毎回の授業で全員が400字を書ききることができました。

 

また、「五感を使って表現する」「比喩やオノマトペを用いる」など、授業で習ったコツをうまく取り入れ、生き生きとした表現が見られるように。

書き出しを工夫する」の回では、読み手の興味をひく書き出し方を学び、楽しみながら練習しました。

 

「 最近久々におこった。なぜなら、担任の先生が理不尽だからだ。 」

「 『ぜったいに会おうね。』ぼくは約束した。

  2月の初め、先生から大事な話があると言われ、みんなは先生の方に目を向けた。 」

「 ぼくはヤツに出会ってから変わった。その『ヤツ』とは、ハチだ。 」

「 『満員できついよー。』

      ぼくは電車にのっている。ホームでうろうろしていると電車が発車するというアナウンスが聞こえたので、大急ぎで電車に乗りこんだ。 」

 

どれも生徒が実際に書いた作文の書き出しです。

続きが読みたくなってきませんか?

 

6月からは、前の回で書いた全員の作文を印刷し、みんなで読んで講評する時間も設けました。

プリントを配ると、みんな食い入るように読み始めます。

そして、赤ペンを使い、面白い箇所に傍線を引いたり、分かりづらい箇所を直したりして添削します。

ほかの生徒の作文に刺激を受け、また、自分の書いた作文も時間を空けて客観的に読み直すことで、より読みごたえのあるものにするにはどうしたらいいのかを、具体的に学ぶことができました。

 

さて、そうした1学期を経て、2学期の精読作文クラスでは、字数を少し増やして「600字作文道場」に挑戦中です。

長い作文を書くときに特に必要なのは、構成への意識と、読ませどころの工夫

「600字作文道場」については次の記事でご紹介したいと思います。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2021年10月9日 18時48分

新学期の授業日程

2021年2学期の通常授業は9月3日(金)から開講します。

各クラスの授業日程は以下の通りです。

 

月曜クラス 9月6日~12月20日

火曜クラス 9月7日~12月21日

金曜クラス 9月3日~12月17日

土曜クラス 9月4日~12月18日

 

子どもの間でも新型コロナの感染が拡大しています。

教室内の消毒・換気に努めますが、

通塾には感染リスクが伴います

ご無理なさらず、体調管理に気をつけてご参加ください。

状況に応じて、休校措置をとることもありえますのでご了承ください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2021年8月30日 12時19分

通塾に伴う感染リスクについて

 

新型コロナウィルス感染拡大が、いっそう懸念されております。

 

入室時の消毒・検温にご協力いただき、教室内の換気・消毒を心がけますが、

 

通塾には感染リスクが伴うことをご了承ください。

 

発熱・咳などの症状がある場合はもちろん、

 

少しでも体調の悪い際は、決して無理なさらず、お休みなさってください。

 

また、講師が体調不良の場合は、

 

休講・代講の措置をとりますのでご了承ください。

 

状況に応じて臨時休校となる可能性もあります。

 

欠席や休講の際の自習方法や補講については個別に相談に応じますので、お気軽にご連絡ください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2021年8月28日 18時54分

夏期講習のご案内

2021年度の夏期講習は、7月26日から8月31日まで開講します。

今回の講習は、1コマずつ授業を選んでお申込みいただける設定にしました。

ご都合のよろしいように授業を組み合わせてお申込み下さい。

受講料は1コマ2時間あたり4000円です。

 ※1時間授業(「小学国語基礎」)は2000円です。

 ※「夏の補習教室」はご希望の時間ご参加可能です。2000円×時間が受講料です。

 ※新規受講生は他に入塾料5000円が必要です。

 ※受講料と入塾料以外の経費は不要です。

ご相談があればお気軽にご連絡ください。

 

 

〈西荻教室の講座〉

7月26日 

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 夏の精読教室(中1~中3)

 17:00~19:00 古文読解(高1~高3)

 

7月27日 

 10:00~12:00 現代文読解(高1~高3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 小学国語発展(小5~小6)

 19:00~21:00 中学国語標準(中1~中3)

 

7月28日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 現代文特訓(高2~高3)

 19:00~21:00 古文特訓(高2~高3)

 

7月29日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 現代文特訓(高2~高3)

 19:00~21:00 古文特訓(高2~高3)

 

7月30日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

 15:00~17:00 夏の論述教室(小5~中3)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

7月31日 

 10:00~12:00 現代文読解(高1~高3)

 13:00~15:00 寺子屋式(全学年)

 15:00~17:00 小学国語発展(小5~小6)

 17:00~19:00 小学国語標準(小4~小6)

 19:00~21:00 中学国語標準(中1~中3)

 

8月2日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

 15:00~17:00 夏の論述教室(小5~中3)

 17:00~19:00 現代文特訓(高2~高3)

 

8月3日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 中学国語標準(中1~中3)

 17:00~19:00 古文入門(中3~高3)

 19:00~21:00 現代文読解(高1~高3)

 

8月4日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 中学国語標準(中1~中3)

 17:00~19:00 古文入門(中3~高3)

 19:00~21:00 現代文読解(高1~高3)

 

8月5日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

 15:00~17:00 夏の論述教室(小5~中3)

 17:00~19:00 現代文特訓(高2~高3)

 

8月6日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 小学国語発展(小5~小6)

 17:00~19:00 古文読解(高1~高3)

 

8月7日 

 10:00~12:00 現代文読解(高1~高3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 小学国語発展(小5~小6)

 17:00~19:00 寺子屋式(全学年)

 19:00~21:00 中学国語標準(中1~中3)

 

8月9日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 漢文読解(高1~高3)

 17:00~19:00 古文読解(高1~高3)

 

8月10日 

 10:00~12:00 現代文読解(高1~高3)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 小学国語標準(小4~小6)

 19:00~21:00 漢文読解(高1~高3)

 

8月11日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 夏の精読教室(中1~中3)

 17:00~19:00 古文特訓(高2~高3)

 

8月12日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 夏の精読教室(中1~中3)

 17:00~19:00 古文特訓(高2~高3)

 

8月13日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 夏の精読教室(中1~中3)

 17:00~19:00 古文特訓(高2~高3)

 

8月14日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

 15:00~17:00 夏の論述教室(小5~中3)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

8月16日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 中学国語標準(中1~中3)

 17:00~19:00 古文読解(高1~高3)

 19:00~21:00 漢文読解(高1~高3)

 

8月17日 

 10:00~12:00 古文入門(中3~高3)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 古文読解(高1~高3)

 19:00~21:00 漢文読解(高1~高3)

 

8月18日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 夏の精読教室(小4~小6)

 17:00~19:00 現代文特訓(高2~高3)

 

8月19日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 夏の精読教室(小4~小6)

 17:00~19:00 現代文特訓(高2~高3)

 

8月20日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 19:00~21:00 古文読解(高1~高3)

 

8月21日 

10:00~16:00 夏の補習教室(全学年)

 

8月23日 

 11:00~12:00 小学国語基礎(小1~小3)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 古文特訓(高2~高3)

 19:00~21:00 現代文特訓(高2~高3)

 

8月24日 

 10:00~12:00 中学国語標準(中1~中3)

 13:00~15:00 小学国語発展(小5~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 古文特訓(高2~高3)

 19:00~21:00 現代文特訓(高2~高3)

 

8月25日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 夏の精読教室(小4~小6)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

8月26日 

 10:00~12:00 寺子屋式(寺子屋式)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 夏の精読教室(小4~小6)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

8月27日 

 10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

 13:00~15:00 夏の論述教室(小5~中3)

 15:00~17:00 夏の精読教室(小4~小6)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

8月28日 

 10:00~12:00 中学国語標準(中1~中3)

 13:00~15:00 小学国語標準(小4~小6)

 15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 19:00~21:00 古文読解(高1~高3)

 

8月30日 

10:00~16:00 夏の補習教室(全学年)

 

8月31日 

10:00~16:00 夏の補習教室(全学年)

 

〈宮前教室の講座〉

※宮前教室の講習は全て寺子屋式です。

7月26日~30日 

10時~12時 14時~16時 16時~18時

8月9日~10日

10時~12時 14時~16時

8月16日~20日

10時~12時

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2021年6月30日 13時26分

金曜日クラスのご紹介

こんにちは、講師の八柳です。

 

今回は、金曜日17:00~21:00の「作文・精読クラス」についてご紹介します。

講座名の通り、このクラスでは小学生(中・高学年生)の生徒さんたちに、

「作文」と「精読」とに交互に取り組んでもらっています。

 

精読とは、ひとつの作品を、時間をかけてじっくりていねいに読むことです。

だいたい二、三十ページほどの短編小説童話を、一学期かけて精密に読み解いていきながら、

語彙、漢字、表現技法といった知識を習得したり、

「このときの〇〇の気持ちを説明しなさい」

「このとき××がこのような行動をとったのはなぜですか」

のような記述問題への答えかたのコツを身につけたりしていきます。

今期は、宮沢賢治の「貝の火」という童話を読みすすめてきました。

授業は、こちらで一文ずつ声にだして読みあげながら、

そのつど大切だと思われることがらにはっきり注意を促していくかたちですすめますので、

黙読が苦手なお子さん、集中のとぎれがちなお子さんにも安心してご参加いただけます。

 

作文の回は、今学期はとくに「小説を書こう」というテーマのもと、最終的には原稿用紙二、三十枚ほどの短編作品を書きあげてもらうことを目標に、さまざまな文章表現のトレーニングをしてもらっています。

たとえば、前回の課題は「人物描写をしてみよう」。

やさしい、つめたい、器用な、かわいらしい、うそつきな、めんどうくさがりな、

などといった抽象的な言葉に頼らず、

具体的な状況やしぐさを書きこむことによってある人物の性格をいきいきと浮かびあがらせる練習をしました。

ある生徒さんは人物の「かしこさ」を表現するために

本でいっぱいの部屋や学校での理知的な会話を描写してくれましたし、

朝食の献立のような一見どうでもいいことについて異様なほどネチネチと細叙することで

語り手の「神経質さ」をあらわしてくれた生徒さんもいました。

このようにして培った技術は小説を書くような特殊な場合だけでなく、

ふだん学校で作文を書くときにも役立ちます。

たとえば家族について書くとき、「お母さんはやさしい人だ」のひと言で説明してしまうよりも、

「お母さんはぼくがテストで0点をとっても『大きなマルが一つもらえたじゃない』と笑ってくれる」

などと具体的な言動を描写したほうが、作文はずっとおもしろいものになるでしょう。

 

生徒さんに書いてもらった文章は、誤字・脱字など基本的なことについてはその場で添削し、

内容については、「ここはどういうことが書きたかったのか?」「なにを表現したかったのか?

などといった問いかけに答えてもらいながら、

対話を通して、より読みごたえのあるものへと練りあげていきます。

 

学校で書いた作文などについてもしご希望があれば、

そちらについてもぜひ、読ませていただきたいと思います。

 

 金曜 作文・精読クラス

 17:00~19:00 西荻教室

 参加者募集中です。

 体験授業もおこなっておりますので、お気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2021年6月22日 19時22分

土曜日授業に復帰しました

こんにちは!講師の鈴木です。

2019年12月からの産休・育休を経て、今年の4月に復帰しました。

第一子である息子を出産してからガラリと日常が変わり、約1年間子ども中心の毎日を過ごしてきたのですが、

今年度からまた授業を担当することとなりました。

 

4月最初の授業日に、久しぶりに腕時計とスーツのベルトを身につけたことが嬉しく、

また、生徒たちとの会話も新鮮で(いつもは宇宙語?の1歳児と話しているもので…)

やっぱり仕事っていいなあと実感しています。

復帰できることに感謝しつつ、気持ちを新たに頑張っていきたいと思います。

 

さて、今年度は西荻教室で土曜日に 寺子屋式授業 と 作文精読教室 を担当しています。

作文精読教室の作文の時間、「400字作文道場」と題して

原稿用紙一枚分の読みごたえのある作文を15分で書けるようになることを目標に取り組んでいます。

 

「原稿用紙を前にすると鉛筆が止まってしまう…」

「出来事をただ書くだけならいいけれど、どう膨らませたらいいかわからない…」

という作文の悩みは多くの人が経験していることでしょう。

私も、小学校高学年から作文の宿題が嫌になりはじめた記憶が……。

 

しかし、ちょっとしたコツ練習で、読みごたえのある自分らしい作文を書けるようになります。

今学期は特に「くわしく書く」「生き生きと書く」ことに重点を置き

そのコツを練習問題に取り組みながら学びます。

たとえば、できるだけ細かく書く五感をつかって表現する気持ちをくわしく書く比喩やオノマトペを用いる、など。

テクニックというのではなく、自分で作文を書く際のヒントにしてほしいと思っています。

 

また、実際に時間を計って作文を書くことを繰り返し、400字作文に慣れ

様々なテーマで自分の体験や考えを効果的に表現できるようになることを目指します。

 

いわゆる「いい子」の作文は面白くありません。

生徒たちには「こんなこと書いていいのかな」と思わず、日常のちょっとしたことこそ書いてほしい。

子どもでも大人でも、思いを言葉で表現し相手にわかってもらうことには大きな喜びがあるはず

その喜びを感じてほしい。

こんな思いで授業をしています。

生徒たちの生活経験や思いに寄り添いながら、どうやったらそれを生き生きと書くことができるのか

一緒に考え、アドバイスしていきます。

 

今学期から、またどうぞよろしくお願いいたします。

 

★ 土曜日クラス (西荻教室)

14時~16時 寺子屋式授業

16時~18時 作文精読教室

 

どちらもまだ若干名空きがあります!
体験授業はいつでも承っております。

お気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介 未分類  投稿日時: 2021年4月27日 14時25分

新クラス開講のお知らせ

2021年4月から、西荻教室土曜日新しいクラスを開講します。

 

14時~16時 寺子屋式(全学年対応4名まで)

16時~18時 作文・精読教室(小学4年生~6年生)

 

寺子屋式クラスでは、各生徒にあわせて個別に教材を用意し、柔軟に授業を進めます。

作文・精読クラスでは、毎回1時間ずつ、作文と精読の授業を行います。

作文の授業は、「400字作文道場」と題して、

原稿用紙1枚の読みごたえのある文章を15分以内に書きあげることを目指して練習に取り組みます。

精読の授業では、宮沢賢治、芥川龍之介、新美南吉などの古典的な児童文学を題材に、

文章をじっくりと丁寧に読み解きながら、記述答案作成の練習に取り組みます。

初回の授業は4月10日です。

受講をご希望の方はメール等でお問い合わせください。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2021年3月10日 16時00分

春期講習のご案内

今学期の通常授業は3月13日までで、

3月22日から4月3日までは春期講習期間となります。

講習は、以下の通りに開講します。

教室場所は西荻教室です。

 

3月22日~24日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 春の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 論述特訓(中1~中3)

17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

3月25日~27日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 春の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 論述特訓(中1~中3)

17:00~19:00 漢文読解(高1~高3)

 

3月29日~31日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 春の精読教室(小5~中2)

15:00~17:00 古文基礎(中3~高1)

17:00~19:00 現代文読解(高1~高3)

 

4月1日~4月3日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 春の文法教室(小6~中3)

15:00~17:00 古文読解(高2~高3)

17:00~19:00 寺子屋式(全学年)

 

受講料は2時間×3日で12000円です。

新規にご参加の場合は、入塾料5000円が必要です。

ご要望やご質問などありましたら、お気軽にお問い合わせください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2021年3月1日 20時08分

1月~3月の通常授業について

 

新学期の通常授業が開講いたしました。

 

緊急事態宣言が出され、20時以降の外出を自粛するようにという要請が出されていますので、

 

今学期の時間割を変更いたします。

 

19時開講の通常授業は中止とし、各生徒には個別に補講を調整いたします。

 

その他の授業については変更ありませんが、

 

ご無理なさらずにご参加をご検討ください。

 

通塾を控え、自宅での学習をご希望の場合は、

 

効果的な自習の進め方や使用しやすい教材などご案内いたしますので、お気軽にご相談ください。

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2021年1月8日 13時25分

冬期講習のご案内

冬期講習は以下の日時に開講いたします。

いずれの授業も、「寺子屋式講座」として、

小人数限定で参加者の個別のご要望に応えます。

教室場所は西荻教室です。

 

12月25日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 駅前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 駅前)

 

12月26日・27日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 駅前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 駅前)

13:00~14:30 寺子屋式(全学年 駅前)

14:30~16:00 寺子屋式(全学年 駅前)

 

12月28日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 駅前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 駅前)

 

12月29日・30日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 駅前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 駅前)

13:00~14:30 寺子屋式(全学年 駅前)

14:30~16:00 寺子屋式(全学年 駅前)

16:00~17:30 寺子屋式(全学年 駅前)

 

1月6日・7日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 駅前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 駅前)

13:00~14:30 寺子屋式(全学年 駅前)

14:30~16:00 寺子屋式(全学年 駅前)

16:00~17:30 寺子屋式(全学年 駅前)

 

★ 受講料は、1コマ(90分)あたり3000円 × コマ数です。初めて受講なさる方は、別に入塾料5000円が必要です。

  お申込みは、メールでお願いいたします。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2020年12月7日 20時44分

現在の募集状況

9月1日から新学期の授業がスタートしました。

現在、以下のクラスで新規入塾生を募集しています。

 

月曜 16:00~17:00 西荻教室 小学生基礎 

   19:00~21:00 西荻教室 高校生基礎 

火曜 16:00~17:00 宮前教室 小学生基礎

   17:00~19:00 宮前教室 寺子屋式

   19:00~21:00 宮前教室 大学受験

   19:00~21:00 西荻教室 中学生標準

金曜 16:00~17:00 西荻教室 小学生基礎

   19:00~21:00 西荻教室 高校生標準

 

メールまたは電話でお気軽にお問合せください。

※ お問い合わせ先電話番号 03-6913-7595

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2020年9月15日 20時21分

夏期講習のご案内

今年度の夏期講習は、8月3日~29日に開講します。

各学校の夏休みが短縮されるため、例年より規模を縮小します。

なお、コロナの影響で再び休業要請が出る場合は、

すべての講座の開講をとりやめますことをご了承ください。

その場合は、こちらのサイトでお知らせいたします。

 

★ 西荻教室の講座

8月3日~5日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 論述特訓(小5~中3)

17:00~19:00 現代文特訓(高1~大学受験生)

 

8月6日~8日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 論述特訓(小5~中3)

15:00~17:00 夏の精読教室(中1~高2)

17:00~19:00 古文読解(高1~大学受験生)

 

8月10日~12日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 文法入門(小6~中3)

15:00~17:00 夏の精読教室(中1~高2)

17:00~19:00 古文基礎(中3~大学受験生)

 

8月13日~15日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 論述特訓(小5~中3)

17:00~19:00 現代文特訓(高1~大学受験生)

 

8月17日~19日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 夏の精読教室(小4~小6)

15:00~17:00 論述特訓(小5~中3)

17:00~19:00 寺子屋式(全学年)

 

8月20日~22日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 論述特訓(小5~中3)

15:00~17:00 夏の精読教室(中1~高2)

17:00~19:00 古文読解(高1~大学受験生)

 

8月24日~26日

17:00~19:00 寺子屋式(全学年)

19:00~21:00 寺子屋式(全学年)

 

8月27日~29日

17:00~19:00 寺子屋式(全学年)

19:00~21:00 寺子屋式(全学年)

 

★ 宮前教室の講座

8月3日~5日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年)

15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 

8月11日~13日

10:00~12:00 寺子屋式(全学年)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年)

15:00~17:00 寺子屋式(全学年)

 

※ 受講料は1コマ(120分)あたり4000円です。新規入塾生は入塾料5000円が必要です。

※ 詳細はメールか電話(0369137595)でお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2020年7月17日 12時17分

現在の授業状況

現在、以下の時間割で授業を再開しつつあります。

詳しくはお問い合わせください。

また、寺子屋教室の授業は個別に調整します。

ご希望の方はご連絡ください。

 ※ お問い合わせ先 メール philo@kokugokyousitsu.com

                     電話 03-6913-7595(西荻教室) 

 

月曜 16:00~17:00 小学生基礎(小1~小4) 西荻教室

   17:00~19:00 作文・精読(小4~小6)  西荻教室

   19:00~21:00 大学受験基礎(高1~高2) 西荻教室

 

火曜 17:00~19:00 寺子屋式(全学年) 宮前教室

   19:00~21:00 大学受験標準(高2~大学受験生) 宮前教室

   

火曜 16:00~17:00 小学生基礎(小1~小4) 西荻教室

   17:00~19:00 寺子屋式(全学年) 西荻教室

   19:00~21:00 中学生標準(中1~中3) 西荻教室

 

金曜 16:00~17:00 小学生基礎(小1~小4) 西荻教室

   17:00~19:00 作文・精読(小4~小6) 西荻教室

   19:00~21:00 大学受験標準(高2~大学受験生) 西荻教室

 

土曜 14:00~16:00 寺子屋式(全学年) 宮前教室

   16:00~18:00 作文・精読(小4~小6) 宮前教室

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2020年6月11日 16時54分

授業再開のお知らせ

緊急事態宣言が解除されました。

授業の再開についてお知らせいたします。

5月25日から6月7日までは個別に日時を調整して授業を実施します。

6月8日以降は当面、以下の時間帯・教室で授業を開講します。

 

月曜・・・ 16時~21時 西荻教室

火曜・・・ 16時~21時 西荻教室

      16時~21時 宮前教室

金曜・・・ 16時~21時 西荻教室

土曜・・・ 14時~18時 宮前教室

 

各時間帯とも、少人数限定で内容は各生徒に合わせます。

受講をご希望の方はお気軽にご相談ください。

 

【メール】 philo@kokugokyousitsu.com

【電話】 03-6913-7595(西荻教室)

 

 

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2020年5月25日 23時10分

休講延長のお知らせ

緊急事態宣言および東京都の休業要請が延長されました。

5月末まで通常授業の休講を延長します。

ご希望の方には個別に学習サポートを提供しますので、

メールか電話でお気軽にご相談ください。

また、こちらのサイトで、

ご家庭で使用できる学習教材を無料公開しております。

ご活用ください。※公開終了しました。

 

【連絡先】

 メール philo@kokugokyousitsu.com

 電話  03-6913-7595

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2020年5月6日 10時06分

休校のお知らせ

緊急事態宣言が出される見込みとなりました。

明日4月7日から5月のはじめまで、教室を閉鎖いたします。

以下の日時から通常授業を開講しますが、

状況によっては、通常授業とは異なる形での再開となるかもしれません。

 

通常授業開始予定日

 月曜日クラス 5月11日

 火曜日クラス 5月12日

 木曜日クラス  5月7日

 金曜日クラス  5月8日

 土曜日クラス  5月9日

 

およそ一ヶ月、休校が続きます。

休校期間中の学習サポートをご希望の方には

喜んで対応しますので個別にご相談ください。

また、こちらのサイトで、

ご家庭で使用できる学習教材を無料公開しますので、

ぜひご活用ください。

 

【連絡先】

 メール philo@kokugokyousitsu.com

 電話  03-6913-7595

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2020年4月6日 21時30分

新学期の授業について

春期講習にご参加いただきありがとうございます。

新学期の授業ですが、通常授業の開始時期を以下の日時に延期します。

 

通常授業開始日

 月曜日クラス 5月11日

 火曜日クラス 5月12日

 木曜日クラス  5月7日

 金曜日クラス  5月8日

 土曜日クラス  5月9日

 

なお、4月いっぱいは、臨時講習期間とし、希望者に限って以下の日時に教室を開放し、

各生徒にあわせて授業と自習の場をご提供します。

ただし、緊急事態宣言が出された場合は一時的に教室を閉鎖します。

 

【臨時講習開講日時】

 月曜日 10時~12時、15時~17時、17時~19時 西荻教室

 火曜日 10時~12時、15時~17時、17時~19時 西荻教室

 木曜日 10時~12時、15時~17時、17時~19時 西荻教室

 金曜日 10時~12時、15時~17時、17時~19時 西荻教室

 

教室場所はすべて西荻教室です。

授業はごく少数に限定し、換気・消毒を心がけつつ、講師も生徒もマスクをつけて行います。

授業内容は、国語に限らず、全教科に対応します。

ご希望の方は時間を調整しますので、個別にご相談ください。

 

なお、緊急事態宣言が出され、外出が今よりも難しくなる場合は、

少なくとも4月いっぱいは教室を閉鎖します。

同時に、こちらのサイトで自宅学習用の教材を無料で公開しますので、

ご自由にご利用ください。

 

日に日に状況が変わると思われます。

受講をご希望の方や、ご質問、ご要望のある方は個別にご相談ください。

 

電話は 03-6913-7595

メールは philo@kokugokyousitsu.com

 

までお願いいたします。

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 未分類  投稿日時: 2020年4月5日 21時34分

駅前教室 移転のお知らせ

かねてより移転先を探しておりました駅前教室は、

2020年春期講習より、新しい場所へと移転します。

これに際し、これまで中止していた新規入塾生の受け入れも再開します。

 

新しい教室は、これまでの教室から徒歩1分ほどの場所で、

西荻窪駅からは3~4分で着きます。

 

住所は杉並区西荻北3-23-17です。

以下に、西荻窪駅からの行き方をご紹介します。

 

駅の改札を出たら、左に曲がり、北口に出てください。

北口に出たら、駅を背に左方向に向かう道を進みます。

道の右手にモスバーガー、左手にはセブンイレブンがあります。

 

本屋さんや薬局の前を通り過ぎ、

そのまままっすぐ100メートルほど歩いてください。

やがて右手に、青い店構えの餃子屋さん「宝舞」が見えてきます。

その手前の道を右に曲がってください。

 

 

そこからさらにまっすぐ、150メートルほど進むと、

左手に「さい炉」と書かれたお店の青い看板が見えてきます。

 

 

お店の先に路地がありますので、左に曲がって路地に入ってください。

 

 

路地の奥にある建物が、新しい教室です。

 

 

授業のある時間帯は教室を開けておりますので、

どうぞそのままお入りください。

自転車でお越しの場合は、建物の外ではなく、

門の中まで自転車を入れて、

近隣の方のご迷惑にならないようにご協力願います。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2020年3月20日 13時11分

春期講習のご案内

2020年の春期講習は、3月22日~4月5日に開講します。

 

なお、この講習から、駅前教室教室場所移転します。

新しい教室場所は、現教室から徒歩1分です。

 

今回の講習では、全講座を「寺子屋式授業」とします。

各生徒の課題や目標に合わせた教材をこちらで用意し、

講習の授業内で課題の克服に取り組みます。

読解、作文、古文、漢文、小論文・・・現在の課題をご相談ください。

 

お申込みは1コマから承ります。

90分の授業は1コマあたり3000円、

120分の授業は1コマあたり4000円です。

新規入塾の場合は、別に入塾料5000円が必要です。

 

講習の日程、教室場所は以下の通りです。

受講をご希望の方は、メールでお問い合わせ、お申込みください。

 

3月22日~24日(新 駅前教室)

  10:00~12:00  寺木屋式(全学年対応)

  15:00~17:00  寺子屋式(全学年対応)

  17:00~19:00  寺子屋式(全学年対応)

 

3月25日~29日(宮前教室)

   9:00~10:30  寺子屋式(小1~中3)

  10:30~12:00  寺子屋式(小1~中3)

  13:00~14:30  寺子屋式(小1~中3)

  14:30~16:00  寺子屋式(小1~中3)

 

3月30日~4月1日(新 駅前教室)

  10:00~12:00  寺子屋式(全学年対応)

  15:00~17:00  寺子屋式(全学年対応)

  17:00~19:00  寺子屋式(全学年対応)

 

4月3日~4月5日(新 駅前教室)

  10:00~12:00 寺子屋式(全学年対応) 

  15:00~17:00 寺子屋式(全学年対応)

  17:00~19:00 寺子屋式(全学年対応)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2020年2月23日 12時07分

冬期講習のご案内

12月22日から30日まで冬期講習を開講します。

今年度の講座は、「寺子屋式講座」と「志望校対策講座」の2種類のみです。

各受講生の学習状況と目標にあわせて個別に教材を用意して授業を進めます。

受講をご希望の方は、以下の開講日時をご参照の上、メールでお申し込みください。

 

● 冬期講習 開講日時

※ カッコ内は対象学年と教室場所です。

 

12月22日・23日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 宮前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 宮前)

13:00~15:00 志望校対策(受験生 宮前)

15:00~17:00 志望校対策(受験生 宮前)

17:30~19:00 寺子屋式(全学年 駅前)

19:00~20:30 寺子屋式(全学年 駅前)

 

 

12月24日

10:00~12:00 志望校対策(受験生 宮前)

 

12月25日・26日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 駅前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 駅前)

13:00~14:30 寺子屋式(全学年 駅前)

14:30~16:00 寺子屋式(全学年 駅前)

16:00~17:30 寺子屋式(全学年 駅前)

 

12月27日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 宮前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 宮前)

13:00~14:30 寺子屋式(全学年 宮前)

14:30~16:00 寺子屋式(全学年 宮前)

16:00~18:00 志望校対策(受験生 宮前)

18:00~20:00 志望校対策(受験生 宮前)

 

12月29日・30日

 9:00~10:30 寺子屋式(全学年 宮前)

10:30~12:00 寺子屋式(全学年 宮前)

13:00~15:00 志望校対策(受験生 宮前)

15:00~17:00 志望校対策(受験生 宮前)

17:30~19:00 寺子屋式(全学年 駅前)

19:00~20:30 寺子屋式(全学年 駅前)

 

※ 受講料は90分講座は1コマあたり3000円、120分講座は1コマあたり4000円です。

※ 新規にご参加の方は入塾料5000円が必要です。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2019年11月27日 22時10分

授業の準備はこんなふうに

こんにちは。鈴木です!

肌寒い日が増え、いよいよ秋らしくなってきました。

今回は、講師の私が、授業をどのように準備しているのか、ご紹介します。

どこかで「授業の質は、教師・生徒・教材の3つによって決まる」と聞いたことがありますが、

その一つを担う者として、丁寧に、楽しく、準備を進めていることをお伝えできればと思います。

 

 

まずは各クラスの方針決めから。

毎学期カリキュラムを作り、今学期はどういった教材を用いるか、塾長と打ち合わせをします。

在籍している生徒にあったレベルで、教える側も読んだり書いたりする意義があると思えるもの、

授業したくなるようなものを選んでいます。

やはり、こちらが新鮮味や興味をもって教材を生徒に見せることが、

いい授業につながるなあと強く感じます。

 

 

例えば、作文教室の学期テーマは「説得力のある意見を書こう」にすると決め、

それにあわせて授業回数分のプリントを作ったり、

精読教室では新実南吉の「うた時計」と「おじいさんのランプ」を扱うと決めたりします。

寺子屋式であれば、それぞれの生徒の現状と今学期につけたい力を確認します。

 

 

大枠が決まったら、それぞれの授業に向けて、準備を進めます。

私が必ず行うと決めているのが、読解問題を自分自身で全力で解いてみること。

この教室で扱う問題は、ほぼすべてが記述形式で答える問題ということもあり、

小学生向けの教材であっても、簡単には答えを出せません。

もちろん本文をじっくり読み、根拠を丁寧に見つけていけば必ず答えにたどり着けますが、

その過程を自分で経験することで、ひっかかりやすいポイントが分かったり

教えるときの目の付け所に気づけたりします。

 

 

筆者の言い回しや論理展開に疑問があるときは、塾長に相談して解釈の仕方を一緒に考えます。

ああだろう、それとも、こういうこと?などと、考えたり話を聞いたりするのも面白いところ。

そして、様々な角度から繰り返し本文を読むことで、文章自体への理解が深まります。

教育学的に言うならば「教材研究」ですね。

 

 

また、作文の課題に対しては、「この問題ならこの生徒はどういう内容を書くだろうか?」

「生活経験の中から具体例を挙げるなら、どういったことが書けるだろう?」

など、事前に考えておきます。

生徒が書くのにつまったときに役立ちますし、

実際に授業で生徒に書いてもらうことで自分の引き出しも増えていきます。

 

 

国語以外の科目や、入試対策として過去問を扱うときも同様に。

算数の大会にむけた演習を寺子屋式の中で行いたい、という要望があったときは

なかなか手ごわい問題が多かったのですが、

久々に算数の頭の使い方をして、いい勉強、いいリフレッシュになりました。

 

 

こんな準備を、自宅や、お昼過ぎの出勤後の時間で行い、16時から始まる授業に臨みます。

まずやってくるのは低学年生たち。

それまで大人だけでしーんとしていた教室に、チャイムと子どもたちの賑やかな声が響き、

授業開始です。

少人数とはいえ、それぞれ疑問に思うところは違うし書いてくる答えも違うので、集中を要します。

それでも教えた内容を生徒が「そういうことかあ!」と納得してくれたり、

柔軟な頭で面白い感想を述べてくれたりすると、やりがいを感じます。

ときには生徒の書いた作文をコピーして、推敲や作文の教材にすることも。

 

 

21時の授業終了まであっという間に時間が過ぎ、1日の仕事が終わります。

授業を終え、準備がお互いの学びにつながったと実感でき、心地良い疲労感に包まれるとき、

私はこれが好きなんだ、と改めて思います。

そして、次回の授業に活かすため、生徒の発言や進度、反省点等を、忘れないうちにメモ。

このメモはまさに宝の山で、自分の達成感にもつながれば、新たな授業づくりのヒントにもなります。

 

 

これからも真摯に、好奇心をもって、生徒と教材と向き合っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2019年10月22日 21時10分

毎日新聞「論点」に掲載されました

こんにちは!鈴木です。

 

1ヶ月ほど前になりますが、本教室代表の坂爪が、毎日新聞「論点」のインタビューを受け、

記事が9月4日朝刊に掲載されました。

現在中央教育審議会で議論されている「教育改革」がテーマのこの特集。

ニュースでも連日、大学入試改革について報道されていますが、

社会変化のスピードに伴い、さらなる改革案が打ち出されています。

公教育ではない塾という現場で子どもたちの指導にあたる中、

読解力の育成について考えてきたことを記事にしていただきました。

 

以下、毎日新聞(令和元年9月4日)より引用

 

 


 

 諮問からは、人工知能に見られるような科学技術の急速な発展に伴う大きな社会変動を踏まえ、

 新時代にふさわしい能力を育もうという意図が読み取れる。AIに代替されない人材を育成しようというわけだ。

 

 私は都内で国語塾を主宰しているが、

 こうした指針のもとで基礎的な読解力が重視されていることに共鳴する一方、懸念も抱いた。

 近年、国際的な学習到達度調査(PISA)の影響を受け、

 入試や学校教育で求められる読解力は大きく変わりつつある。

 複数の資料を関連づけて読み、「なぜこの資料は書かれたのか」「なぜこの文章形式なのか」と

 考察させる問題が出されている。

 従来の国語教育で手薄だったメタ的な思考を育てる意義は大きい。

 

 他方、題材としては専門的な評論や本格的な文学作品が減り、日常生活に密着した文章が増えた。

 複数の実用的な資料を素早く把握、整理するためには、

 言葉とじっくりと向き合うような読解法よりも、大量の情報をすばやく処理する作業が求められる。

 こうした訓練が新時代にふさわしい能力につながるのか疑問だ。

 これから必要とされる「読解力」は、単なる「情報処理能力」ではなく、批判的で創造的なものであるはずだ。

 

 そもそも、読み取ったことを解釈して活用することまで含めた読解力、すなわちリテラシーには三段階がある。

 第一段階は機能的リテラシーと呼ばれるもので、社会生活に必要な最低限の読み書き能力だ。

 第二段階は文化的リテラシーと言い、共同体に固有の歴史や文化に関わる知識を意味する。

 第三段階が批判的リテラシーであり、情報や社会の現状を批判的に考察する力である。

 

 私は、公教育が果たせる役割は、せいぜい第二段階の養成までであると思う。

 社会がこれだけ複雑化すると機能的リテラシーすら高度化し、従来の「読み書き計算」では済まない。

 また、これまで常識として受け継がれていた歴史的・文化的な知識が、

 子どもたちの間では驚くほど共有されなくなっている。

 まして移民の受容と教育が深刻な課題となりつつある今日、

 この二つのリテラシーを習得させるだけでも多くの困難があり、公教育の責務は大きい。

 

 では、創造性につながるような批判的リテラシーはどこで育むか。

 公教育に期待しすぎず、社会全体で育むことだ。

 家庭で、町で、様々な私的教育機関で、子どもたちに多様な知的経験を積んで欲しい。

 教育の多様性が保たれていることこそ社会の活力の証であり、未来の保障となる。

 教育を学校に丸投げしてはいけない。

 

 教育改革は、社会の変動に歩調をあわせて叫ばれ続けてきた。

 そのつど教師と保護者と子どもは翻弄され、成果のよくわからないまま新たな改革が始まる。

 だがそんな中でも、お上の方針とは程よく距離をとり、

 独自の教育に邁進する無数の名もなき大人たちがいたし、今も全国にいるはずだ。

 家庭で、塾で、学校で、今日も目の前の子どものために最善を尽くしている心ある同志に期待したい。

                                     

 【聞き手・鈴木英生】

 

 

 坂爪 彬(さかづめ・あきら) 1981年生まれ。東京大大学院博士課程退学。

 学部生時代、東京都内に国語塾を開業。

 09年、同杉並区内に「フィロソフィア国語教室」を開く。

 江戸時代の私塾に憧れ、地域における知的文化的拠点作りに取り組んでいる。

 


 

 

どこまでを公教育で担えるのだろう。塾でこそ教えられることは何だろう。

この記事は、私自身も教育について改めて考えるきっかけとなりました。

 

 

以前にもブログで書きましたが、私は一昨年まで高校の学校現場で働いていました。

少し恥ずかしいですが、高校教員を選んだ理由は2つ。

一つには、自分が母校でしてもらったように、成長していく高校生たちを支えたいという思いから、

一つには、大学で苦労しつつも知った、読み、書き、考えることの面白さを生徒に伝えたいという思いからです。

 

 

赴任した高校は地方の公立高校で、地域にはOBがたくさんいるような、地域に根付き愛されている学校でした。

生徒たちは高校に入るとほぼ全員が部活動に所属し、平日も休日も関係なしに学校へ来ます。

宿題だってかなりの量。

生活の中心は学校で、次から次へとある小テストや課題や部活の大会についていくことは容易くはないのだけれど、

その苦しさを乗り越えて文武両道を目指すことに価値がある、という考え方です。

 

 

私も高校時代はその価値観でいましたが、いざ教員になってみると、その仕事量の多さに驚きました。

生徒を学校中心で生活させるということは、

教員もそれと同じかそれ以上の熱量で学校と向き合うということです。

授業はもちろん、学級運営、部活動顧問、分掌業務、進路指導などやらねばならないことは多岐にわたり、

そのどれもに締め切りがあり、でも、生徒に関わる部分で手は抜きたくない…。

どうしたら回していけるのか、ベテラン先生たちですら忙しくしているのに、新人にはとてもわかりません。

生徒たちと関わるのは面白いのですが、それを感じる余裕がない時期が長く続きました。

 

 

また、学校の風土として生徒には多くの宿題や部活の練習を課すわけですが、

そのチェックや対応にも追われ、教員たちが自分で自分の首をしめているようにも思えます。

でも、それで卒業生たちが成果を出しているから。

教員側でペースをつくって、そこに乗っからせる。そのやり方がきっと生徒のためだから。

 

 

恐らく、生徒のために、「あれも、これも」状態だったのでしょう。

また、「あの高校に行けばしっかり面倒を見てもらえる」という手厚さを売りにしていたこともあると思います。


 

私は本当にただこなすだけのテストや課題に意味があるのか、疑問に思うことも少なくありませんでしたが

(今思えば他にも疑問に思っている先生はいたと思いますが)

そういうものと信じこみ、生徒たちに発破をかけるしかありませんでした。

 

 

しかし、このままでは、生徒も教員もあまりにも学校外との関わりがなさすぎる。

広く世の中に目を向け、試験の点数には関係ないところを、授業の中でじっくり考える取り組みは難しい。

教員も生徒もあくせくしている中で、深く読み、考え、味わうところまで頭が向かない。

私自身の力量不足は重々承知で、そのときどきで、生徒が少しでも問題意識をもって

教材を読めるように工夫するのが精一杯のできることでした。

 

 

そこに迫ってきたのが大学入試改革です。研修や会議では「授業改革を!」と繰り返し言われます。

もちろん思考力を伸ばそう、という考えには共感できるのですが、

当時は「アクティブラーニング」という言葉がひとり歩きし、はっきりと見える形での改革や評価を求める向きに、

「変えること」自体が目的になっている気がして、違和感を覚えました。

改革を前向きに進めていくというよりは、また業務が増える…という雰囲気が職員室に漂いました。

行政のもと運営される公教育の、こうした改革に翻弄されてしまうという側面を身に染みて感じたものです。

 

 

本当に生徒のために必要なことって何だろう。

公教育はどこまで担うべきなのだろう。

学校に囲いこむことだけがいいことなのだろうか…?

 

 

転居を機に教員を退職した今も、学校教育に関するニュースや意見を見かけると、つい考え込んでしまいます。

学校は応援したいけれど、きっとほかの教育もこういう時代だからこそ大切なのでしょう。

 

 

この教室で丁寧に考えるという学びの在り方を目にし、

そして上記の記事を読み、

学校に任せきりにしない地域の教育が必要だし、そういった場は実現できるんだという思いを、今、持っています。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2019年10月10日 21時48分

新学期の授業について

新学期(2019年9月)の授業は、以下の日程に再開します。

  宮前教室  9月2日

  駅前教室 9月10日

なお、西荻駅前教室では、教室環境の悪化により、

一時的に新規入塾の受け入れをとりやめております。

現在、教室の移転先を探しており、見つかり次第、受け入れを再開します。

ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解願います。

宮前教室では引き続き新規入塾を受け付けております。

ご興味をお持ちの方はお気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2019年8月27日 12時11分

夏期講習のご案内

今年度の夏期講習は、宮前・駅前の両教室で以下の日時に開講いたします。

 

  宮前教室 7月25日~8月31日

  駅前教室 8月12日~8月31日

 ※ 寺子屋教室の授業は、駅前教室8月1日~8月31日に開講します。日時は個別に調整いたします。

         講師の都合により、調整が難しい場合も多々ありますことをご了承ください。

   なお、夏期講習講座内の「寺子屋式」の枠でも、寺子屋教室と同様に、

   学年・教科を問わず、可能な限り個々のご要望に即した授業をご提供します。ご検討ください。

 

講座のお申込みは7月1日から承ります。

お電話がつながらずご迷惑をおかけすることが多いので、

なるべくメールでお申込みください。

 

★ 夏期講習 講座一覧

7月25日~27日

9:00~10:30  小学国語基礎A(小1~小4 宮前)

10:30~12:00 小学国語標準A(小4~小6 宮前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

 

7月29日~31日

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

15:00~17:00 現代文読解A(高1~大学受験生 宮前)

17:00~19:00 古文読解A(高1~大学受験生 宮前)

 

8月1日~3日

9:00~10:30  小学国語基礎B(小1~小4 宮前)

10:30~12:00 小学国語発展A(小5~小6 宮前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

 

8月5日~7日

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

15:00~17:00 現代文読解B(高1~大学受験生 宮前)

17:00~19:00 古文読解B(高1~大学受験生 宮前)

 

8月8日~10日

9:00~10:30  小学国語標準B(小4~小6 宮前)

10:30~12:00 小学国語発展B(小5~小6 宮前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

 

12日~14日

9:00~10:30  小学国語標準①(小4~小6 駅前)

10:30~12:00 小学国語発展①(小5~小6 駅前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 駅前)

15:00~17:00 中学国語標準①(中1~中3 駅前)

17:00~19:00 高校国語特訓①(高1~大学受験生 駅前)

 

15日~17日

9:00~10:30  小学国語標準②(小4~小6 駅前)

10:30~12:00 小学国語発展②(小5~小6 駅前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 駅前)

15:00~17:00 中学国語標準②(中1~中3 駅前)

17:00~20:00 高校国語特訓②(高1~大学受験生 駅前)

 

19日~21日

9:00~10:30  小学国語基礎C(小1~小4 宮前)

10:30~12:00 小学国語標準C(小4~小6 宮前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

15:00~17:00 現代文読解C(高1~大学受験生 宮前)

17:00~19:00 古文読解C(高1~大学受験生 宮前)

 

21日~23日

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 駅前)

15:00~17:00 中学国語標準③(中1~中3 駅前)

17:00~20:00 高校国語特訓③(高1~大学受験生 駅前)

 

22日~24日

9:00~10:30  小学国語標準③(小4~小6 駅前)

10:30~12:00 小学国語発展③(小5~小6 駅前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 駅前)

 

26日~28日

10:30~12:00 小学国語発展C(小5~小6 宮前)

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 宮前)

15:00~17:00 現代文読解D(高1~大学受験生 宮前)

17:00~19:00 古文読解D(高1~大学受験生 宮前)

 

29日~31日

13:00~15:00 寺子屋式(全学年 駅前)

15:00~17:00 中学国語標準④(中1~中3 駅前)

17:00~20:00 高校国語特訓④(高1~大学受験生 駅前)

 

※ 受験生には個別に日程を調整し、志望校対策授業を実施します。

 

★ 夏期講習 受講料

 

120分授業    ・・・  4000円(1コマ)

 90分×3日講座 ・・・  9000円

120分×3日講座 ・・・ 12000円

180分×3日講座 ・・・ 18000円

 

※ 新規お申込みの方は他に入塾料5000円が必要です。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2019年6月29日 18時36分

新規入塾制限のお知らせ

西荻駅前教室では、一時的に新規入塾の募集をとりやめております。

再開まで少々お待ちください。

宮前教室では引き続き新規入塾を受け付けております。

ご興味をお持ちの方はお気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2019年6月24日 17時49分

西荻駅前教室日記(16)

早くも学期末が近づいてきました。

 

「作文教室」では、学期末恒例「2000字作文」作文の草稿作りに取り組みました。

 

テーマは自由。となると、まさに水を得た魚のように「じゃあ、あれを書きたい!」とすぐに書きたいものを思いつく子と「何を書けばよいかわからない・・・」と、焦りだす子に分かれます。

 

そこで、今回は作文の「ジャンル」について説明をした後で、それぞれが書きたいことをメモ書きしてもらいながら授業を進めました。

 

まずは、プリントに「感想文」「意見文」「小説」「紹介文」・・・など、文章の大まかなジャンル分けと、その特徴や書き方案を示し、

さらに「最近がんばったこと」「本当の○○とは何か」「SF」「じぶんの好きなものの魅力について」・・・といった、各ジャンルの内容を少しだけ具体化した単語群を用意して、

もしも自分がそのジャンルで書くなら、どんなものを書くかを考えてもらいます。

 

プリントから自分なりに発想を得る子もいれば、「SFってなぁに?」などと、質問をしてくれる子もいます。

 

そしてそんな質問こそ、新しい発想のチャンス!

 

「SFはサイエンスフィクション、科学的な空想小説だよ。たとえば、ふしぎな博士がなぞの薬を発明したとして・・・」とわたしが少し話をすると・・・

「その薬を飲んだ人間がみんな小さくなったりとか?」「いやいや、薬は失敗作で人間は絶滅しちゃうんだよ」

と、こどもたちが途中で口をはさんで(笑)、どんどん続きを考えてくれます。

「もし、人間が絶滅したら、その後の地球はどうなるだろう?」

なかなかテーマが決まらない子が発言したのに続いて、私が話を促すと・・、

「じつは一人だけ生き残っていて、その人がね・・・」

 

と、いつのまにやらSFの原案が出来上がってくるというわけです。

 

最初は「2000字なんて書けないよー」と言っていた子も、テーマが決まり、原稿用紙に向かえばおしゃべりをピタッと止めて自分の創作世界へすっと入り込んでいきます。この時の没入感はすごい。

書きたいことを、好きな文体で表現できるのはやっぱりうれしいものだよなぁと再認識します。

 

私はとなりで子どもたちの姿を見ながらつくづく、人が何かをつくっている時の横顔が好きだなぁと思いました。

斜め下を見つめる角度は似ていても、スマホを見ている大人の顔とは少し違う、良い顔をしています。

たまに原稿用紙から目を離し、宙を見上げてなにやら考えあぐねている時の顔もまた、良い。

 

下書きが完成したら、来週以降に推敲と清書をします!

完成が楽しみです。

 

                       フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2019年6月20日 00時00分

小学生基礎の授業から

こんにちは。宮前教室の鈴木です!

 

 

先日、小学生基礎の授業でこんなことがありました。

ある4年生が、「パリ」についての説明文を読んでいたときのこと。

パリは「芸術のみやこ」と言われ、多くの芸術家が集まっていた、という内容で、

「芸術家」とは何か?という問いが出てきました。

 

 

その生徒はさっそく辞書を使って、「芸術の仕事をしている人」という意味であること、

「芸術家」には「音楽家」「画家」「写真家」などがいることを調べました。

「画家」って?と尋ねると、「絵をかく人!」と元気な返事。

じゃあ「作家」は?……別の生徒から、「……本をかく人?」その通り!

 

 

「家っていう漢字は、人って意味があるんだね~」と、みんなで納得したのもつかの間、

今度は、「でも、看護師とか、保育士ってのもあるよ!」との声。

確かに、「師」や「士」も人を表すことば。

「弁護士」「医師」「美容師」など、次々と出てきます。

 

 

そこでまた4年生がひと言。「どういうふうに使い分けているんだろう~?」

待ってましたとばかりに隣で作業をしていた塾長が顔をだし、

「『師』・『士』はその資格を持っている人、『家』はそれを好きでする人を意味する」

ことを教えてくれました。

最初はピンときていないようでしたが、先ほど挙げたことばを踏まえて考えると、

なるほどね、と納得した様子。

自称 芸術家 は成り立つけれど、自称 看護師 は成り立たないということだ。

 

 

わずか数分のやりとりでしたが、

一つのことばから、他の多くのことばについても考え、きまりを知る、という

なんとも楽しい学びの一場面でした。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年6月14日 17時03分

授業紹介~精読教室②~

宮前教室の鈴木です。

前回の続き、精読教室の紹介をします。

教材は、芥川龍之介「蜘蛛の糸」。

語句の意味を一つずつ確認して丁寧に読んだあとは、いよいよ記述問題に取り組みます。

 

 

地獄にいる大泥棒の陀多(かんだた)は、

遠い遠い天上から、一すじの蜘蛛の糸が自分の上へ垂れてくるのを発見します。

この糸にすがりついてのぼっていけば、きっと地獄から抜け出せる。

これ以上苦しまずにすむことを喜んで、早速糸をのぼっていく場面です。

 

 

この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。

陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、

「しめた。しめた。」と笑いました。

ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、

自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へと

一心によじのぼって来るではございませんか。

陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、

ばかのように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました

自分一人でさえ切れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの

人数の重みに堪えることが出来ましょう。

もし万一途中で切れたといたしましたら、折角ここへまでのぼって来た

この肝心な自分までも、元の地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません。

そんな事があったら、大変でございます。

 

 

【問題】 傍線部「眼ばかり動かして居りました」とあるが、このときのかんだたの気持ちを、

     わかりやすく説明しなさい。

 

かんだたの心情を読み取るポイントは、傍線の直前にある「驚いたのと恐ろしいの」です。

この気持ちを押さえたのち、何に驚き、何を恐ろしいと思ったのか、それぞれ説明していきます。

 

まず、驚いた内容については、「陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいので…」と書かれていることから、

「これ」に驚いたことが分かります。

「これ」=多くの罪人たちが蜘蛛の糸をよじのぼってくること、です。

次に、なぜそれが恐ろしいのか、考えます。

ただよじのぼってくることが恐ろしいのではありません。

理由は、傍線部の直後に書かれています。

蜘蛛の糸が大勢の重みに耐えかねて切れてしまったら、自分はまた地獄に落ちてしまうから、です。

そうなってしまうことを、恐ろしく思っているわけです。

 

以上をまとめると、こんな解答になります。

 

【解答例】自分がのぼったあとをつけて、数多くの罪人たちが蜘蛛の糸をよじのぼってきていることに驚き、

      人数の重みにたえられず糸が切れ、自分も元の地獄へ落ちてしまうことを恐ろしく思う気持ち。

 

 

授業では、生徒各自が解答をノートに記入し、添削を受けます。

生徒たちは、解答を作る際、手がかりとなる部分に線を引いてから、その要素をまとめる練習をしています。

添削の際は、一人一人に対して足りない部分を導きだせるようなヒントを出し、

じっくりと過不足のない答案を作り上げていきます。

この問題では、特に「何を恐ろしいと思っているか」について記述するのを見落としがちです。

でも「何が恐ろしいんだろう?」と尋ねると、多くの子が答えることができ、

その内容も本文中にしっかりと書かれていることに気づきます。

 

 

ただ読むだけでなく、記述問題を通して、人物の心情や表現の意味を考えること。

それは、本文を根拠にした正確な読解の練習にもなりますし、

的確に表現する力を鍛えることにもなります。

そして、読みが深まり、より物語を味わうことにもつながります。

生徒により読解のレベルは異なりますが、その生徒なりに指摘に納得し、

頭をフル回転させながら、何度もノートに解答を書きなおしている姿に、

いつも気が引き締まる思いです。

 

 

宮前教室では、

土曜日16時~18時の精読・作文教室の生徒を募集しています。

体験授業も承っております。ぜひご応募ください!

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年5月28日 20時37分

1年が経って。(宮前教室・鈴木)②

こんにちは!宮前教室の鈴木です。

さて、フィロソフィア国語教室との出会いを経て、私が講師をはじめて1年。

おかげさまで多くの生徒と出会い、充実した日々を過ごしてきました。

 

 

この1年、特に興味深く感じたのが、子どもの成長です。

以前は高校で教えていたのが、小学生とも関わることになりました。

いわゆる「子ども」と関わるのは、自分が「子ども」のとき以来です。

どんな世界に生きていて、どんなことを考えているのか?

自分自身の記憶を何とかたどり、でも私は田舎育ちだから、都会の子たちはまた違うのかしら…

なんて、あれこれ考えて。

 

 

そして出会った子たちは、想像以上に多様で、素直で、一生懸命でした。

いま考えていることについて、持てる言葉でどうにか話したり書いたりしようとする姿からは、

「伝えたい!」という気持ちを感じましたし、

大人が見過ごしてしまうようなところに「なぜ?」と気づく力はさすがです。

 

 

学年があがるにつれて、使える言葉が増え、考え方も大人っぽくなるのを目の当たりにし、

「こうやって人は言葉を増やしていくんだ!」ということを感じました。

だんだんと言葉が抽象的になり、それにしたがって、ぐんぐん世界が広がっていきます。

読解の文章の内容も、身近なものや動物にはじまり、昔の人物について、社会の仕組みについて、

と想像力を必要とするものへ、自然とレベルアップしていきます。

もちろん、思春期にさしかかり、表現しがたい複雑な思いを抱えることもあるわけですが、

それも自分の世界を広げる大事な時間。

高校生と接しているだけでは見えてこなかった、成長の過程に触れることができ、

教育の面白さを改めて感じています。

 

 

もう一つ身に染みて感じたこと。

小学生にも分かるように説明するって実は大変ということです。

たとえば、「責任って?」「楽観的って?」という質問。

簡単な言葉で的確に言いかえるためには、その意味をよ~く理解しておく必要がある、と実感しました。

「責任」は、「任されたことをきちんとやる」こと、

「楽観的」は、未来のことを「きっとうまくいく」と明るく前向きに考える姿勢、でしょうか。

わかりやすさにこだわり、言葉の力を磨いていきたいと思っています。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2019年5月14日 21時02分

授業紹介~精読教室①~

宮前教室の鈴木です。

作文の紹介が続きましたので、今回は精読教室の授業をご紹介します!

 

精読教室では、一人で読むには少し難しめな文章を教材にしています。

語句の意味を一つずつ確認しながら、文章を一文ずつ丁寧に読み、物語の世界を楽しみます。

その中で、記述問題に取り組み、正確な読解とそれを表現する方法を学びます。

 

 

今回ご紹介するのは、芥川龍之介『蜘蛛の糸』を扱った授業です。

比較的短い物語で、絵本でなんとなく見たことがあるという生徒もちらほら。

 

 

まずは、本文を音読して読み進めます。

その際、語句の意味を一つずつ解説し、周辺知識も紹介します。

 

 

ある日のことでございます。

お釈迦さまは極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。

 

 

「お釈迦さまって誰?極楽ってなんだろう?」と問いかけると、

生徒たちは「聞いたことある!」「天国だっけ?」と話しはじめます。

ここで、お釈迦様は、修行をして悟りをひらき、仏教の教えを説いたことや

仏教は宗教の一つで、世界にはキリスト教やイスラム教などの宗教があることを説明します。

 

 

やがてお釈迦さまはその池のふちにおたたずみになって、

水の面をおおっている蓮の葉の間から、ふと下の様子をごらんになりました。

この極楽の蓮池の下は、ちょうど地獄の底にあたっておりますから、

水晶のような水を透きとおして、三途の川や針の山の景色が、ちょうどのぞき眼鏡を見るように、

はっきりと見えるのでございます。

 

 

「おたたずみになって」「ごらんになりました」こういう言葉を尊敬語ということ、

敬語には三種類あることを話すと、高学年生には、「尊敬語、謙譲語、丁寧語!」と知っている生徒もいます。

「ごらんになる」は「見る」の尊敬語だから、お釈迦様が、下にある地獄の様子を見ていたことになるね。

水晶のような水ってことは?水晶って何色?「透明…?」

そうだね。だから池の水が透きとおっていて、下の地獄が見えるんだ。

三途の川っていうのは、人が亡くなったときに渡るといわれる川のこと。

針の山?「絵で見たことある!針がたくさん刺さっていて、しかも先が上を向いている。」

地獄には人を苦しめる怖いものがたくさんあるんだね。

 

 

こんな調子で読み進め、内容を理解しながら皆で物語の世界に入っていきます。

生徒は、テキストの余白に、語句の意味や解説を書き込みます。

文章を絵で書いてみることで状況がわかることも。

慣れてくると、促されなくても自分で必要なところにメモをとれるようになります。

さっと読んだだけでは分からなくても、解説を聞いたり状況を考えたりしながら読むことで、

楽しむことができる。

生徒たちの素直な反応を見ていると、

やはり、分かる・読めるというのは嬉しいものだよなぁ…と感じます。

 

 

それでは次回、この授業での記述問題とその解答の仕方について、ご紹介します!お楽しみに。

 

 

宮前教室では、

土曜日16時~18時の精読・作文教室の生徒を募集しています。

体験授業も承っております。ぜひご応募ください!

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年5月11日 17時19分

1年が経って。(宮前教室・鈴木)①

こんにちは。宮前教室の鈴木です!

5月の初めは、元号の変わり目、そして異例の10連休に世間はお祝いムードでしたね。

私にとってもこの春は、宮前教室で講師を始めて丸1年、という節目でした。

そこで、私とフィロソフィア国語教室との出会い、1年勤めてみての思いを、2回に分けてお伝えしたいと思います。

 

 

私はもともと、地方の県立高校で国語科の教員として勤務していました。

国語の授業をはじめ、クラス担任や部活動顧問、受験指導なども担当していました。

高校生のパワー、ピュアなところ、大人っぽさ。

彼らと関わる奥深さ、難しさ、そして面白さ。

多くを感じながら、やはり授業で勝負できる教員になりたいと、

がむしゃらに毎日を過ごすこと4年。

結婚という転機を迎え都内に引っ越すことになり、

国語に関わる仕事を探していたときに、このホームページと出会いました。

 

 

「読む、書く、考えるという3つの基本」…!「全教科の土台としての国語力」…!

まさにそんなこと実現できたら嬉しいなあと考えていた私。

さっそく代表の坂爪に連絡をとり、授業を見学させてもらったのがはじまりです。

 

 

見学したのは、小学生の作文教室と、中学生の精読の授業。

5人ほどの生徒が一つの机を囲みます。

2時間という授業時間を知ったとき、そんなに長い時間集中力が持つのか?と疑問だったのですが、

じっくりと課題に向かっていると、あっという間に時間が経ってしまうことが分かりました。

 

 

「これってどういうこと?」「この部分をくわしく説明すると…?」

という教師の言葉をうけ、会話も楽しみながら生き生きと学ぶ様子は、今でも強く印象に残っています。

友だちの作文を聞き、「私はこんなふうに書いてみよう!」とアレンジする姿。

解説をききながら、テキストの余白にどんどんメモをとっていく姿。

 

 

学年や人数の違いもあるでしょうが、学校の授業とはひと味違う、

ほっとできる雰囲気の中に確かな学びが息づいているのを目にし、

私もここで、国語教育に取り組みたい、という思いを持ったのでした。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2019年5月7日 16時32分

授業紹介~意見作文③~

宮前教室の鈴木です。新学期が始まりました!

前回の授業紹介の続きで、今回は2人の意見作文を紹介します。

 

テーマは「お手伝いをするとお金がもらえるというルールに賛成か反対か」。

(詳しくは前回の記事をごらんください。)

作文教室で、両方の立場から意見の根拠を話しあったあと、それぞれ立場を決めて意見文を書きました。

 

 

まずは、反対の立場から。

 

私は、お手伝いをするとお金がもらえるというルールに反対だ。

なぜなら、お手伝いをすると必ずお金がもらえると思ってしまうことは、本人にとってよくないからだ。

例えば、将来会社に勤めたとき、上司の仕事を手伝う度にお金をもらえると思ってしまう。

私は、自ら当たり前のように率先してお手伝いをするべきだと思う。

確かに、お手伝いをするとプレゼントをもらえたら、次もやろうと思えるかもしれない。

しかし、お手伝いをしたらお金をもらえると思ってしまって、大人になったときに困ってしまう

よって私は、お手伝いはお金がなくてもやるべきだと思う。

 

 

もしお手伝いをすることでお金がもらえたら、その人はどんな考えを持つようになるのか、

「もし~なら」と想像して書くことができています。

このように、仮の想定をした上でそれに反論する方法も、書きやすい根拠の一つです。

また、お手伝いに対する姿勢についても、考えを述べられました。

「なぜなら~からだ。」だけでなく、複数の根拠があると納得できる意見文になりますね!

 

 

次は、賛成の立場。

 

私は、お手伝いをするたびにお金をもらえるルールに賛成だ。

なぜなら、お手伝いをしてお金をもらうのは、相手からのお礼だし、

この場合おじいちゃんからの愛情表現になると思うからだ。

また、何かをして、何かをもらうというのは、理にかなっている

たしかに、このルールでするお手伝いはお金目当てかもしれない。

しかし、おじいちゃんもあげると言っているし、ぬすんだわけでもないので、お金をもらってもいいと私は考える。

このように、お手伝いをして、お金をもらうのは、別に悪いことではなく、正しいことなのだ。

 

 

この生徒は、「お金をもらうのは変」という点に対し、

「相手からのお礼だし、おじいちゃんの愛情表現になる」と反論しました。

その考えを深め、「何かをして何かをもらうのは理にかなっている」と一般化することで、

反論の説得力を強めることができています。

 

 

どちらが正しいか、簡単に答えが出る問題ではありません。

しかし、だからこそ、両方の立場からじっくり考えることで、自分の意見ができてきます。

感情ではなく、論理的に考えて導き出した根拠は、意見をより強く支えます。

いろいろな見方があることを知り、その違いを楽しみながら文章を書いてほしいな、と思います。

 

 

 

宮前教室では、上記のような意見作文の学習を、以下の授業の中で行っています。

月曜16時~17時 小学生基礎

月曜17時~19時 寺子屋式

土曜16時~18時 精読・作文教室

体験授業も承っております。ぜひお問い合わせください!

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年4月16日 13時40分

GW講習について(西荻駅前教室)

4月29日(月)~5月6日(月)まで、通常授業をお休みして10時~17時に個別で国語の授業を承ります。

授業内容・授業時間は個別に調整します。お気軽にご相談ください。

       

  【授業料】        

       寺子屋式(生徒4人まで)

                      2時間  4000円

                      1時間  2500円     

 

       完全個別授業(1対1の個別授業・1日1人限定)

                        2時間  8000円

 

 

寺子屋教室(全教科型個別指導)につきましても、ご希望の日程・科目等をお伺いしたうえで個別に講師と予定を調整します。

詳細はお問い合わせください。

 

  【寺子屋教室・授業料】

             

                          生徒2人まで    90分  4000円 

                          生徒1人      90分  6000円

 

※ 新規入塾の場合は入塾料(5000円)が別途必要となります。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 寺子屋教室について 講習会のお知らせ  投稿日時: 2019年4月12日 19時30分

2019年 合格実績

合格おめでとう!

フィロソフィア国語・寺子屋教室 合格実績2019

 

〈大学受験〉

大阪大学理学部

学芸大学教育支援課程

京都大学文学部

慶應大学商学部

早稲田大学理工学部    

武蔵野大学文学部

 

〈高校受験〉              

都立杉並高等学校

都立富士高等学校

都立武蔵高等学校

正則学園高等学校

東京電機大学高等学校

明治学院高等学校

 

〈中学受験〉

都立小石川中等教育学校

ドルトン東京学園中等部

北嶺中学校

武蔵野大学中学校

早稲田実業学校中等部

 

※ 国立大、私立大、都立高、私立高、都立中高一貫中、私立中の順に五十音順で掲載してあります。実際の進学先のみ記載してあります。詳細を知りたい場合は、お気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2019年4月12日 15時16分

授業紹介~意見作文②~

前回の続きです。

 

今回は、意見作文を扱った授業の様子を紹介します!

 

【問題】

まさお君ともんち君は親友です。このごろ、もんち君は新しいゲームを次々と買っています。

不思議に思ったまさお君は、どうしてそんなにお金があるのか、もんち君に聞きました。

「実はね、おじいちゃんの家でお手伝いをすると、お金がもらえるんだよ。」ともんち君は言いました。

まさお君はうらやましく思いましたが、お手伝いをしてお金をもらうなんて変だという気もしました。

お手伝いをするたびにお金がもらえるルールについて、賛成か反対か、あなたの意見をなるべくくわしく説明しなさい。

 

 

この問題、作文教室の授業で、6人の生徒が一緒に取り組みました。

問題を読んだ瞬間、ほぼ同時に全員の「賛成!」の声が。

でも、その背景には色々な考えがあるようで……。 話を聞いてみると、

「お手伝いでお金がもらえたら、ほしいものが自分で買える!」

「うちはお手伝いは家にいる人の仕事だから、ぼくもお風呂掃除をしている。もんち君がうらやましい!」などなど。

 

2人目の子の発言のとき、

「まさお君が”お手伝いをしてお金をもらうなんて変”って考えたのは、

お手伝いをそういう当たり前のこととして考えているからかもしれないね」

と話すと、賛成一色だった様子が少し変わってきました。

 

 

そこで、賛成と反対の両方の立場から、意見の根拠を考え、メモにしました。

 

 

≪賛成≫              ≪反対≫

・ 好きなものが買える        ・ お金目当てになる

・ やる気になる            ・ お手伝いをするのは家族として当たり前

・ お金はお礼の気持ち        ・ いつでもお金がもらえると思ってしまう

 

 

う~ん、なかなか鋭い意見も出てきました。

ここで、改めて意見を考え直し、いよいよ作文を書きます。

せっかくたくさんの理由を考えたのだから、それを活かそう。

自分とは逆の立場に対する反論も入れて、自分の意見の説得力をアップさせよう。

鉛筆をもつ手が勢いよく動きだしました。

書くべき内容が決まり、それを自分のことばで表そうとするとき、生徒が放つあの集中と熱気が、私は大好きです。

 

次回、実際に生徒が書いた作文を、賛成と反対の1つずつ紹介します。

 


 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年3月16日 15時18分

授業紹介~意見作文①~

宮前教室の鈴木です。花粉症持ちには少しばかりの辛抱の季節がやってきました…。

 

今回は意見作文について紹介します。

小学生基礎や作文教室では、様々なテーマで意見を書いてもらっています。

 

【テーマの例】

・ 外で遊ぶのと家で遊ぶのではどちらがよいか

・ 席替えはどのくらいのペースで行われるのがよいか

・ 夏休みの理想の過ごし方

・ 友達は多いほうがよいか、少なくてよいか

・ 「子供の習い事は親が決めずに、子供自身に決めさせるべきだ」という考えに対し、賛成か反対か

・ 「りっぱな人」とはどのような人のことか

 

 

身近なテーマから、大人でも考え込んでしまうものも。

字数も、自由だったり、200字~400字だったり、生徒に合わせて決めています。

どんな意見も述べる場合も、意見の根拠を、感情ではなく、論理的に説明することが大切です。

 

 

先ほどの例の最初のテーマでは、

「外だと花粉症がつらいから」という理由で「家で遊ぶ方がいい」という立場を選んだ生徒がいました。

もちろんこの時期のつらさはよく分かるのですが…!

「家で遊ぶとこんな面白さがある」という積極的な良さをくわしく述べる、

あるいは、「外で遊ぶのはこんな風に楽しい。しかし、春に限っては花粉症でこんなに大変な状況になってしまうから、比べると家で遊ぶ方がまだいい」

という内容をくわしく述べる、ようにしたいところです。

 

 

さて、理由をくわしく書く、というのはどういうことでしょう。

よくあるのが、「理由は~からだ。」で終わってしまうパターン。

それを防ぐには、考えを深めて言い換えること、理由を複数挙げること、具体的な体験を入れることが有効です。

文を書きはじめる前に、メモを作っておくといいですね。

このメモが意見の出来の鍵を握ります。

 

 

では、生徒たちは実際にどんな意見作文を書いているのでしょうか。次回に続きます!

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年3月11日 14時38分

春期講習のご案内

春期講習のお申込みを受け付けております。

 

以下の講座案内をご参照の上、メールまたは電話でお申込みください。

 

※ 電話がつながらずご迷惑をおかけすることが多々あります。

  留守電にメッセージをお残しいただくか、メールでお問い合わせください。

 

 

駅前教室 講座案内

宮前教室 講座案内

 

 

ご質問やご相談がございましたら、お気軽にお問い合わせください。

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2019年3月10日 16時28分

春期講習のお知らせ(西荻駅前教室)

今年も春期講習を開講します!

授業内容の詳細等、お気軽にお問い合わせください。

 

お申込みの際は、メールまたはお問い合わせフォームにて、お名前・学年・受講希望講座名をお知らせください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2019年3月5日 22時44分

授業紹介~寺子屋式授業・低学年算数~

こんにちは。宮前教室の鈴木です。

 

この春で、私がフィロソフィア国語教室に加わってから、ちょうど1年になります。

生徒たちと楽しく学習できていることに、感謝の日々です。

 

 

さて、今日は、小学生の算数について紹介します。

 

この1年間で、3年生くらいの子の保護者の方から

「算数の文章題が苦手で…」というお話をきくことが何度かありました。

計算はよくできるけれど、文章の意味を理解して式を立てるところにつまずくことが多いようです。

 

 

例えばこんな問題。

 

学芸会の日、体育館にお客さんがすわるためのいすを9こずつ8列ならべました。

ところが、95人のお客さんが来て、いすが足りなくなってしまったので、3列ぶん、いすをふやしました。

お客さんは1人1つずついすにすわりました。

これから来る人もいるかもしれません。

あと何人すわれますか。

 

 

答えにたどり着くためにするべきことは4つ!

①文章をよく読む

②状況をあらわす図を描き、理解する。

③たし算、ひき算、かけ算、わり算のどれを使うか考えて、式を立てる。

何が問われているのかを確認し、答えを出す。

 

 

……書いていて、これは大変な作業だ、と改めて思いました。

苦手な子は特に①②の部分につまずき、でたらめな式を立ててしまいがちです。

この問題は「9こずつ8列」と「3列ふやす」という言葉を図で表すことがポイントでしょうか。

文章をちゃんと読み、ちゃんと考える力は算数でも大切です。

 

 

寺子屋式授業では、生徒のレベルに合わせた問題を出し、一歩ずつ丁寧に解説します。

はじめは苦戦していた子も、ヒントを手がかりにくりかえしチャレンジするうちにできるようになっていきます。

苦手意識が克服できれば、こっちのもの!

ただ計算をするだけではなく、わからないことを工夫して求める面白さを味わってほしい。

そんな思いを込めて授業をしています。

 

 

宮前教室では、ただいま、月曜17時~寺子屋式、月曜19時~大学入試標準、土曜18時~思考力型クラスで生徒を募集しています!

ぜひお問い合わせください。

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年2月22日 14時43分

授業紹介~小学生基礎・条件作文④~

小学生基礎・条件作文①からごらんください。

 

 

次の条件を満たすおはなしを作りなさい。

 

①寝ているときに夢を見て、怖さのあまり目をさましたところ、

 夢だとわかってほっとしたというストーリーにすること。

②「森林」「雨」「ぶるぶる」という言葉を全て使うこと。

 

 

この条件をもとに、4年生は、こんなに長いおはなしを作りました。

 

 

小学生のこう太は、学校でこわいお話を聞いた。家に帰って妹に話をきかせてやった。

そしたら妹は、「そんな話しないで。ゆめにでてきちゃうよ。」といってこう太のへやからでていった。

その夜は、深くねられなかった。そしてゆめをみた。

こう太はいつのまにか自然ゆたかな森林のまん中に立っていた。

そこは、小鳥の鳴き声がひびくとてもいいかんきょうだった。

ところが、そのすぐあと、小鳥やその他の動物がその森林からはなれていってしまった。

こう太は、「えさでもあるんだろう。」と思っていた。

何分かしたときだった。少しずつ雨雲が近づいてきた。

とつぜんあたりがまっくらになり、あのゆたかな森は、ごくらくから大じごくに落ちたようなかんじだった。

まもなく大雨がふりだし雨は地面をたたきつけた。

こう太はいそいで木のかげにとびこんだ。

でもその木には葉がなく雨が枝のすきまからたたきつけたかと思うと、その木から声が聞こえてきた。

「出てけ出てけ。」となんども言うのだった。

そこからぬるぬるしたものがこう太にまきつき、空に投げた。

まっさかさまに落ちているときに目がさめた。

なあんだ、ゆめだったのか、よかったあと思った。

 

 

主人公に名前をつけて、こう太の心のセリフも入れることで、よりおはなしらしくなっています。

森林の和やかな雰囲気が一転、大じごくに落ちたようになってしまい、こう太が追い詰められていく様子がよく分かります。

それと同時に、とても楽しんでおはなしをつくっていることも伝わってきます。

 

 

ストーリーにあうおはなしを考える力と、言葉を適切に使う力を鍛えることがねらいの条件作文。

最初は難しいと言っていた生徒も、何度か練習すると、どんどんおはなしを書けるようになります。

生徒に合わせて、ストーリー設定を複雑にしたり、使うべき言葉の数を増やしたりして難しくすることも。

楽しみながら、書く力を伸ばしています。

 

 

宮前教室では、ただいま、月曜17時~寺子屋式、月曜19時~大学入試標準、土曜18時~思考力型クラスで生徒を募集しています!

ぜひお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年2月19日 15時08分

授業紹介~小学生基礎・条件作文③~

前々回前回のつづきです。

 

 

次の条件を満たすおはなしを作りなさい。

 

①寝ているときに夢を見て、怖さのあまり目をさましたところ、

 夢だとわかってほっとしたというストーリーにすること。

②「森林」「雨」「ぶるぶる」という言葉を全て使うこと。

 

 

つづいては、3年生が書いたおはなしです。

 

 

わたしはねているときにゆめを見ました。

このゆめはこんなおはなしでした。

ゆめの中でわたしは森林にいました。

すこしあるいたら海が見えました。

海へ走っていくといきなり雨がふってきました。

でもただの雨ではありません。その雨といっしょにかみなりやきたかぜがふいてふゆのようにさむかったのです。

あまりにもさむかったので、わたしはぶるぶるとふるえてしまいました。

そのうち、わたしはうごけなくなってしまいました。

そのとき、いきなりわたしの目の前にかみなりがおちてきました。

こわさのあまり目をさましたところ、ゆめだと分かってほっとしました。

 

 

 雨だけではなく、雷、北風、「ぶるぶる」ふるえるほどの寒さ……

「雨」という言葉をもとにして、天候だけで状況をより恐ろしくすることができています。

「ふゆのように」という比喩も効いていますね!

何より、一文一文が短くて読みやすいです。

くわしく書こうとすると、ついつい一文が長くなってしまいますが、分かりやすくするには短い文を連ねることが大切です。

一連の流れが自然で読みやすいおはなしになりました!

 

次の記事がこのシリーズ最後です。最後は、4年生がかいたおはなしを紹介します。

 

 

宮前教室では、ただいま、月曜17時~寺子屋式、月曜19時~大学入試標準、土曜18時~思考力型クラスで生徒を募集しています!

ぜひお問い合わせください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年2月16日 17時53分

授業紹介~小学生基礎・条件作文②~

前回の続きです。

 

次の条件を満たすおはなしを作りなさい。

 

①寝ているときに夢を見て、怖さのあまり目をさましたところ、

 夢だとわかってほっとしたというストーリーにすること。

②「森林」「雨」「ぶるぶる」という言葉を全て使うこと。

 

 

まずは、1年生が書いたおはなしを紹介します。

 

ぼくは一人でぼうけんにでました。

あるいているとどうくつがあって、中に入ってみるとくらくてこわくてぶるぶるふるえました。

どうくつをぬけると森林がありました。

そこにはわるい人がいて「ダイヤのけんをよこせ」といわれました。

でもダイヤのけんはもっていなかったので「もっていません」といったら「うそつけ」といわれて、たたかいがはじまって雨もふってきました。

たたかっていると、うしろにドラゴンがいるときづきました。

ドラゴンにつかまってほのおをふかれそうになったとき、目をさましてゆめだとわかってほっとしました。

 

 

「ぼうけん」らしい展開になりました。

会話文もあるので、生き生きと読めます。

ドラゴンにほのおをふかれるとなっては、確かに目もさめそう!

 

最初に書いたときは、「ほのお」が「ほのう」になっていたり、セリフにかぎかっこがついていなかったりしましたが、教師のアドバイスをもとに直しました。

ひらがなかぎかっこの使い方は、低学年生の大事なポイントです。

雨や森林の様子をもう少しくわしく書けると、もっと読みごたえが出そうです。

 

さて、同じ条件のとき、他の生徒はどんなおはなしを書いたでしょう?

次回、ご紹介します。

 

 

宮前教室では、ただいま、月曜17時~寺子屋式、月曜19時~大学入試標準、土曜18時~思考力型クラスで生徒を募集しています!

ぜひお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年2月12日 10時50分

授業紹介~小学生基礎・条件作文①~

こんにちは。宮前教室の鈴木です!

 

寒さが厳しい2月。インフルエンザでお休みの生徒もちらほら…。

やっぱり全員が元気でそろうのがいいですね。春が待ち遠しいかぎりです。

 

この季節、実は新年度を見すえたお問い合わせも多い時期です。

そこで、小学生基礎の教材を紹介していきたいと思います。

 

今回は、条件作文

こんな問題です。

 

次の条件を満たすおはなしを作りなさい。

 

①寝ているときに夢を見て、怖さのあまり目をさましたところ、

   夢だとわかってほっとしたというストーリーにすること。

②「森林」「雨」「ぶるぶる」という言葉を全て使うこと。

 

この問題のねらいは、ストーリーにあうおはなしを考える力と、言葉を適切に使う力を鍛えることです。

また、一年生で習う漢字が復習できるように言葉が選んであります。

 

夢からさめるくらい怖いことって、何だろう。

「ぶるぶる」という語は、どのようなときに使うだろう。

ただ好きなようにつくればいいおはなしと違って、

条件を満たし、かつ面白いおはなしになるように、頭を働かせなければなりません。

 

それでも、「作家になったつもりで書いてみよう!」と話すと、

生徒たちは面白がり、一生懸命鉛筆を走らせます。

同じ条件でも、完成したおはなしは人それぞれ違い、それを読むことも楽しみの一つです。

書き上げたおはなしを自分で読んだときの満足気な表情が、頑張りを物語っています。

 

それでは、実際にどんなおはなしができたのか、次の記事でご紹介します。

お楽しみに!

 

 

宮前教室では、ただいま、月曜17時~寺子屋式、月曜19時~大学入試標準、土曜18時~思考力型クラスで生徒を募集しています!

ぜひお問い合わせください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 授業紹介  投稿日時: 2019年2月5日 17時47分

宮前教室現在の空き状況

宮前教室では、2019年1月末現在、以下の授業で生徒を募集しています!ぜひご参加ください。

 

月曜17時~19時 寺子屋式授業

 自分のペースで読解練習をしたい、他の曜日は用事がある、国語以外の教科も勉強したい…など、通常の国語授業への参加が難しい生徒に、柔軟に対応しています。

小学生~高校生まで受け入れ可能です。

17時~18時のみといった1時間授業もできます。

 

月曜19時~21時 大学受験標準クラス

 高校生クラスで、現代文・古文・漢文にバランスよくとりくみます。基礎からていねいに読解力をのばします。

 

 

土曜18時~20時 思考力型クラス  

 最近増えている、複数の資料を読み取ったり考えを書いたりするタイプの問題にとりくみます。

思考力型入試、適性検査、小論文入試に対応する新しいクラスです。中学生~高校生対象予定。

参加される方の目標やレベルに合わせて課題を設定します。

 

 

宮前教室全体の空き状況は、こちらをご覧ください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2019年1月29日 20時22分

新年の授業のご案内(西荻駅前教室)

明けましておめでとうございます。

 

冬期講習も前半戦が終了。

 

年末は比較的、時間的・精神的な余裕をつくりやすい時期のようで、

伝記を読んで古き良き時代を感じたり、

作文を書きながら気になった言葉の語源を調べたり、

文法事項をひとつひとつ確認しながら古文を読んだり

 

皆思い思いに、国語の楽しさをじっくりと味わう時間を過ごしてもらえたように思います。

 

 

対照的に、受験生は最終チェックに忙しい時期。

焦る心をおさえつつも、限られた時間のなかでどこまでできるか

自分の限界に挑むため、時間を計って過去問題の演習を繰り返します。

 

受験でいちばん避けたいのは「時間切れ」。

国語の試験は特に「何を書けばよいのかわからない!」と焦っているうちに、作文や記述問題を空欄のまま提出してしまうことがいちばんもったいないので・・

時間管理の練習をしっかりとしておきたいところです。

 

ということで受験生クラスはまず、どの問題を何分間で解くか、大問ごとの目標タイムを自分で決めてもらってから演習を行いました。

 

目標タイム通りに問題を終えられた子には、いっしょに受験校の合格最低点を確認したうえで、あと何問正解できれば合格できるか(あるいは、他の科目でどのくらい失点できる余裕を作れるか)そのためには、次回からどんなことに気を付ければよいか、点数ベースの話をしながら解説を行います。

 

時間が足りなかった子には、どの行程に時間をかけてしまったのか感想を聞いたうえで、その時間を削るためにどんなことに気を付ければいいか作戦立てをして次につなげます。

 

時間に余裕がありそうな子は、すべて解き終えた後で何をチェックすればよいか、優先順位をつけて見直し方法の確認をします。

 

時間を意識するプレッシャーをタイムトライアルタイプのゲーム感覚で楽しんでもらうこと、

試験中の思考経路を忘れないよう、演習の直後に振り返りを行うこと、

改善できるポイントを意識しやすいように1点か2点に絞り、次の演習につなげてもらうこと

 

が、私が受験生への指導時に意識していることです。

 

 

受験勉強というと、つらいイメージばかりが先行しがちなのですが

じぶんの強みと弱みをだれかと共有して、試行錯誤しながら成果を数字につなげていく感覚はきっと心地がいい。

そんな気持ちを味わってほしいなぁという老婆心を根拠にして、受験生を応援しています。

 

新年の授業は4日から、新学期授業は14日より再開します。

皆様にとって、幸多き年となりますように。

 

                           フィロソフィア国語教室 山田 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2019年1月11日 23時20分

冬期講習のご案内(宮前教室)

宮前教室の冬期講習については、以下のリンク先をご参照ください。

1コマからご参加できますので、ご都合のよろしいようにお申込みください。

ご不明な点やご相談があれば、お気軽にメール・電話でお問い合わせください。

(お電話がつながらない場合が多々ございます。あらかじめお詫び申し上げます。)

宮前教室 冬期講習のご案内

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2018年12月3日 16時59分

冬期講習のお知らせ(西荻駅前教室)

12月26日より、今年も冬期講習を開講します。

 

講座内容の詳細や受講方法のご相談は、下記を参照のうえお気軽にお問い合わせください。

ホームページからのお申し込みも承っております。

お問い合わせフォームより、受講希望講座・学年・お名前を記載して送信ください。

 

 

 

 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 講習会のお知らせ  投稿日時: 2018年11月30日 22時42分

西荻駅前教室日記(15)

夏期講習のご参加ありがとうございました。

 

今年の「夏の精読教室」では「シートン動物記」を読みました。

 

この作品は名前こそ知っていたのですが、私自身は子どものころに読んでおらず・・(動物のお話は、死んでしまうシーンがあったときに悲しいと思い、避けていました)

この仕事を始めてから、読書家の生徒達に薦められて初めて読んだものです。

 

野生動物たちの強さと、賢さと、愛くるしさと、残酷さ・・ それを心から尊敬し、できるだけ忠実に表現しようとする筆者の誠実さが文章から伝わってきて 心がうたれます。

授業では「ロボ」と「ギザ耳うさぎ」の2作品を扱いましたが、 どちらの作品も、わたしは読み返すたびにぼろぼろと泣いてしまいます。

 

動物が主人公だったり、自然をテーマにした物語は、子どもたちにも人気があります。

 

そして、夏休みと言えば・・読書感想文!

「シートン動物記」の精読を通じて考えたことを文章にまとめた子もいれば

自分のお気に入りの1冊を教室に持ってきてくれて、 ああでもない、こうでもないと悩みながら一生懸命書きあげている子もいました。

 

思い入れのある作品こそ、その感想を言葉にするのは難しい気もするけれど

自分が心から好きなものについて、そのすばらしさをじぶんの言葉で表現できることの

開放感や心地よさを感じて欲しいと願いながら指導しました。

 

苦労して書き上げたひとこそ、 その原稿用紙はぜひ、大人になるまで取っておいて欲しいです。

 

フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2018年9月25日 12時21分

2学期開講講座のお知らせ(西荻駅前教室)

9月になったというのに、じめじめと暑い日が続きますね。

 

今週から西荻駅前教室では新学期授業が始まりました。

 

国語教室の講座について、変更点と新授業情報をお知らせします!

 

① 中学受験対策を開講します!(毎週火曜日 17時10分から18時50分)

ご要望の多かった、小学生向けの読解問題対策クラスを開講します!志望校の過去過去問題など、教材を指定したうえの指導も承ります。

都立中高一貫の適性検査に特化した受験対策講座は 土曜日 10時40分から12時20分に開講しておりますので、

あわせてご検討ください!

 

② 寺子屋式国語を土曜日午後に開講します!(時間・授業内容応相談)

日曜夕方に開講していた「寺子屋式国語(個別指導型授業)」を土曜日午後に開講します!(授業は山田が担当します。)

授業時間は(13時半から17時半)の中でご希望とご都合に合わせて調整を行います。

 

授業内容は、日ごろの学習状況や学習目標等をおうかがいしてから、1人1人の学習進度にあわせて授業内容を決定いたします。お気軽にご相談下ください。

受験や定期テストの対策をご希望の際は、お問い合わせの際に過去の試験結果と今後の受験予定をお知らせください。

 

平日の授業の都合がつかない場合の振り替え授業もこの時間帯で承ります。

 

読書の秋にスポーツの秋、充実した2学期を過ごしましょうー♪

 

フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2018年9月10日 11時48分

2学期の授業について(西荻駅前教室)

駅前教室の2学期授業は国語教室・寺子屋教室ともに9月10日~12月22日まで開講の予定です。

新学期開講にあたり、新規入塾、クラス変更、進路等の学習相談(面談)のご予約も承っております。

メール・お電話にてお気軽にお申しつけください。

(電話に出られない場合は留守電にメッセージをお願いします。確認次第折り返しご連絡いたします。)

 

今学期もどうぞよろしくお願いします!

 

フィロソフィア国語教室・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田あかね

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 寺子屋教室について 未分類  投稿日時: 2018年9月2日 20時52分

夏期講習 講座案内(西荻駅前教室)

西荻駅前教室の夏期講習について、講座内容の詳細を公開します。 対象学年はあくまでも目安となりますので、どの講座を受講すればよいのか分からない・・ という場合は、お子様の学習状況や学習目的に合わせてお気軽にご相談ください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2018年7月7日 19時16分

夏期講習 講座案内

夏期講習の講座案内を公開いたします。

ご参照の上、メールまたはお電話でお申込みください。

また、ご質問やご相談などございましたら、お気軽にお問い合わせください。

(※電話は出られない場合が多々ございます。留守電にメッセージをお残しください。)

★ 宮前教室 夏期講習2018 講座案内 受講料のお知らせ

★ 駅前教室 夏期講習2018 講座案内 受講料のお知らせ

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2018年7月3日 14時17分

夏期講習のご案内

2018年度夏期講習は7月末から8月末にかけて開講いたします。

駅前教室・宮前教室の両教室で、小学1年生から大学受験生までを対象に多くの講座を用意いたします。

国語を得意にしたい皆様のご参加をお待ちしております。

各講座の詳細は、近日公開いたします。

 

● 宮前教室 夏期講習スケジュール

 

7月27日~29日

 9:00~10:30 小学国語基礎A(小1~小3)

10:30~12:00 小学国語標準A(小4~小6)

13:00~15:00 中学国語標準A(中1~中3)

15:00~17:00 現代文読解A(高1~大学受験生)

 

7月30日~8月1日

 9:00~10:30 小学国語標準B(小4~小6)

10:30~12:00 小学国語発展A(小5~小6)

13:00~15:00 夏の精読教室A(中2~高1)

 

7月31日・8月1日

15:00~17:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

17:00~19:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

 

8月2日~4日

 9:00~10:30 小学国語基礎B(小1~小3)

10:30~12:00 小学国語発展B(小5~小6)

13:00~15:00 中学国語標準B(中1~中3)

15:00~17:00 現代文読解B(高1~大学受験生)

17:00~19:00 古文特訓A(高2~大学受験生)

 

8月2日・3日

 9:00~10:30 夏の補習教室(全学年)

10:30~12:00 夏の補習教室(全学年)

 

8月6日~8日

 9:00~10:30 小学国語基礎C(小1~小3)

10:30~12:00 夏の精読教室B(小4~中1)

13:00~15:00 古文基礎A(中3~大学受験生)

 

8月6日

9:00~10:30 夏の補習教室(全学年)

10:30~12:00 夏の補習教室(全学年)

 

8月7日・8日

15:00~17:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

17:00~19:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

 

8月9日・10日

 9:00~10:30 夏の補習教室(全学年) 

10:30~12:00 夏の補習教室(全学年)

13:00~15:00 漢文読解A(高1~大学受験生)

15:00~17:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

17:00~19:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

 

8月13日~15日

 9:00~10:30 小学国語標準C(小4~小6)

10:30~12:00 小学国語発展C(小5~小6)

13:00~15:00 夏の文法教室(小6~中3)

15:00~17:00 夏の精読教室C(中2~高2)

17:00~19:00 古文特訓B(高2~大学受験生)

 

8月17日~19日

 9:00~10:30 小学国語基礎D(小1~小3)

10:30~12:00 小学国語標準D(小4~小6)

13:00~15:00 古文基礎B(中3~大学受験生)

15:00~17:00 現代文読解C(高1~大学受験生)

 

8月20日・21日

 9:00~10:30 夏の補習教室(全学年)

10:30~12:00 夏の補習教室(全学年)

13:00~15:00 漢文読解B(高1~大学受験生)

15:00~17:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

17:00~19:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

 

8月22日~24日

 9:00~10:30 小学国語基礎E(小1~小3)

10:30~12:00 夏の精読教室D(小4~中1)

13:00~15:00 中学国語標準C(中1~中3)

15:00~17:00 現代文読解D(高1~大学受験生)

 

8月27日~29日

 9:00~10:30 小学国語標準E(小4~小6)

10:30~12:00 小学国語発展D(小5~小6)

13:00~15:00 中学国語標準D(中1~中3)

15:00~17:00 古文特訓C(高2~大学受験生)

17:00~19:00 現代文読解E(高1~大学受験生)

 

8月27日・28日

 9:00~10:30 夏の補習教室(全学年)

10:30~12:00 夏の補習教室(全学年)

 

8月30日・31日

 9:00~10:30 夏の補習教室(全学年)

10:30~12:00 夏の補習教室(全学年)

13:00~15:00 漢文読解C(高1~大学受験生)

15:00~17:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

17:00~19:00 志望校対策(小6・中3・大学受験生)

 

 

◎駅前教室 夏期講習予定

8月1日・2日・3日

9:00~10:30 小学生基礎①(小1~小4)
10:30~12:00 小学生標準①(小4~小6)
14:00~16:00 中学生標準①(中1~中3)
16:00~18:00 小学生発展①(小5~小6) 

8月6日・7日・8日

10:00~12:00 都立中高一貫校対策(小5~小6)
13:00~15:00 夏の精読教室①(小4~小6)
15:00~17:00 テーマ小論文(中2~大学受験生)
17:00~19:00 寺子屋式国語①(全学年)


8月9日・10日・11日

9:00~10:30 小学生基礎②(小1~小4)
10:30~12:00 偉人の生き方を学ぼう(小4~小6)
14:00~16:00 小学生発展②(小5~小6)
16:00~18:00 夏の精読教室②(中1~中3)
 
8月16日・17日・18日

10:00~12:00 物語作家になろう(全学年)
13:00~15:00 中学生のための基礎英語(中学生)
15:00~17:00 マンガで英文読解基礎(中学生~高校生)
17:00~19:00 禅で学ぶ漢文入門(中3~大学受験生)

8月20日・21日・22日

9:00~10:30 小学生基礎③(小1~小4)
10:30~12:00 世界の文化を学ぼう(小4~小6)
13:00~15:00 夏の精読教室③(中3~高校生)
15:00~17:00 中学生標準② (中1~中3)
17:00~19:00 寺子屋式国語②(全学年)

8月23日・24日・25日

10:00~12:00 都立中高一貫校対策②(小5~小6) 
14:00~16:00 夏の精読教室④(小4~小6)
16:00~18:00 現代文読解(高校生~大学受験生) 


8月28・29日・31日(30日はお休みです)

9:00~10:30 小学生標準②(小4~小6)
10:30~12:00 過去と未来を学ぼう(小4~小6)
13:00~15:00 高校入試対策国語(中2~中3)
15:00~17:00 高校入試英語長文読解(中2~中3)

8月27・28日・29日・30日・31日・9月1日

17:00~19:00 徹底攻略!古文読解の基礎(高校生~大学受験生)
19:00~21:00 TIMEで完成する英語総合(高校生~大学受験生)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2018年6月26日 12時52分

フィロソフィア文化サロン開講記念イベントのお知らせ

「フィロソフィア文化サロン」新規開校を記念して、

6月3日に西荻駅前教室にて、

一般の方にもご参加いただける開講イベントを実施します。

ただいまお席のご予約受付中。

お問い合わせフォームよりご予約ください。  

 

イベント①

                           

  一般公開講座「禅の文化史」

  10時半~12時 (受講料無料)  講師:飯島孝良

 

 マインドフルネスの流行や、スティーブジョブズが関心を寄せていたことにより、

今、禅に対する注目が世界的に高まっています。

「フィロソフィア文化サロン」では、禅文化についてこれまでなじみのない方でも、

その理解を深めることのできる教養講座「禅の文化史」を開講します。

イベントでは開講に先立ち、 これまで禅がどのようなイメージで語られてきたか、

禅文化に触れるために必要な知識とは何かについて わかりやすくお話しします。  

 

「禅の文化史」講座詳細&飯島講師のプロフィールはこちら。    

 

 

イベント②

 

   FUNKIST宮田泰司・シンガーソングライター祐日

   ミニトークライブ

   音楽と言葉の力~最初の一歩を踏み出そう~
 

   14時~16時(参加費1000円 学生無料) 

    出演:宮田泰治(FUNKIST)、祐日


 

 世界最高峰ともよばれるアメリカの「Berklee College Of MUsic」で音楽理論を学んだ後、

FUNKISTのギタリストとして世界中で音楽を奏でてきた宮田泰治氏と、

言葉の力を大切にする歌詞と、人々の心を癒す歌声が話題のシンガーソングライター祐日による

フィロソフィアコラボライブを開催! 常に音楽の技術を学び、新たなチャレンジを続けてきた2人が、

「フィロソフィア文化サロン」開講にあたり、新しいことを始めることの大切さ、音楽と言葉の力について語り、

歌とギターで癒します。国語教室とのコラボ授業もあります。

 

出演者情報

FUNKISTオフィシャルHP

祐日オフィシャルHP       

 

             

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 一般向け企画  投稿日時: 2018年5月23日 20時39分

「フィロソフィア文化サロン」開校のお知らせ

2018年6月より、西荻駅前教室では新教室「フィロソフィア文化サロン」を開校します。

 

「文化サロン」は、これまでフィロソフィアで学ぶことのできなかった大人の方々も含め、

より多くの方に学ぶことの楽しさを味わっていただくための、新しいカルチャースクールです。

 

今までできなかったことが、できるようになること

今まで想像が出来なかった世界を知ること

自分より優れた人に学び、近づくこと

そうして新しい自分へと変化していく楽しみを味わうとともに、

主体的に自分を成長させているという自在感を、

自信へとつなげていくこと

新しく身に着けた、技術や知識を通じて

ほかの誰かと、新しいつながりかたができるようになるということ・・・

 

こうして少し、考えてみるだけでも、

学ぶことは私たちの人生を豊かにし、楽しませてくれる最高の娯楽です。

子どもから大人まで、初心者でも楽しめる講座ばかりをご用意しておりますので

ぜひお気軽におこしください。詳細はこちら

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2018年5月20日 17時56分

新クラス開講のお知らせ(西荻駅前教室)

6月より西荻駅前教室にて、水曜日と日曜日に新しいクラスを開講します!

体験授業も予約受付中です。お気軽にお問合せ下さい。

 

【水曜日】

 

17:00~19:00 大学受験国語

 

物語にせよ論文にせよ、国語は我々が感じ考えるうえで大きなヒントを与えてくれる「宝の山」です。こうしたものを基にして、今でも多くの映画やマンガが生み出されているのがその証拠だろうと思います。現代文や古典が苦手だというとき、その要因のひとつはいわゆる「文法」や「句法」にあります。ですが、いちどそうした知識の全体を見渡してみると、身に着けるべき分量は思いのほか多くないことに気づきます。この講座では、これまでの前提知識や思い込みをいちど捨ててもらい、国語の文章がどのような構造で成り立っているかを学び直してもらいます。具体的には、講師の用意した教材(テキストとプリント)を用いて、文章構造を捉えるための知識を完成させていきます。


①現代文  文章を批判的に読むために必要なルールを提示し、論理的な読解を可能にする。

②古文  「古文解釈の技法」を提示し、文法体系に基づく精確な理解を試みる。

③漢文  「漢文解釈の技法」を提示し、訓読と中国語文法に着目した読みが出来るようになってもらう。

 

学校の授業で古典が嫌がられるのは、その多くが味気ない恋愛物語やおとぎ話のような類の文章ばかり読まされることも要因です。この講座では、読んで面白い文章――本当の意味で豊かな文化的景を伝える「古典(クラシック)」を採用して読解します(具体的には、孔孟老荘や仏典など日本文化の源泉となったものや、『十八史略』や『蒙求』などかつての寺子屋で扱われたものなどを扱います)。後期に入ってからは、センター試験問題を難なくこなせるレベルをクリアし、受講者の志望校の問題へ対応できるような方法を提示します。

 

19:00~21:00 大学受験英語

 

この講座は、イチから英語を学び直すことで、もっとも苦手なひとでも難関大の問題を難なくこなせるレベルまで鍛えあげることを目指します。1年間を通じて、われわれが構築するべき「基礎」は、次のみっつだと考えています。

 

「英文構成法」の完成(語法・構文・連語の体系的修得)

「英文批判の技法」への着目(長文読解の具体的アプローチ)

英文を深く読み込む「思考力」の獲得(背景知識への習熟)

 

この基本ルールを徹底させることで、正確な知識に基づいた英文解釈・英作文への強力なステップとします。こちらの用意する教材にきっちりと取り組んでもらい、最終的にはさまざまな長文読解問題・英作文問題・英文法問題にも自由自在に対応する力を完成させていきます。

夏期講習では講師オリジナルのテキストを用意します。ここでは、ひとつのハイレベル英語長文(米国のTIME誌)に集中し、これをさまざまな方向から徹底的に詳しく読みこむことで、読解や作文に必要な「英文構成法」(語法・構文・連語表現)をすべて完成させます。このような基礎の完成を基に、入試問題突破への指針を提示します。冬期講習でも講師オリジナルのテキストを用いて、センター・国公立大・私大それぞれの入試問題を研究します。さらに「整序」「空所補充」「口語会話」「英作文」「発音・アクセント」「長文読解」など、出題形式別に問題の解法をあますところなく提示し、実際の入試にいかにして臨むべきかを詳細に講義します。テキストには、本番までに絶対身につけておくべき知識を総整理した「英文批判のための重要構文270+」を付録しています。

 

【日曜日】

 

16:30~18:30 寺子屋式

 

小学1年生から大学受験生までの全学年を対象に、各生徒の学習状況と希望にあわせて個別対応の授業をご提供します。

平日の授業にご参加できない方や、国語・英語の補習をご希望の方、学校の試験対策や志望校に的を絞った過去問対策など教材を指定して学習したい方、

ぜひお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2018年5月16日 19時46分

新講師からのご挨拶

6月から国語教室の新たな講師として、飯島孝良先生が加わります。

駅前教室で水曜日に大学受験の国語と英語、日曜日に中学受験の国語を担当します。

また、一般向けの講座として、「禅の文化史」と「大人のやり直し英語」を開講します。

どうぞご期待ください。

 

【講師紹介】

 

飯島 孝良(いいじま たかよし)

 

上智大学外国語学部(仏語学科)卒、

東京大学大学院人文社会系研究科(宗教学宗教史学専門分野)博士課程修了。博士(文学)。

研究領域は、禅文化史(とくに一休)、宗教思想史(とくに近代日本における仏教とキリスト教)。

清泉女子大学講師、親鸞仏教センター(真宗大谷派)嘱託研究員。

主な著作に、「一休皇胤説と岐翁実子説」「一休の著作―『狂雲集』『自戒集』そして仮名法語―」「一休はどう読まれてきたか―その像の系譜―」(以上はともに、芳澤勝弘編『別冊太陽223 一休―虚と実に生きる―』平凡社、2015年)。

 

「基礎をどこまでもごまさかない」をモットーに、十数年にわたって国語・英語の指導に従事。

知識ゼロからであっても、体系的な知識の把握と文章の構造的理解を徹底することで、

自在に読み書きできるようになる講義をめざしている。

国語については東大など難関大学の入試問題指導から小学生低学年の国語指導、

英語については医系英語や難関理系英語から大学院入試英語などの指導に携わってきた。

主な合格実績は、慈恵医大(医)、順天堂大(医)、東京理科大(理・工)、中央大(経済)、日本大院(理工)ほか多数。

 

【ご挨拶】

 

現在の実力は一切問いません。

ただひとつ、教室に持ってきてもらえるとありがたいのは、「好奇心」です。

こちらの提示する知識や問いかけに対して、「それはいったいどういうことなんだろう?」

「何故そういうことになっているのだろう?」という疑問をまっすぐにぶつけてもらい、

どんな小さなことでも楽しみながら理解していくことを目指していきたいと考えています。

講師として、受講される方々に提供できる限りのものを提供したいと思います。

 

  •  「ルール」(文法・句法)の修得方法を指南する教材
  •  深い「思考力」を鍛えるための一級品の文章(テクスト)
  •  「対話」を重視する講義形式

 

こうしたものを通して講師と意見や考えを交わしあい、

ことばを少しでも正確に深く理解してもらいたく思います。

基礎を繰り返す講義のなかで、少しでも「学ぶ楽しさ」「わかる喜び」を共にしていければと願っています。

ことばがわかるようになると、実に多くのことがみえてくるようになってきます。

ことばによって、我々は人間を理解し、世界を理解し、歴史を理解するようになっていく

――しかし、それが勝手な思い込みによる理解であっては、大きな誤りを生み出します。

出来る限り主観を排除し、客観的な眼でごまかしなく理解することこそ、

本当の意味での「批判critique」です。

国語や英語を「批判」的に捉えながら、ことばを自在に使いこなしてもらえるよう、

少しでもお手伝いできれば幸いです。 

 

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2018年5月10日 03時11分

新クラス増設のお知らせ

宮前教室で月曜日と土曜日に新しいクラスを開講しました!

人数にまだ余裕がございますので、お気軽にお問い合わせください。

 

☆ 月曜日

 16:00~17:00 小学生基礎クラス

  小学1年生~4年生を対象に、作文と読解の練習に取り組みます。あらゆる学習の土台となる国語の力を丁寧に育みます。

 17:00~19:00 寺子屋式クラス

  小学1年生から大学受験生までの全学年を対象に、各生徒の学習状況と希望にあわせて個別対応の授業をご提供します。国語はもちろん、算数・数学や英語、理科、社会にも対応いたします。受け入れ可能人数は5名までです。

 19:00~21:00 大学受験クラス

  大学受験に必要な現代文・古文・漢文・小論文の学力を基礎から丁寧に育みます。抽象的な評論を読み解くために必要な読解方法と背景知識を詳しく説明するとともに、古文・漢文の基本文法と語法をひとつひとつ解説します。

 

☆ 土曜日

14:00~16:00 寺子屋式クラス

小学1年生から大学受験生までの全学年を対象に、各生徒の学習状況と希望にあわせて個別対応の授業をご提供します。 国語はもちろん、算数・数学や英語、理科、社会にも対応いたします。受け入れ可能人数は5名までです。

16:00~18:00 作文・精読クラス

小学4年生から6年生までを対象に、作文と読解を得意にするための練習に取り組みます。読みやすくて充実した内容を持つ文章を書くための方法を学ぶとともに、文章を正確に理解してじっくりと考える習慣を身につけてください。

18:00~20:00 中学生クラス

中学1、2年生を対象に、中学生として身につけて欲しい読解力・表現力・思考力の養成に取り組みます。漢字はもちろん、抽象的な語句を習得し、自分の考えを論理的に展開する技法を身につけ、難解な文章に立ち向かう喜びを感じてください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2018年5月8日 15時37分

2018年の合格実績

 

合格おめでとう!

フィロソフィア国語・寺子屋教室 合格実績2018

 

〈大学受験〉

 

杏林大学看護学部

慶應大学環境情報学部

慶應大学法学部

順天堂大学スポーツ健康科学部

上智大学文学部

筑波大学人間学群心理学類

東京女子大学部現代教養学部

東京理科大学経営学部

びわこ成蹊スポーツ大学スポーツ学部 

明治大学情報コミュニケーション学部

明治大学総合数理学部

立命館大学食マネジメント学部

早稲田大学文化構想学部

 

 

〈高校受験〉

都立西高校

国際基督教大学高等学校

 

〈中学受験〉

東京電機大学中学校

日本大学第二中学校

日本工業大学駒場中学校

 

 

※ 大学、高校、中学の順に主な合格校名を五十音順で掲載してあります。赤字は進学先です。詳細を知りたい場合は、お気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2018年4月10日 22時01分

春期講習のご案内

春期講習の講座案内を公開いたします。

→ 駅前教室 講座案内

  宮前教室 講座案内

ご参照の上、メールまたは電話でお申込みください。

※ 電話がつながらずご迷惑をおかけすることが多々あります。

  留守電にメッセージをお残しいただくか、メールでお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2018年2月28日 15時57分

冬期講習 講座案内

冬期講習の講座案内を公開いたします。

→ 駅前教室 講座案内

  宮前教室 講座案内

ご参照の上、メールまたは電話でお申込みください。

※ 電話がつながらずご迷惑をおかけすることが多々あります。

  留守電にメッセージをお残しいただくか、メールでお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2017年12月14日 12時56分

西荻駅前教室日記(14)

2学期。

中学生の精読教室では、宮沢賢治「土神と狐」を読みました。

 

神様と狐が、1本の樺の木に恋をする、

というなんとも宮沢賢治らしい独創的な設定で三角関係を描いたこの作品。

設定こそ現実離れしているのですが、そこに表現される感情はとても身近で、俗っぽくて切実で

そんなバランスが、個人的にとても好きな作品です。

 

土神は直情的でとっても素直な性格。

身なりも言葉も乱暴で、樺の木の目の前でも狐への嫉妬を隠せず、どなったり悪口を言ったりするので嫌われてしまい、泣きじゃくります。

いっぽう狐は、一見世渡り上手で器用な性格。

樺の木に好かれるために嘘をつくことで、ライバルの土神を圧倒して樺の木には尊敬されるのですが、

本当のことを話せない罪悪感と孤独感に苦しみます。

 

ありのままの自分、では受け入れてもらえなくて、

かと言って、格好つけた嘘の自分を受け入れてもらっても満たされない。

悪人はどこにもいなくても、善人の弱さだけで悲劇が起こることがある。

しかし悲劇の渦中にいる人は、傍から見ると滑稽で喜劇的だったりして・・・

うーん、まさに複雑な人間社会の鏡のよう。

 

授業では、すべてを読み終えたうえで、

狐の死に顔が「うすら笑ったやう」だったというラストシーンの表現に関して、それぞれの解釈をまとめてもらいました。

これでもう樺の木に嘘をつかずに済むという解放感から「うっすら」と笑みをうがべていた

という意見や、

きつねの嘘を真に受けて、殺人までしてしまった土神を嘲って「うすら笑い」をしていた

という意見・・・

どちらもあり得るし、宮沢賢治がどちらにも読めるように計算して書いたのでは?

という気もしてきます。

 

読み込めば読み込むほどに、人間関係の酸いも甘いも感じさせられるような味わい深い作品です。

 

               フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年10月4日 21時51分

西荻駅前教室日記(13)

夏期講習。

 

初授業「偉人の生き方を学ぼう」では、幾人かの伝記資料を取り扱いました。

まずは教材づくり。子ども向け・大人向けの伝記、論文、ネット上の不確かなうわさ話や武勇伝などを乱読しながら

1人の生涯を追究するのはたいへんにおもしろい(しかしそれなりに時間もかかる)作業でした。

 

伝記資料はまず、授業に参加する生徒と同じ年頃(10才頃)のエピソードや、日常的な文脈の中でも人柄がわかるエピソードを中心にまとめることを意識しました。

「偉人」というと「雲の上の人」「天才」「自分たちとは違う」というイメージがつきものなので、なるべく親しみを持ってもらうことがねらいです。

一方で、「偉人」ならではの「凄み」も感じてもらえるよう、努力の質と量がわかりやすく感じられるエピソードや、格言、人生のターニングポイントとなった出来事なども盛り込みました。

 

 一度きりの人生。何かを成し遂げたいけれど、平凡なわたしに何ができるだろう?

 

そんな、子ども時代の漠然とした不安に希望を見出してもらうため、

偉人のちからをお借りしてのコラボ授業、というつもりで資料を編集していきました。

 

1人の人生を語るのに、2時間では授業時間が短すぎるかとも思ったのですが、

皆授業が終わる頃には「偉人」にも親しみをもてているようで、自分なりの感想文を完成させていました。

 

とくに、「アインシュタイン」の人生をあつかった回の感想文では、

自分の発明が原子爆弾の開発に役立ってしまったことに対する

アインシュタインの苦悩に思いをよせている子が多かったのが意外でした。

 

この時アインシュタインを悩ませる「影響力を持つことの恐ろしさ」とは、

おそらく多くの経験を積み、責任を背負ったあとから生まれてくるとても「大人っぽい」感情です。

 

しかし、「影響を受け取るばかりの子どもには、まだわからないでしょう?」というのはどうやら大人の思い込みで

やわらかい想像力があれば、理解は経験を越えたところにちゃんと届くものだと改めて実感しました。

 

                          フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年9月4日 11時15分

新学期の授業について

夏期講習へのご参加ありがとうございます。

新学期の授業は以下の日より再開いたします。

● 駅前教室 9月11日

● 宮前教室 9月4日

各教室、クラスの詳細についてはメールでお問い合わせください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2017年8月29日 08時25分

西荻駅前教室 夏期講習についてのお知らせ

募集締切講座 8月21日~23日 日本の民話を学ぼう、都立中高一貫校入試

       8月24日~26日 入試現代文②

       8月28日~30日 夏の精読教室

 

近年の都立中高一貫校受験の人気により、「都立中高一貫入試対策②」に予想以上に多数のお申込みをいただきました。

満席での開講も検討したのですが、短期集中講座ということもあり、より一人一人に寄り添った指導を行うためにも同内容のクラスを増設してご対応することといたしました。

 

つきましては、

 

8月24日・25日・26日  10時~12時

 

に、若干名追加募集を承ります。

お気軽にお問い合わせください。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2017年8月17日 23時36分

夏期講習 講座案内

夏期講習の講座案内を公開いたします。

→ 駅前教室 講座案内

  宮前教室 講座案内

ご参照の上、メールまたは電話でお申込みください。

※ 電話がつながらずご迷惑をおかけすることが多々あります。

  留守電にメッセージをお残しいただくか、メールでお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2017年7月2日 12時28分

夏期講習のご案内

夏期講習の時間割を公開いたします。

各講座の詳細については、近日中にお知らせいたします。

 

● 駅前教室の講座

 

 8月1日・2日・3日 

    9:00~10:30  小学生基礎①(小1~小4)

   10:30~12:00  小学生標準①(小4~小6)

   13:00~15:00  精読教室① (小4~小6)

   15:00~17:00  小論文基礎①(中2~高2)

   17:00~19:00  センター試験現代文(高2~高3)

  

 8月4日・5日・7日

   10:00~12:00  物語作家になろう!(小3~小6) 

   13:00~15:00   中学生標準①(中1~中3)

   15:00~17:00  都立中高一貫校入試対策①(小5~小6)

   17:00~19:00  入試現代文①(高2~高3)

 

 8月8日・9日・10日

   10:00~12:00  精読教室②(小6~中3)

   13:00~14:30  日本の民話を読もう①(小2~小4)

   15:00~17:00  偉人の生き方を学ぼう①(小4~小6)

   17:00~19:00  都立高入試対策①(中2~高1)

 

8月11日

   13:00~16:00  いわさきちひろの世界(課外授業・学年不問)

 

 8月17日・18日・19日 

   9:00~10:30   小学生基礎②(小1~小4)

  10:30~12:00   小学生標準②(小4~小6) 

  13:00~15:00   小学生発展①(小5~小6) 

  15:00~17:00   精読教室③ (小6~中3)

  17:00~19:00   現代文論述(高1~高3)

 

 8月21日・22日・23日 

  10:00~12:00   精読教室④(小4~小6) 

  13:00~14:30   日本の民話を読もう②(小2~小4)

  15:00~17:00   都立中高一貫校入試対策②(小5~小6)

  17:00~19:00   都立高入試対策②(中2~高1)

 

 8月24日・25日・26日 

   10:00~12:00  入試現代文②(高2~高3)

   13:00~15:00  偉人の生き方を学ぼう②(小4~小6)

   15:00~17:00  小学生発展②(小5~小6) 

   17:00~19:00  中学生標準②(中1~中3)

 

 8月28日・29日・30日 

   9:00~10:30   小学生基礎③(小1~小4)

  10:30~12:00   小学生標準③(小4~小6)

  13:00~15:00   小論文基礎②(中2~高2)

  15:00~17:00   精読教室⑤(中3~高3)

 

● 宮前教室の講座

 

 7月31日~8月2日

   9:00~10:30   小学国語基礎A(小1~小4)

  10:30~12:00   小学国語標準A(小4~小6)

  13:00~15:00   夏の精読教室A(小5~中3)

  15:00~17:00   古文読解A(高1~高3)

  17:00~19:00   現代文読解A(高1~高3)

 

 8月3日~5日

  9:00~10:30    小学国語標準B(小4~小6)

 10:30~12:00    小学国語発展A(小5~小6)

 13:00~15:00    中学国語標準A(中1~中3)

 15:00~17:00    古文基礎A(中3~高3)

 17:00~19:00    漢文読解A(高1~高3)

 

 8月7日~9日

   9:00~10:30   小学国語基礎B(小1~小4)

  10:30~12:00   小学国語発展B(小5~小6)

  13:00~15:00   夏の文法教室(小6~中3)

  15:00~17:00   現代文読解B(高1~高3)

  17:00~19:00   古文読解B(高1~高3)

 

8月10日~12日

   9:00~10:30   小学生標準C(小1~小4)

  10:30~12:00   小学国語発展C(小5~小6)

  13:00~15:00   中学国語標準B(中1~中3)

  15:00~17:00   古文基礎B(中3~高3)

  17:00~19:00   漢文読解B(高1~高3)

 

8月14日~16日

   9:00~10:30   小学国語基礎C(小1~小4)

  10:30~12:00   小学国語標準D(小4~小6)

  13:00~15:00   夏の精読教室B(小5~中3)

  15:00~17:00   古文読解C(中3~高3)

  17:00~19:00   現代文読解C(高1~高3)

 

8月19日・21日・22日・25日

  10:30~17:00   夏の補習教室(全学年)

 

8月28日~30日

   9:00~10:30   小学国語基礎D(小1~小4)

  10:30~12:00   小学国語発展D(小5~小6)

  13:00~15:00   中学国語標準C(中1~中3)

  15:00~17:00   現代文読解D(高1~高3)

  17:00~19:00   古文読解D(高1~高3)

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2017年6月20日 16時01分

新授業のご紹介

西荻駅前教室にて、6月より新授業を開講しました!

 

大学受験現代文・・・月曜18時10分~19時50分

各生徒の志望校に合わせた読解・小論文作成の対策を行います。隔週で授業を行うため、どちらかの授業のみの受講も可能です。現代文の授業では、センター試験や大学受験の過去問題を用いて、テクニックに依拠せずに、文章構造を深く理解するための丁寧な読解方法を伝授し、解答を導くための方法論を指導します。小論文の授業では、受験小論文の頻出テーマをより深く理解するために必要な教養知識の獲得と、論の組み立て方や添削指導を通じた表現力の向上を目的とした指導を行います。授業ではこちらで課題を指定して授業を進めますが、志望校の過去問対策にも対応し、個別に添削指導を行います。

 

 

カウンセリングコース・・・月・木・金 10時~11時、11時~12時、13時~14時のうち要相談

 

個別の事情により学校で学ぶことのできない方を対象とした、昼間開講の完全個別クラスです。不登校、高卒認定資格取得、自宅浪人生にも対応します。

授業時間は基本的に1時間ですが、このコース受講の方に限り、ご希望があれば国語教室の他の授業を1コマ、寺子屋教室の授業を1コマ無料で受講いただけます。

 

各授業とも、体験授業を承っております。お気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年6月1日 15時16分

西荻駅前教室日記(12)

5月14日にSchipによるワークショップが開催され、私も参加させていただきました。

 

「入試現代文」の「正答の無さ」を逆手に取ったこの企画。

Schipは、東大の入試問題を題材としたぶ厚い参考書を作成しているのですが・・・

そこの参考書から辿り着く「答え」と赤本や予備校の「模範解答」が全く違うというのがまずはおもしろいのです。

 

その道のプロとされる人たちの間ですら「答え」がちがう・・

するとじゃあ、「答え」って何なのさ、と放り出されることになるのですが

その「突き放し」が

「解くから問うへ」をテーマとするSchipのねらいとなっているようです。

 

思えば、日々の生活で直面する「問題」は答えの無いものばかり。

「尊厳死を認めるべきか」「増税はすべきか」といった社会的なものから、

「私と仕事どっちが大事なのよ」「このパンに合うおかずはなにかなぁ」まで

あぁ、なやましい。

 

しかし、満場一致で完璧だと認められるような答えを出せないにしても

「より良い」答えを追求し、それを論証していくことはできます。

(たとえば、最後の問いはみそしるよりもスープが「正」にちかいと論証するのは難くない)

 

追求と論証を繰り返し、頭をひねりながらええいと自分なりの正答を編み出していく

日々の意思決定に伴う、スリリングな感覚の疑似体験

あぁ、これが「現代文試験」における「記述式課題」の醍醐味だなあと

改めて思いだされました。

 

「現代文試験」を「ラベルの張替え」という比喩で、

広告マーケティングになぞらえていたのもとてもよかったです。

身近でユーモラスな映像資料から

「机上」と「社会」がスムーズにつながるよう、思考を導いてくれる仕組みになっていて

なごやかな雰囲気の行間からも

勉強って机に向かって点数を取るためにやるんじゃないんだぞ

という、熱のこもった教育論ががんがん伝わってきて、

あっという間に時間が過ぎました☀

 

簡単なゲームによるアイスブレイク、その後の解説ではスクリーンへとみんなの意識を集中させることで

メインの問題演習時に、集中力を紙の上へと自然に移行できるような流れになっていたのもよかったです。

 

私はまだまだ机上に生徒を縛りすぎているような気がするから

もっとアクティブラーニングの考えを取り入れながら

いろんな感覚を研ぎ澄ませられるような学び方を試していかないと、と

授業づくりの面でもとても勉強になりました。

 

いちばんの反省は、

いい企画なのに、宣伝を十分にできなかったこと。次回までの課題とします。

 

SchipのかっこいいHPはこちら。アプリもたのしそう。

 

                            フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年5月20日 11時50分

Schip主催ワークショップのご案内

5月14日(日)15時~18時

西荻駅前教室において、Schipの皆さんによるワークショップが開催されます。

 

Schipは、

読解→解答作成の思考プロセスに着目した独自の参考書を開発するなど

現代文の入試問題をツールとして

「解く」だけでなく「問う」力を養うための、新しい学びを提案している若手チームです。

 

小学生~大人までお気軽にご参加いただける企画となっておりますので、

参加希望の方は、こちらからお申し込みください。

 

詳細はこちらのチラシをご覧ください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2017年4月27日 22時42分

2017年の合格実績

合格おめでとう!

フィロソフィア国語・寺子屋教室 合格実績2017

 

〈大学受験〉

 

青山大学経営学部

慶應大学商学部部

慶應大学文学部

上智大学国際教養学部

東京理科大学理工学部

中央大学経済学部

日本大学芸術学部

法政大学グローバル教養学部

明治大学国際日本学部

早稲田大学社会科学部

早稲田大学商学部

早稲田大学文化構想部

早稲田大学文化構想部

早稲田大学教育学部

早稲田大学人間科学部

 

 

〈高校受験〉

 

佼成学園高等学校

国際基督教大学附属高等学校

中央大学附属杉並高等学校

都立国分寺高校

都立世田谷総合高校

都立東京農芸高校

都立稔ヶ丘高校

 

〈中学受験〉

 

大妻中野中学校

 

※ 大学、高校、中学の順に主な合格校名を五十音順で掲載してあります。

赤字は進学先です。詳細を知りたい場合は、お気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2017年4月11日 15時58分

新年度の授業について

新年度の授業は4月10日より開講いたします。

今年度の時間割は授業紹介ページにてご確認ください。

 

休講中はお電話に出られないことがございます。

お問い合わせの際は、留守番電話にメッセージを残していただくか、メールをいただればお返事いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー お知らせ  投稿日時: 2017年4月3日 17時53分

西荻駅前教室日記(11)

春期講習。

小学校高学年生を対象にした「中学受験対策」講座では、

都立中高一貫校「適性検査」の過去問題を取り扱い、課題文の精読と意見文の作成に取り組んでもらいました。

 

「適性検査」の課題文は、小学生向けにしては抽象度の高い評論や随筆が取り上げられることが多いのですが、

まずはゆっくりと内容を確認しながら読み合わせを行い、

本文で言われていることの具体例をあげてもらったり、分かりにくい表現について解説を挟んだり、

課題文の理解を十分に深めてから設問に取り組んでもらうと、

記述式の課題は解答の精度が上がり、作文の内容にも深みが出てきます。


解説の際は、

生徒が自力では発想できずとも「あぁ、こういうことか」と、想像を追いつかせることができるような

日常的な例を、どれだけ多く伝えられるかが大切だと感じています。

経験値の不足を補うことで、

小学生でも、大人目線で書かれた文章を「自分の問題」として、捉え直してもらえるような発話を心がけています。

 

都立中高一貫入試は、テクニックだけで解けない良問だからこそ、

文章と向き合い、しっかり読み込む粘り強さが必要となります。

深く読み込み、何度も何度も一つの作文を書き直すという根気のいる作業を繰り返して

脳がブドウ糖をたくさん消費したのか

皆、授業が終わる頃にはおなかがペコペコになっていました。(授業は午前中でした)

 

お昼休みに生徒といっしょにおべんとうを食べるのも、講習のひそかな楽しみです。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年4月1日 00時00分

西荻駅前教室日記(10)

受験シーズンの終了。

 

自分が高校を受験する時、痛々しいほどに誰よりも努力していた友人が落ちてしまい、

大学を受験する時もいろんな人のそんな姿を見ては、

受験はむごいもの、いやなものだとばかり思ってきたのですが、

誠実な努力が実を結ぶのはやはりうれしいもので

その喜びに少しでも役立てたのであれば、これほどうれしいことはありません。

 

受験なんて負けたとしても、幸せにはなれるのだから、

という考えも、生きていく上ではとても大切で

実際、希望通りの進学先に進めたからといって

さらに未来を見れば、何が約束されるでもないのかもしれないけれど、

やっぱりやるからには勝ちに向かってほしいと思うし、

その過程に手を抜かないで立ち向かう人は、

たとえ受験で負けたとしてもいずれは勝つのだと思います。

がんばれなかった人が、負けてから立ち上がるのですら、遅くない。

あきらめるのはまだはやい、という言葉は

むしろ負けてからの方がふさわしいのでは?とすら思えます。

常に、人の勝利に貢献できる人間でありたいものです。

 

皆、新しい学校生活が素晴らしいものとなりますように。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年3月10日 00時00分

春期講習のご案内

今年度の春期講習は、宮前教室・駅前教室で以下の通りに開講いたします。

講座案内をご参照の上、メールまたはお電話でお申込みください。

ご不明な点はお気軽にお問い合わせください。

宮前教室の講習 3月27日~4月1日 講座案内(宮前教室)

駅前教室の講習 3月25日~4月2日 講座案内(駅前教室)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2017年3月2日 18時36分

西荻駅前教室日記(9)

作文を教えることの楽しさのひとつに、「ほめやすさ」があるのではないかと思うことがあります。

1+1=5

をほめるのはなかなか難しいけれど、

ある程度長い文章を書いてもらった時には、それに何かしらのよいところを見つけることができます。

 

たとえば低学年生向けの読解問題であれば

答えが少々ちがっていたとしても

「字をていねいに書けている」とか「習ったことのない漢字を書く事に挑戦できた」とか

「この部分の言いかえにこの言葉を使っているから、主人公の気持ちがよく伝わるね」

のように、よいポイントを探して指摘することができます。

 

そして「ほめことば」をプリントの隅に書きつけると、

どんなところがよかったのかな、と、その意味を一生懸命読みとろうとしてくれます。

「ほめことば」というのは、子どもにとって(大人にとっても?)最も「読みたい」「興味深い」文章のひとつなのではないでしょうか。

何であれ「読みたい」「知りたい」欲は学習の原点になるものだと感じているので、

私も「興味深い」ほめことばを伝えられるように、意識して言葉を選んでいます。

 

自分の良いところを客観的に知ることで自信をつけるとともに、もっとのばしていこうと思えるきっかけとなればと願っています。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田あかね

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室日記 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2017年2月25日 00時00分

西荻駅前教室日記(8)

嘘をついてしまう子どもに対して、こちらは嘘だとわかっているのだけれど、叱ることも咎めることもしないままにその嘘に相槌を打って聞いている、、ということがあります。(大人同士でもありますが)

嘘を非難したり、論理がおかしいと指摘して論破することは簡単なのでしょうが、それで子どもが口も心も閉ざしてしまう方が、嘘をつかれるよりも嫌だな、と思うのです。

 

そもそも嘘とは、相手の気をひきたい、相手に気に入られたいという気持ちから出てくることが多いもので、

とくに子供の場合、自分を語るだけの表現力が足りなかったり、自然な状態では認めてもらえないという不安があったり、格好つけたかったり・・

嘘をつかなくてはならないそれなりの理由があるのだろうと推測できます。

 

口封じすることよりも、嘘でできた世界を他人にもわかりやすく伝えるための語り方を覚えてもらう方が、

かえって、本当のことを語るための表現力を身につけるために役に立つ、ということもあるのではないかと、私は考えています。

その遠回りを経て、本音を語る方が面白いということを知って欲しいなと思っているので、

嘘の向こう側にまで届くような相槌を、心がけるようにしています。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2017年2月17日 00時00分

寺子屋教室 講師紹介(2)

こちらのページでは寺子屋教室の個別指導担当講師を紹介していきます!

 

◎乙竹基◎ 一橋大学商学部2年

講師。先生。コーチ。

突然ですが、皆さんはこれらの違いをご存知でしょうか。大辞林から抜粋すると、講師とは「講演会や講習会で講演・講義する人」、先生は「学問・技芸などを教える人」、コーチは「相手が定めた目標を達成できるようコミュニケーションによって手助けする専門家」のことをそれぞれ指すようです。これを参考にすると、私が目指している姿はまさに‘コーチ’にあたります。子供の性格は千差万別であると同時に、彼ら彼女らの目標とそのアプローチもまた千差万別にあります。私は相互的なコミュニケーションにより生徒の目標を認識し一人ひとりに合ったコーチングをすることで、その達成のための‘手助け’に注力し続けたいと思います。

 

や問題集を研究し尽くしている乙竹さんは、授業はもちろん、学習計画のたて方、問題集の使い方など家庭学習の方法にまで及ぶ丁寧な授業が好評です。

中学受験~予備校に通わず独自の勉強法を模索した大学受験生時代の経験を活かしたストイックで楽しい?不思議な授業をぜひ体験してください。(山田)

 

◎増子彩夏◎ 東京大学教養学部文科三類1年
 

寺子屋教室では、講師1人につき生徒が1人か2人なので、きめ細やかな指導をすることができます。ただ勉強を教えるだけでなく、学習計画のたて方や進路についてもアドバイスをしていきます。がんばる意欲のある生徒さんをお待ちしています!
 

増子さんは主に、宮前教室の生徒さんを担当しています。

明るく優しく、親しみやすい雰囲気で、得意の語学を始めとした中高生向けの授業も、勉強が苦手な小学生向けの授業もオールマイティに授業をこなす頼りになるお姉さんです。(山田)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 寺子屋教室について 未分類  投稿日時: 2017年2月1日 00時00分

寺子屋教室 講師紹介(1)

このページでは寺子屋教室にて、個別指導を担当している講師陣をご紹介してまいります!!

 

 ◎大田晋作◎ 東京大学文科三類 3年(教育学部教育社会科学専修比較教育社会学コース)

 

 「わかった!」「できた!」の喜びを一緒に味わえるよう、なるべく生徒さん目線に立って尽力いたします。

 よろしくお願いします。

 

勉強に不慣れな小学生への手取り足取りの授業から、中高生の定期テスト対策授業、センター試験や難関大学受験に向けた本格的な受験指導まで、

丁寧でわかりやすい指導が好評です。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 寺子屋教室について  投稿日時: 2017年1月7日 14時53分

駅前教室日記(7)

冬期の小学生精読教室では、「斎藤隆介童話集」を取り扱いました。

 

秋田の民話をモチーフにした作品が多く収録されているこちらの作品集。

とくに「モチモチの木」は子どもの頃、教科書で誰もが読んだ作品なのではないでしょうか。

 

弱虫だったり、噓つきだったり、無知だったり、素直になれなかったり、

そんな主人公が誰かのために立ち上がる姿に気持ちが高揚するのは

未熟な人間の奥にある誠実さをしっかりと見据える筆者のやさしさが

行間からあふれ出ているからだと思います。

 

最終日「ベロだしチョンマ」を読んだ際には

物語に書かれている情報をもとに「ベロだしチョンマ人形」の絵を描いてもらうという、少し変わった課題に取り組んでもらいました。

自分の手で映像化することで、チョンマの存在をよりありありと感じてほしいと考えたためです。

江戸という時代について、身分制度について、そこから生まれる不条理について

皆多くのことを考えさせられているようでした。

 

すべての作品に通じるテーマとして、

ちょうど今公開されている映画「この世界の片隅に」の原作者

こうの史代さんの「私は常に真の名誉を隠し持つ人間を書きたいと思っている」という言葉が思い出されました。

英雄でもなく、優秀でもない、一見平凡な人間の内側に秘められた高潔な精神。かっこいい。

 

童話集ながら、むしろ大人向けに書かれているのでは?と思わされる作品も多く

おすすめの1冊です。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2017年1月6日 00時00分

新年の授業予定について

あけましておめでとうございます。

 

駅前教室の冬期講習は9日まで

寺子屋、国語教室の新学期授業(水曜日除く)は16日から開講します。

 

皆様にとり、良い年となりますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2017年1月4日 18時50分

駅前教室日記(6)

先週から教室にも少しだけサンタクロースやリボンを飾りつけ、クリスマスムードをもりあげています。

 

小学校低学年生向けの「小学生基礎」では、季節に合わせてイギリスのクリスマスをテーマにした説明文読解に取り組んでもらいました。

子どもたちは基本的にクリスマスが大好きで、興味深い?内容でもあるらしく、集中して取り組んでいました。

 

クリスマスイブの夜、イギリスの子どもたちはファザー・クリスマスとトナカイの好物であるパイとお酒、ニンジンと水をそれぞれ枕元に用意してねむりにつきます。

一晩中、子どもたちの家をまわっていそがしい二人におれいをするのです。

そして朝になり、クリスマスツリーの下にたくさんのプレゼントがならべられていること、

枕元にあるニンジンの先が少しかじられていることに気がつくと、

自分が寝ている間に起きたすてきな出来事を想像して大喜びするのです。(課題文抜粋)

 

下線部の「おれい」について、詳しい内容説明をしてもらう記述問題では、

「おれい」の概念がわからず、「おれいって、ありがとうって言うってことかな?」と質問する生徒さんも見受けられました。

もらう楽しみとあげる楽しみが寝ている間にやってくるイギリスのクリスマス

子どもたちのわくわくする気持ちを想像するだけで、こちらまで楽しくなります。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年12月13日 11時05分

駅前教室日記(5)

期末テストシーズンが終わって、寺子屋教室に自習・質問へ来る中高生が減ってくると

いよいよ年末!という感じがしてきます。そして、同時に入試シーズンが始まります。

 

今は年明けの都立高校の推薦入試に向け、中3生の小論文添削も行っています。

自己推薦文や、志望理由をテーマにした課題が多いのですが

自分はこれまでどんな経験をしてきて、高校でどんなことがしたくて、将来どんなふうになりたいのか、

言葉にするのは、恥ずかしいし、難しいものです。

自分自身が中3生の頃も、自分のことはなかなか言葉にできなかったと思いいたります。

(高校生の頃は、1文字も書けないまま原稿用紙の前で7時間くらい固まってしまったこともありました。)

 

受験生には、いろんな角度から(具体的な角度、社会的な角度、抽象的な角度)自分の考えを言葉にしてもらい、

雑談をする時でも、面接や試験の時の引き出しをふやしておけるような対話を心がけています。

(就職活動の「自己分析」と似ていますね。)

 

自分のことがだんだん見えてくる、自分の考えができあがってくるというのは、

時間がかかるし、苦労することはあっても、心地のよいものです。

中学生のうちに一度、しっかりと向き合ってみてほしいです。

 

この時期にしか書けないパワフルな文章というものがあるのだなぁと、感じます。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年12月13日 10時48分

冬期講習のご案内

2016年度冬期講習の受け付けを開始します。講座案内をご参照の上、お申し込みください。

 

2016冬期講習 講座案内(坂爪担当・宮前・駅前教室)

2016冬期講習 講座案内(山田担当・駅前教室)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2016年11月29日 10時23分

駅前教室日記(4)

11月末~12月上旬は期末テストの季節。

寺子屋教室に通う中高生も、毎日講師とともにテスト対策に取り組んでいます。

 

国語教室でも、希望があれば授業外に教科書の読み合わせや対策問題の演習を行っています。

私としては、生徒それぞれの学び方、躓き方の癖を知るための、貴重な時間でもあります。

 

私が中学生の頃からずっと教科書に掲載されている作品を、

大人目線で読み直すのも楽しみのひとつです。

たとえば、中学3年生の教科書に掲載されている「握手」。

中学生の頃は、先生に先立たれる生徒の悲しみが印象深かったのですが、

今読み直すと、先生の想いをより深く考えさせられます。

 

試験対策を通じて、教科書の作品をより深く味わうとともに

やればできる、という自信をつけてほしいです。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年11月26日 00時00分

寺子屋教室・土曜授業開講(駅前教室)

11月より、これまで平日の夕方のみに開校していた寺子屋教室の土曜日授業が始まりました!

 

9:00~10:30

10:30~12:00

 

の時間帯にて、人数限定で募集しております。

9時からの授業後に、お昼までに自習スペースで復習

なんて使い方がおすすめです。 

休日の朝をシャキッとスタートするためにも、朝学習の習慣づけを始めてみましょう。

 

 

                      フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年11月22日 10時54分

駅前教室日記(3)

しつこい喉風邪が流行っていて、いがいがしている子が増えています。

 

11月なのに雪が降った!

ということがトップニュースとなった先週

「小学生基礎」では、雪の結晶についての説明文を取り扱いました。

 

大人たちが、電車の遅延を心配したり、寒い寒いと嘆いている中

自由作文課題では、雪が降ってとてもうれしかったという主旨の文章を書いている生徒さんが多かったです。

基本的に、説明文よりも物語を好む生徒さんが多いのですが、

その季節ならではテーマを扱った文章は、説明文であっても子どもたちに人気があります。

 

読み物として楽しめる文章を書くことからも、良い教材づくりを極めていきたいです。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室  山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年11月10日 00時00分

駅前教室日記(2)

寒くなってまいりました。

 

今学期の「精読教室」では、有島武郎「一房の葡萄」を読んでいます。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html

 

「僕」に葡萄をさしだす優しい先生の「大理石のような白い美しい手」という記述に

私としては、聖母マリア像の姿を重ねてしまうのですが、

同時に、それが「どこにも見つからない」という最終段落の意味を

あれこれと深読みしたり、もやもやと考えさせられます。

 

授業ではとくに、「僕」が「ジム」の絵の具を盗んでしまう場面を、

人間の中にある「意識/無意識」に注目しながら読み進めました。

 

この場面を丁寧に読みわけていくと

「思わず」「夢で鬼にでも追いかけられた時のように」「半分夢のように」「なんのためだか知らないが」

という表現に見られる、自分が自分でなくなっていくようなと感覚と、

「急に頭の中が氷のように冷たくなる」

という表現の後に見られる、状況を客観的に分析する理性が

「僕」の中に同居していることがわかります。

 

このように、同一人物の中に相反する感情が同居していることや、

気持ちと行動が一致しないことについて、

なんとなく状況は理解できるものの、文章化するのを苦戦している生徒さんも見られました。

 

読了後は

「先生もジムも主人公にあますぎる!泥棒はもっとこらしめなきゃ。」という感想も聞かれましたが、

先生が自分を信じてくれたこと、友だちが受け入れてくれたことで「僕」が前よりも「いい子」になったというこの物語の結末が、

わたしにはとても自然なものとして受け入れられます。

 

ただ人の優しさに触れたり、その記憶を持っているということが

人を良い方向に向かわせていくことがあるのだということを

改めて思い出させてくれる作品です。

 

                 フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室  山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年11月1日 11時11分

駅前教室日記(1)

2015年9月7日に開校した西荻駅前教室も無事に1周年を迎えることができました。

真新しい教室で塾長の開校記念講演を聞いた日が昨日のようで、あっという間の1年間でした。

 

開校時から来て下さっている生徒さんたちも、すっかりと教室に慣れてくれてうれしいかぎりです。

大人にとってはあっという間に過ぎてしまう1年間でも、子どもたちはおどろくほど成長するもので、、

背が高くなるのはもちろん、話の内容や、言葉遣い、字の書き方、勉強する時の表情など、着実に大人になっていくのがわかります。

1人1人の成長していく姿を間近で見られることが、

この仕事をするうえで、何よりの喜びであるように感じています。

 

ところで、先日中学時代の恩師に十数年ぶりにお会いする機会がありました。

 

先生は、人間の身体の細胞は7年すべて入れ替わる・・・という話から、

身体だけは変化し続けているのに、中身が変わらないなんてとても不自然な話だ、

自然体でいるためには、いつまでも変化し続けなくてはいけないよ。

 

というような話をしてくださいました。

必要な時に必要な言葉をくれる人というのがいるものです。

子供達の成長に感心するばかりでなく、

私自身も学び続け、成長し続けていきたいと改めて考えさせられました。

 

                  フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記  投稿日時: 2016年10月18日 00時00分

駅前教室開校記(18)

夏期講習最終日。

 

あいにくの雨の中、課外学習「作文写生大会」を開催し、

小学生~大学生(寺子屋教室の乙竹先生が手伝いに来てくれました!)までの8人で善福寺公園へ行きました。

 

初めての企画講座、ということでわたしはかなり緊張して臨んだのですが

教室の外で勉強すること、目に映る景色をそのまま言葉にすること、

どちらも開校前からやってみたいと目論んできた企画だったので、実現できてよかったです。

 

課外学習の作文といえば、、

 

「善福寺公園に行った。雨だったけど楽しかった。」

 

といった型通りの文になりがちですが、

 

「灰色の空。北向きの風。オーケストラのようにひびくカエルの声。緑茶のように濁った池。バームクーヘンのように広がる波紋。」(←実際に書いてもらったものです)

 

など、今回書いてもらったような情景描写をいくつか文章に含ませるだけで、

その場の状況、書き手の感じ方が伝わる文章に変わります。

 

また、原稿用紙の前で文を構成するのが苦手な生徒さんでも、

景色を写し取るつもりで文章を書くと筆が進む、ということがあります。

勉強は座学だけじゃない!と体感してもらうのも授業の目的です。

 

今後も長期休みの際には、企画講座を実施していきたいと思います。

 

フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室日記 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2016年8月29日 00時00分

駅前教室開校記(17)

夏期講習。

小学校高学年向けの精読教室では、マーク・トウェイン「トムソーヤのぼうけん」を読み進めました。

 

今回は読了後に

「共感できた箇所」「重要な箇所」「表現がおもしろい箇所」「疑問がのこった箇所」

にそれぞれ、4色の付箋を貼ってもらうことに。

真っ白だった自分の本が、カラフルに飾られていくのは気持ちが良い作業のようで

皆夢中になって読み返しながら、ペタペタと付箋を貼っていました。

 

どうしてそこに付箋を貼ったのか、理由を問いながらメモを作成していくと

それが夏休み課題の強敵「読書感想文」の下書きとなります。

 

同じ本を読み進めていたはずなのに、子どもによって気になる箇所はまったくちがっていて

最終日には、たくさんの付箋が貼られた本にも、付箋をもとに書かれた感想文にも

それぞれのカラーが出ていました。

 

いたずらを繰り返して怒られてばかりいる主人公トムの心情、

トムを叱りつけながらも、怒られているトムに同情するポリーおばさんの心情、

学校に行かず、遊んで暮らしているハックにあこがれる子どもたちの心情、

そんなハックと近づくなという大人たちの心情、、、

どれも複雑な心情のようであっても

子どもたちには、思い当たるところがあるようで

「共感できた」付箋をたくさん貼ることができていました。

 

たとえば、

学校をさぼりたい朝に、自分が病気にならないかと期待するトムへの共感を

日常生活で語るのは、褒められるべき態度ではないかもしれません。

 

けれど、自分の中にもそんな部分があることを認めること、

そのことを文章で素直に表明できることが、

読書感想文の中では認められ、時には評価にすらつながります。

 

そんな感想文ならではの自由な楽しさを伝えられるようにと意識して

授業を進めました。

 

参加した一人の生徒さんが、読書感想文に

「トムはいたずらばかりしているけど、本当に大切なことを知っている」

と書いているのが印象的でした。
 

そう感じ取れるのは、

彼女自身もきっと「本当に大切なこと」をわかっているからにちがいないのですが

では、「本当に大切なこと」とは何なのだろう?

と、言葉にしようとするととても難しい。

 

しかし、そんな正解のない問いの答えを

一行でも納得して書き進めるができたならばそれが

文章の「個性」になるのではないかと思います。

 

付箋付きの本はぜひ、本棚にそのまま残しておいて

何年か後に「小学生の頃、ここに付箋を貼ったのはなぜだろう??」と思い返しながら

もう一度読み返してみてほしいです。

 

今年も「甘いっ子」のかき氷を食べそびれたまま

あわあただしく夏休みが終わってしまいました。

来年の夏の楽しみに残しておきます。

 

                  フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室日記 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2016年8月29日 00時00分

台風による休講について

本日、台風のため宮前教室、駅前教室ともに午前中の授業は休講とさせていただきます。

午後の授業も休講とする場合は、改めて個別にご連絡いたします。

 

                            フィロソフィア国語・寺子屋教室

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2016年8月22日 09時05分

お申込み打ち切り講座のお知らせ

夏期講習へのお申込みありがとうございます。

以下の講座は、お申込みを打ち切りましたのでご了承ください。

(※8月1日更新)

 

8月1日~3日 13:00~15:00 小学国語発展A

8月11日~13日 15:00~17:00 夏の精読教室S

8月11日~13日 17:00~19:00 小学国語発展B

 

他の講座はまだお申込み可能です。

お電話には出られない可能性が高いので、

講座案内」をご参照の上、メールでお気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2016年8月1日 13時23分

一般公開講座のご案内

 

8月7日に駅前教室で一般公開講座を開講します。

テーマは「『国語』の成立」です。

 

現代私たちが使っている日本語の書きことばは、

様々な論争や実験を経て明治30年代に成立しました。

 

同時期に、学校教育の場においても

「標準語」としての「国語」の概念が定着し、

小学校の学科に「国語科」が登場します。

 

言語政策、教育、文学の観点から

日本語と国語教育の歴史を探り、

多様であった日本語表現が一つの規格へと収斂していく様を確認します。

 

「国語」はどのような狙いから生み出され、

何を可能にし、何が失われたのかを、

皆さんと一緒に考えたいと思います。

 

意欲的な中高生はもちろん、

一般の方のご参加も広く歓迎します。

8月7日 10:30~12:30

教室場所は駅前教室で、参加費は無料です。

お気軽にご参加ください。

 

 

 

... 詳細ページ

投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 一般向け企画  投稿日時: 2016年7月23日 18時41分

夏期講習のご案内

2016年度夏期講習のお申込みを受け付けます。

講座案内」をご参照の上、ご不明な点はお気軽にお問い合わせください。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2016年7月1日 16時02分

駅前教室開校記(16)

冷酒の季節・・ということで仕事後の食事会。

塾長・寺子屋教室の講師とともに、

西荻駅前の「肉寿司」さんに、お邪魔しました。

 

若い講師たちは、生肉に目を輝かせていましたが

私としては、

教室もついに、宴会を開けるほどの「組織」になったのだなぁ

ということに、こっそり感無量でした。

 

開校準備をしていた1年前にはとても、

考えられない光景です。

 

教室では生徒や授業の話ばかりをしているので、

講師たちのプライベートな話をゆっくりと聞くことのできる

貴重な時間ともなりました。

 

地元の話、研究の話、進路の話など、

自己紹介をしてもらいながら

ここぞ!とばかりに質問をくり返していると、

面接官のようだと怒られてしまいました。

 

困らせるつもりはないのですが、あれこれ質問していくと、

ふとした返答にその人らしさを知れるということもあって、おもしろいので

私はこういう場面で、矢継ぎ早に質問ばかりしてしまいます。

 

年下ながら皆、いろいろなことを考えて生活しているのだなあと

学問や自身の将来への真摯な姿勢に刺激を受けながら、

よいメンバーが集まってくれたことを改めてうれしく思いました。

 

ところで、生肉を食べた後は何となく

自分が野性的な生き物になったような気がしました。

血がみなぎります・・

 

          フィロソフィア国語・寺子屋教室 西荻窪駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2016年6月18日 00時00分

夏期講習の日程予定

今年度の夏期講習は、以下の日時に開講する予定です。(若干の変更があるかもしれません。)

各講座の詳細は今月末に公開予定の「夏期講習 講座案内2016」でお知らせし、

同時にお申込みの受け付けを開始いたします。

※一部、時間割を変更しました。

 

● 坂爪担当講座(主に宮前教室で開講しますが、高校生向けの講座の一部は駅前教室で開講します。)

8月1日~3日

9:00~10:30  小学国語基礎A(小1~小3)

10:30~12:00 小学国語標準A(小4~小5)

13:00~15:00 小学国語発展A(小5~小6)

15:00~17:00 中学国語発展A(中2~中3)

17:30~19:30 現代文読解A(高1~高3・駅前教室)

19:30~21:30 古文読解A(高2~高3・駅前教室)

 

8月7日 10:30~12:30 一般公開講座(駅前教室)

 

8月8日~10日

9:00~10:30  小学国語基礎B(小1~小3)

10:30~12:00 小学国語標準B(小4~小5)

13:00~15:00 夏の精読教室A(小5~中2)

15:00~17:00 中学国語発展B(中2~中3)

17:00~19:00 センター現代文特訓A(高2~高3)

 

8月11日~13日

10:00~12:00 難関大記述特訓A(高2~高3)

13:00~15:00 古文読解B(高2~高3)

15:00~17:00 夏の精読教室S(中3~高2)

17:00~19:00 小学国語発展B(小5~小6)

 

8月15日~17日

10:00~12:00 難関大記述特訓B(高2~高3)

13:00~15:00 夏の精読教室B(小6~中3)

15:00~17:00 夏の文法教室(小6~中3)

17:30~19:30 漢文読解A(高2~高3・駅前教室)

19:30~21:30 現代文読解B(高1~高3・駅前教室)

 

8月21日~23日

9:00~10:30  小学国語基礎C(小1~小3)

10:30~12:00 小学国語標準C(小4~小5)

13:00~15:00 小学国語発展C(小5~小6)

15:00~17:00 中学国語発展C(中2~中3)

17:30~19:30 古文読解C(高2~高3・駅前教室)

19:30~21:30 センター現代文特訓B(高2~高3・駅前教室)

 

8月29日~31日

10:00~12:00 小学国語発展D(小5~小6)

13:00~15:00 夏の精読教室C(小6~中2)

15:00~17:00 中学生国語発展D(中2~中3)

17:30~19:30 漢文読解B(高2~高3・駅前教室)

19:30~21:30 現代文読解C(高1~高3・駅前教室)

 

 

● 山田担当講座(すべて駅前教室で開講します。)

8月1日~3日 

10:00~12:00  夏の精読教室④(中1~中3)   

13:00~14:00  小学国語基礎①(小1~小4)

14:00~16:00     夏の精読教室①(小4~小6)

 

8月4日~6日

9:30~10:30   小学国語基礎②(小1~小4) 

10:30~12:00  小学国語標準①(小4~小6)

13:00~15:00  中学国語標準①(中1~中3)

15:30~17:30  詩と言葉(全学年)

 

8月8日~8月10日

10:00~12:00  夏の精読教室②(小4~小6)

13:00~15:00    夏の作文教室①(小4~小6)

15:00~16:30    精読・作文入門(小2~小4)

16:30~19:00    小論文入門①(中1~中3)

 

8月15日~17日 

9:30~10:30   小学国語基礎③(小1~小4) 

10:30~12:00  小学国語標準②(小4~小6)

13:00~15:00  中学受験国語特訓②(小5~小6) 

15:30~17:30  中学生精読教室⑤(中1~中3)

 

8月18日~20日

10:00~12:00  夏の作文教室②(小4~小6)

13:00~14:00  夏の精読教室③(小4~小6)

14:00~16:00  小論文入門②(中1~中3)

16:00~18:00  小論文・記述特訓(高1~高3)

 

8月22日~24日 

10:00~12:00  中学国語標準②(中1~中3)   

13:00~14:00  小学国語基礎④(小1~小4)

14:00~16:00  夏の作文教室③(小4~小6)

16:00~17:30  小学国語標準③(小4~小6)

 

8月25日~27日

9:30~10:30   小学生基礎⑤(小1~小4) 

10:30~12:00  小学国語標準④(小4~小6)

13:00~15:00  中学受験国語特訓②(小5~小6) 

15:00~17:00   現代文読解(高1~高3)

 

8月28日

9:00~12:00  写生作文教室(全学年・課外授業)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2016年6月13日 16時25分

駅前教室開校記(15)

小学生基礎の読解問題を作成する時、

よく使用しているのが「イソップ童話」です。

 

すこしまぬけな人間や、動物たちにまつわるエピソードと

そこから得られる教訓が語られているのが「イソップ童話」の特徴です。

 

例→まとめ

 

という、基本的な型の文章は、読み慣れておくと他の文も読みやすくなります。

 

また、イソップ童話から学べる教訓は、日本のことわざや四字熟語にも通じるものが多く、

たとえば「ウサギとカメ」を読みながら「油断大敵」といった言葉の意味をいっしょに学ぶことで、

知識を広げながら、物語の理解を深めることもできます。

 

ちなみに、「ウサギとカメ」を読んでもらった後で

競走に負けたウサギへの、慰めの言葉を考えてもらいました。

 

物語の最後に

「またがんばればいいよ!」

と、声をかけてあげたならば

不思議とウサギもそんなに悪い奴じゃないという気がしてくるものです。

 

そんな自己暗示のような想像力も

大切な言葉の力だと、私は思っています。

 

短い作品ながら大人が読んでも考えさせられる作品、楽しめる作品がそろっていて、

おすすめの教材です!

 

              フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2016年6月10日 00時00分

駅前教室開校記(14)

ゴールデンウィークは1週間のお休みをいただきました。ありがとうございました。

 

久しぶりにカレンダー通りの休みだったので、大学時代や同郷の友人、前職の同僚など、

同年代の友人たちと、ゆっくり話をする機会をもつことができました。

かつて一緒にぐだぐだと過ごしていた友人が、それぞれの業界で活躍している話を聞くと

感覚にそぐわない時の流れ(えっもう●●年も経ったのか・・というような衝撃)を感じつつ、

よい刺激をもらえます。

 

年齢と経験を重ねるごとに、話をするだけで初心に帰れるような存在の大きさを知り、

一期一会とは出会った時よりも、振り返った時に実感するものなのだなぁと気づかされます。

 

連休明けの子どもたちは、嬉しそうに旅行先の話や、観てきた映画の話などをしてくれるので、

私もたくさんの場所に出かけたような気分になります。

振り返ることもせず、一期一会などお構いなしに新しい体験をしている姿からもまた、

よい刺激をたくさんもらっています。

 

教室は日当たりが良すぎるので、5月ながら早くも真夏のような暑さです。


                     フィロソフィア国語教室 西荻駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2016年5月9日 00時00分

2016年の合格実績

合格おめでとう! フィロソフィア国語・寺子屋教室 合格実績2016

 

〈大学受験〉

成城大学社会イノベーション学部

東京外国語大学言語文化学部

東京女子大学現代教養学部

東北福祉大学総合マネジメント学部

法政大学現代福祉学部 

山形大学養護教諭特別別科

立教大学コミュニティ福祉学部

早稲田大学国際教養学部

早稲田大学政治経済学部

早稲田大学文学部

 

〈高校受験〉

京華高等学校

佼成学園高等学校

豊島岡女子高等学校

文化学園大学杉並中学校

 

〈中学受験〉

恵泉女学園中学校

桐朋中学校

武蔵中学校

 

 

※ 大学、高校、中学の順に合格校名を五十音順で掲載してあります。

赤字は進学先です。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2016年4月11日 22時54分

駅前教室開校記(13)

4月1日。春期講習の合間に、友人に「結婚するよー」とメールしてみました。

 

本日は講習でも「うそ」をテーマにした課題をいくつか扱いました。

 

課題文(抜粋)

 

先週の金曜日のことである。夕食の時間にお母さんが、わたしのきらいなピーマンを細かくきざんで、わたしの大好きなハンバーグにまぜて焼いてくれた。わたしがピーマンをすこしでも食べられように、そして、たくさんのえいようを取って大きくなれるようにと考えて、工夫してくれたのだ。 わたしはそれを食べた瞬間に、苦くてはきだしそうになった。さらには、ふつうのハンバーグを食べたかったのに、と思って腹がたった。 しかし、わたしのことを考えて作ってくれたお母さんの気持ちを考えると「まずい」とは言えなかった。また、お母さんにいつまでも好ききらいがなおらない子どもだとあきれられて、おこられるのもいやだった。 だから、わたしはお母さんに「おいしい」と、うそをついた。さらに「おいしいけれど、今日はおなかがいたいから食べられない。」といううそもついて、ピーマン入りのハンバーグをのこした。夕食代わりに、自分の部屋でかくれておかしを食べた。     

このようなうそは、人をだますためのものとはちがって、お母さんをいやな気もちにさせないための「気づかいのうそ」である。うそには、わるいうそとそうでないうそがあるのだとわたしは思う。

 

課題文を読んだ後で、

うそをつくのは悪いこと? それとも、うそをついてもいい時もある?? という問いに

「意見文」のかたちで考えてもらいました。

 

大人になった今でも、「うそ」の是非、「本当」との線引きについて悩むことがあります。

私としては

うそをつかなければ仕方がないこともあるけれど、 うそをつくのは「気づかい」ではない

というのが、今のところの答えです。

 

たとえば ある人に「この話、内緒ねー!」と言われた後で

ほかの人に「ねえ、ねえ、あの話、知ってるー??」なんて聞かれた時は、 困ってしまいますね。

 

この場合はおそらく、知らないふりという、うそをつかなければならなくなってしまうけれど

単純に、うそをついた人がわるいというよりは

内緒話を持ちかけた人が、相手にうそをつかざるを得ない状況をつくってしまっているという意味で

「気づかい」が足りていないのかな、と考えることができます。

 

課題文も、子どもに「好き嫌いをなおさないとおこられる」と思わせてしまっている大人の接し方に

「気づかい」が足りない可能性もあるのではないか と、

大人としての反省につなげて、考えることもそうです。

 

子どもにうそをつかせないために、大人ができる「気づかい」は何か、

私自身も子どもと接する中で、日々考えさせられます。

 

・・このように、「うそ」は考察してみるととても面白いテーマです。

エイプリルフールのたのしい「うそ」は大好きですが、明日からは素直に生きていきたいと思う今日この頃です。

 

                                フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2016年4月2日 00時00分

春期講習のご案内

 

春期講習は宮前教室・駅前教室それぞれで開講いたします。

以下の講座案内をご参照の上、お申し込みやご質問は、メールやお電話でお気軽にご連絡ください。

春期講習2016 宮前教室 講座案内

春期講習2016 駅前教室 講座案内

春期講習2016 講座一覧

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2016年2月24日 15時59分

駅前教室開校記(12)

コタツが恋しい季節。中学生精読教室では、芥川龍之介「蜜柑」を扱いました。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43017_17431.html

 

「蜜柑」は、人間が主観的に世界を捉える時の、偏狭さ、危うさ、脆さを本当に見事に描きだしている作品で

とくに、暗いトンネルを抜けた汽車から蜜柑が投げ出される瞬間の風景描写と、

「私」の暗い人生観に一すじの希望が垣間見える瞬間の心理描写が重ねられて描かれる後半場面は

美しくて、読むたびにうっとりとしてしまいます。

 

何気なく生きていても、稀にではありますが、

自分の信じてきた世界観がぱっと覆るような瞬間を経験することがあります。

そんな経験を重ねることが、人生に面白さを見い出す手がかりになっていくのかなと

作品を通じて、改めて思いいたりました。

 

生徒たちは、慣れない「象徴」という語彙の理解に苦労している様子でした。

年代によって違った味わい方ができる作品だと思うので

ぜひ5年後、10年後にもう一度読み返してみてほしいです。

 

                 フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2016年2月6日 00時00分

駅前教室開校記(11)

あけましておめでとうございます。

また、遅くなりましたが冬期講習へのご参加ありがとうございました。

 

駅前教室では、講習限定で低学年生向けの精読講座を行いました。

低学年生はじっくりと読むのが苦手・・・

かと思いきや、解説をまじえながらゆっくり読み進めることで

自分で読んだのでは意味がわからない文章からも想像が広がるようで・・

読解問題を苦手とする生徒さんにも

かえって積極的に取り組んでいただけました。

 

今回扱った教材のひとつに、夢野久作「あぶのお礼」があります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46716_27674.html

 

生徒さんとのやりとりはおおかた「あぶって何??」という質問から始まるのですが

読み終わる頃には、「あぶ」への親しみが生まれてきます。

 

ちょっと古めかしい言葉遣いの面白さとテンポのよさ、

ちいさなヒーローと泥棒とのお決まりのやりとりから、

昭和のマンガを読んでいるような感覚で楽しめるお話です。

 

本年も充実した授業づくり(と、定期的なブログの更新)に取り組んでまいりますので

どうぞよろしくお願いいたします。

 

                    フィロソフィア国語・寺子屋教室  西荻駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2016年1月20日 00時00分

駅前教室開校記(10)

月曜・金曜日に開講している中学生の精読教室では、夏目漱石『夢十夜』を取り扱いました。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

 

「こんな夢を見た」という一文に始まる10の短編で構成されるこの作品のうち、

本日の授業で扱った第三夜はとくに、怪談話のような不気味さを感じさせられます。

 

授業では物語のキーワードとなる「重さ」について、

さまざまな例を挙げながら説明しました。

 

責任が重い、荷が重い、胃が重い、筆が重い、足が重い、頭が重い、話が重い、罪が重い、口が重い、人間関係が重い・・・

 

ずらっと並べてみると、やはり気が重くなります。。。

 

これらの「重さ」に共通する、ずっしり、どっしりとした、不自由の感覚は

ある程度長い時間を生きてきた人間(=大人)が、

いつのまにか宿命的に背負ってしまうものです。

 

しかしこの物語では、

本来であれば「重さ」を知り得ないはずの「子ども」が

その意味を、大人以上に熟知しており

その不自然が、この物語全体を「重い話」にしているとして

物語の構造を解説しました。

 

難解な話ではありましたが、

「この話に不気味な印象を与えている要素を指摘しなさい」

という設問を授業の最後に取り扱うと、

参加した生徒さんはそれぞれに

いくつかの解答を導き出すことができていました。

 

『夢十夜』は10話どれもが充実していて、読むたびに新たな発見があります。

何度でも読み返して、自分なりの解釈を見つけながら作品を味わってほしいです。

 

               フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年12月8日 00時00分

冬期講習のご案内

冬期講習は宮前教室・駅前教室それぞれで開講いたします。

以下の講座案内をご参照の上、お申し込みやご質問は、メールやお電話でお気軽にご連絡ください。

冬期講習2015 宮前教室の講座案内

冬期講習2015 西荻駅前教室の講座案内

冬期講習2015 講座一覧

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年12月1日 01時38分

駅前教室開校記(9)

食欲の秋。

 

ということで、小学校高学年の「精読教室」では夢野久作「きのこ会議」を取り扱いました。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/46694_27682.html

 

多種多様なきのこが議論しあうシュールな光景を想像するだけでぷぷぷと笑える、楽しい作品です。

単純からこそ、唐突なラストシーンの続きをあれこれと考えるゆとりが残ります。

 

「理屈」という言葉の意味を理解してもらうことをねらいとして、「松茸」と「蠅取り茸」の「理屈」をそれぞれまとめてもらいました。

擬人法が多用されているので、それらを具体的で端的な言葉に事が言い換えることが、わかりやすくまとめるコツです。

 

来週は「作文教室」で学んだ「反論の技法」を用いて、きのこたちの論破を試みます。

 

ほかほかのきのこご飯が食べたくなります。

                             フィロソフィア国語教室西荻窪駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年11月30日 00時00分

駅前教室開校記(8)

今日は中学時代の友人から手紙が届き

とても励まされました。

 

開校から4か月、生徒さんをはじめとする新しい出会いもたくさんあって

楽しい日々を過ごしてはいるのですが

新規事業ならではの不安やプレッシャーもあり・・

そんな時に、同じようにがんばっている仲間のことばが響きました。

ありがたや。

 

人を励ますことのできることばの条件が

文法や論理の整合性ではないことはわかります。

(小さい子どもが書いた拙い文章に

励まされるということだって、よくあるから)

 

では、何なのだろう??と考えると

それは、ことばが「想い」に相応しい表現であるか

ということなのではないかと思いいたります。

 

大人になるほどに、さまざまな経験を重ね

抱える「想い」も複雑になっていくけれど、

それを表現するためのことばを磨き、伝える努力をしてきた人のことばはやはり

心に響くものです。

 

生徒さんたちが教室で、様々な表現に触れ、文章を書くことが

いつか大切な人を励ますことのできるようなことばを持つことにつながるといいなと思います。

 

わたし自身もまだまだ、ことば足らずを痛感してばかりなので

生徒さんとともに、自分のことばを磨いていこうと思います。

 

                        フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室担当 山田

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年11月28日 00時00分

冬期講習の日程

冬期講習の日程をお知らせいたします。

各授業の詳細については、近日中に「講座案内」を公開いたします。

 

◎ 宮前教室

12月26日~28日

 9:00~10:30 小学生基礎(1~3年生)

10:30~12:00 小学生標準(4~5年生)

13:00~15:00 小学生発展(5~6年生)

15:00~17:00 中学生標準(中学生)

17:00~19:00 現代文特訓(高校生)

 

12月29日・30日

 9:00~19:00 受験対策

 

1月4日~6日

 9:00~10:30 小学生基礎(1~3年生)

10:30~12:00 小学生標準(4~5年生)

13:00~15:00 小学生発展(5~6年生)

15:00~17:00 中学生標準(中学生)

17:00~19:00 古文特訓(高校生)

 

1月7日・8日

15:30~21:30 受験対策

 

◎ 駅前教室

12月28日~30日

10:00~12:00 中学生標準(中学生)

13:00~14:00 小学生入門(1年生~3年生)

14:00~15:30 小学生基礎(1年生~3年生)

16:00~18:00 小学生標準(4年生~6年生)

18:00~21:00 受験対策(全学年・応相談)

 

1月4日~6日 

10:00~12:00 受験対策(個別対応)

13:00~14:30 小学生基礎(1年生~3年生)  

14:30~16:30 小学生発展(4年生~6年生)

16:30~18:30 中学生発展(中学生)

18:30~20:30 現代文・小論文特訓(高校生)

 

1月7日~9日      

10:00~ 14:00 寺子屋式国語(全学年・応相談)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年11月24日 22時45分

駅前教室開校記(7)

西荻窪駅前教室では

月曜日から土曜日まで、同教室にて寺子屋教室(生徒2人までの個別指導塾)を開講しています。

 

寺子屋教室は小学生から高校生までの全教科対応。

個人の目標にあわせて授業内容を組み立てつつ

東大・一橋大の大学生講師による、ていねいな学習指導を行っています。

 

私が寺子屋教室の講師たちと話していて感心するのは、

皆それぞれ、勉強の方法を驚くほどよく研究していて、

自分の勉強スタイルにプライドをもっているということ。

 

きっと、多くの大学生は定期テストや受験に突破するために

あるいは自分の探求心を満たすために

何年もかけて勉強方法を研究してきたはずなのだけれど

基本的に勉強とは孤独との闘いなので

そのノウハウを自分以外の誰に披露することも

役立てることもないまま

社会人になってしまうことの方が多いのだと思います。

 

しかし、それでは勿体ないし

自分がコツコツと努力して積み上げてきたものを

生徒さんのために役立てられることは

講師にとっても、働くことの意義や喜びを味わうことのできる

良い経験になるのではないかと思います。

 

受験勉強の苦労話や、大学で学んでいる研究の話を交えながら

生徒さんのために授業内容を一生懸命工夫する姿は

頼もしい限りです。

 

私自身は、生徒さんの希望に沿った授業を講師が自信をもって提供できるよう

生徒さん・講師、双方からのヒアリングを大切にしています。

 

講師が受験勉強を経て培ってきた力を存分に発揮できる場

それにより生徒さんが知識と勉強方法を学べる場を理想とし、

より充実した学習空間をつくっていこうと思います。

 

              フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年11月15日 00時00分

駅前教室開校記(6)

今日は教室の様子をご紹介します!

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駅前教室には小さいながら自習スペースを設け

授業のない日であっても気軽に立ち寄れるよう、

リラックスして勉強に取り組むことのできる環境づくりを心がけています。

 

                    フィロソフィア国語教室西荻窪駅前教室担当 山田

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年11月1日 00時00分

駅前教室開校記(5)

開校して1カ月・・・

小学校低学年生向けの基礎クラスには、たくさんの生徒さんが体験に来てくださいました!

 

体験授業では、読解・作文・文法問題の計3題を解いてもらい、それぞれの得意・不得意や読み方・書き方のくせなどをを確認します。

その中で、意外と正答率が低いのが、

 

「明日の図工ではじょおずに絵がかけた。」

を、正しい文章へと校正する問題です。

 

「じょおず」に気をとられて、

時制の不一致に気が付かない生徒さんが多いのです。

 

日本語の話し言葉では、時制を省略できてしまうことが多いので、

話し言葉に慣れていて、書き言葉に不慣れな低学年生は

大人であればすぐわかる文章の誤りにも

違和感を感じにくい傾向にあります。

 

(例えば、日常会話では

「昨日の晩ごはんは何だっけ?」「肉じゃがよー」

というコミュニケーションが行われて

「わたしたちは昨日の晩ごはんに何を食べたっけ?」「肉じゃがを食べたよ」

などと、会話していては

野暮ったくなってしまうということがあります。)

 

会話でのコミュニケーションにおいては

いらない情報を省略したうえで、行間を読めることも大切なのですが

低学年の生徒さんと会話をする時には、あえて情報を省略せず、

書き言葉のように、主語と述語を確認しながら話をすることがあります。

 

そうすることで生徒さんが、書き言葉に慣れるきっかけになるのではないか

と、期待しているからです。

 

話し言葉と書き言葉の違いを理解してもらうことが

低学年生向け授業の大切なテーマとなるので

教材も解説も、様々な方法で工夫していこうと思います。

 

                     フィロソフィア国語教室西荻窪駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年10月6日 00時00分

西荻駅前教室開校記念講演 アンケート結果

9月13日の開校記念講演にご参加くださった方々に、アンケートにお答えいただきました。

一部抜粋して掲載させていただきます。

 

  • 今現在に至る塾の成り立ちが非常に良くわかりました。息子にも聞かせたかったです。                                                   

  • 江戸時代の人々の学問への志の高さに改めて感動しました。

  • 先生の私塾への愛情がよく伝わりました。

  • 勉強のやり方を考え直す機会となりました。対話形式・持ち回り講義など有意義な勉強方法が江戸時代から始まっていたのは驚きでした。

  • 寺子屋と私塾が異なることがわかりました。

  • 5人の人物が、そしてその門下生たちが「学びたい」という強い志をもって学んでいたことがよくわかりました。机に座って話を聞くのももちろん大切ですが、発言したり、自分で説明してみたり、下級生に上級生が教えた りすることで学びが深まるのだとわかったので、これらのことを実践しようと思います。

  • 全体のテーマ、5つの塾の説明、それらのつながりなどがわかりやすく、話に引き込まれました。最後に説明のあった慶應義塾の話が、日本初の塾の精神、さらにはフィロソフィア国語教室の理念に結びついていると感じました。

  • 私塾の歴史を初めて知りました。当時の人も漢文を学ぶ意味に疑問を持っていたことに驚きました。分かりやすい説明でした。

  • 私塾を通じて、江戸時代を前半・後半に分けて分析していただいたのは初めてでした。久しぶりの漢文でしたが何とか読みこなせました。

  • 日本史の勉強で名前だけ知っていた塾にどんな特色があるのか知れた。とても面白かった。

 

また、講演のご感想にあわせて「これからの塾に期待すること」というテーマでもご意見を承りましたので、こちらも一部掲載させていただきます。

 

  • 多くの塾が受験のための塾になっていると思うので、本質的な学問を学べる、詰め込みなどではない、一人一人の解き方を見ていき、他の生徒の考え方も知ることができるような塾にすることを期待しています。

  • 公教育に対して、対抗していくのか、補完していくのか、を軸に本来学問が持つ自由さ・創造性を発展させていく場として重要性を増してくると思っています。

  • 現代の学校教育に欠けていることは沢山あると思います。歴史上の偉大な先生に負けないよう、ぜひ素晴らしい私塾をお願いいたします。

  • 学校とは違い、一人一人に合わせた学びができる塾を坂爪先生、山田先生にこれからも続けていただきたいと思います。

  • 現在認められていなくても、先見性のある知識や価値観に触れられる場所 ・子供たちの受験勉強だけでなく、大人もアカデミックなことを学びなおせる場が欲しいです。

  • 受験のための塾を超えた世界がつくられること

  • 面白い学習・楽しい学習

  • 勉強が嫌いな子供でも、勉強ができるようになるためにはどうすればよいのかを教えてくれる塾

  • 学年に応じた学力を習得させたい。難しい受験用の学びでなく、基礎力をきちんと固めていただきたい。進路を目指す年齢になる時、どの道にも進める学力を身につけさせておきたい。

  • 徳のある教育ができたらいいと思います。「物質的な損得」ではなく、「善とか、良きこと」を教える場がほしいと思います。 

  • 高校までは受験が主となりますが、フィロソフィアで年に数回、卒業生を集めて討論や議論を学ぶ(江戸時代の塾のように)機会を作って頂ければと思います。

 

皆さんのご意見をご参考にしながら、より充実した学習空間をご提供できるよう尽力いたします。

ありがとうございました。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 一般向け企画 生徒・保護者の声 西荻駅前教室開校記 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年9月20日 00時00分

駅前教室開校記(4)

本日の「小学生精読教室」では、

宮沢賢治「注文の多い料理店」を取り扱いました。

 

宮沢賢治特有の、オノマトペについても説明。

りんごのかたちや味と、りんごということばは関係ないけれど、

オノマトペは、ことばと意味とが不可分な関係にある

という話をしてから

オノマトペを使った例文をつくってもらい

音と意味との関係を検証しました。

 

たしかに

ぽつぽつという音は

ぽつぽつとしか言い表せない

しかし、

その不自由がかえって、文章をのびのびと明るくさせる

 

表現を分析的にとらえることで

流し読みするだけでは見えてこない面白さを発見してほしい

 

そんな願いをこめながら

一行一行をゆっくりと読み進めました。

 

         フィロソフィア国語教室西荻窪駅前担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年9月16日 00時00分

駅前教室開校記(3)

9月13日には塾長による開校記念講演が行われ、20名ほどの方々にお集まりいただきました。

お祝いにいただいたきれいなお花が、新教室を彩っております。ありがとうございました!

写真 2015-09-15 21 01 20

「江戸時代の私塾と学者たち」のテーマで行われた1時間半の講演では、

5人の学者がそれぞれ、どのような想いで私塾を立ち上げ、どのような教育を行っていたのかが語られました。

 

江戸時代の「私塾」とは、それぞれの学者が、在野の人々に学びの場を提供するため

カリキュラムや授業内容をみずから考案・工夫して立ち上げたものでした。

現代における「塾」とは、学校の補習や受験勉強のサポートをする場として位置付けられることが多いのですが

学びの在り方を独自で研究し、提供する教育機関としての「塾」の可能性を

改めて実感させられました。

 

個人的には、かの有名な私塾も

最初は門下生が数人だけのちいさな塾であった・・という事実に励まされました。

 

先人たちに学びながら、よりよい塾をつくっていこう!

と決意した日でした。

 

             フィロソフィア国語教室西荻窪駅前担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2015年9月15日 00時00分

駅前教室開校記(2)

西荻駅前教室が開校して1週間がたちました。

国語教室・寺子屋教室ともに、少しずつですが生徒さんが集まってくださいました。

 

体験授業後には、国語をこんなに集中して勉強したのは初めて!という声をたくさんお聞きします。

 

毎日つかっているはずの「ことば」であっても、

それとじっくりと向き合う時間は貴重なものなのだと

思い知らされます。

 

限られた時間のなかで、生徒さんが自分のことばを磨いていけるよう

充実した授業づくりを心掛けていきたいと思います。

 

         フィロソフィア国語教室 西荻窪駅前教室担当 山田

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記  投稿日時: 2015年9月12日 00時00分

駅前教室開校記(1)

西荻駅前教室担当講師の山田です!

 

9月7日より、いよいよ西荻窪駅前の新教室にて授業がスタートします。

それに先駆け、本日より駅前教室開校日記をこの場所に公開します。

 

まだ改装中の新しい教室がいつか

立派な学び舎へと成長する姿を、ご報告できればと願っています。

 

教室や授業の様子を、日々更新してまいりますので

どうぞ宜しくお願いいたします。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 西荻駅前教室開校記 駅前教室開校記  投稿日時: 2015年9月4日 00時00分

駅前教室開校記念講演のお知らせ

9月13日14時から西荻駅前教室で、開校記念講演「江戸時代の私塾と学者たち」を実施します。

一般公開の無料講座です。

興味がおありの方はお気軽にご参加ください。

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 一般向け企画  投稿日時: 2015年8月31日 17時52分

<教養>の現在

夏期の一般向け講座、「〈教養〉の現在」は、2015年8月16日に開講されました。

ご参加いただいた皆様に御礼申し上げます。

キケロやイソクラテスに由来するレトリックと「教養」の歴史、ユニバーサル化時代の教育のあり方、「リテラシー」の概念・・・今後も研鑽に努め、またの機会に改めてお話できれば幸いです。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 一般向け企画  投稿日時: 2015年8月31日 17時50分

夏期講習満員講座のお知らせ

夏期講習の講座のうち、満員のためお申込みできなくなりましたものを順次お知らせいたします。

他の講座はまだ人数に余裕があります。

お気軽にお問い合わせください。

 

8月20日~22日 夏の精読教室②

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年7月26日 19時41分

西荻駅前教室開校のお知らせ

9月から西荻窪駅前に新しい教室を開校することが決まりました。

新たな専任の講師も加わり、授業数が増え、これまでよりも多くの方が

国語教室の授業に参加できるようになります。

とくに中央線沿線の方には、通いやすい教室になると思います。

自習スペースも用意し、様々な新たな企画も試みる予定です。

塾としてのサービスと質の向上にいっそう努めます。

西荻駅前教室の詳細については、お気軽にお問い合わせください。

※ 開校案内のチラシ原稿

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 未分類  投稿日時: 2015年7月22日 20時19分

夏期講習のご案内

大変お待たせいたしました。

夏期講習のお申込みを受け付けます。

リンク先の「講座案内」をご参照の上、お問い合わせください。

ご質問やご相談はメールまたは電話でお気軽にご連絡ください。

(※お電話に出られない場合は、留守電にメッセージをお残しください。)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年7月4日 20時18分

夏期講習の日程

夏期講習のスケジュールが決まりました。

こちらをご覧ください。 → 夏期講習日程表2015

各講座の詳細については、近日中に「夏期講習 講座案内2015」を公開いたします。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年6月15日 14時33分

2015年合格実績

合格おめでとう! フィロソフィア国語・寺子屋教室 合格速報2015

 

筑波大学理工学部                         

一橋大学商学部

青山大学理工学部                         

東京工科大学医療保健学部  

東京理科大学理学部 

東洋大学社会学部

中央大学商学部  

帝京平成大学健康メディカル学部

法政大学国際文化学部

明治大学文学部 

立教大学異文化コミュニケーション学部

早稲田大学政治経済学部

早稲田大学文化構想学部    

 

都立西高校   

都立豊多摩高校

国学院久我山高校

中央大学杉並高等学校 

東京電気大学高等学校

豊島岡女子学園高校                      

日本大学第二高等学校          

明治大学付属中野高等学校                

 

鴎友学園女子中学校

大妻中野中学校

恵泉女子学園中学

豊島岡女子学園中学

三田国際学園中学             

武蔵野女子学院中学校

 

※ 国立大、私立大、都立高、私立高、私立中の順に五十音順で1人2校までのみ掲載

してあります。赤字が進学先です。詳細を知りたい場合は、お気軽にお問い合わせく

ださい。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2015年3月21日 17時48分

春期講習のご案内

春期講習のお申込みを受け付けております。

新小学1年生から大学受験生までの全学年を対象に、3月25日から4月2日まで開講いたします。

以下の講座案内をご参照の上、お気軽にお問い合わせください。

       「春期講習2015 講座案内」

(※両面印刷3つ折り用のレイアウトになっています。)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2015年3月2日 13時10分

冬期講習のご案内

冬期講習のお申込み受け付けを開始いたします。

今回の講習は、寺子屋教室と合同で12月25日から1月6日まで開講いたします。

以下の講座案内をご参照の上、お気軽にお問い合わせください。

       「冬期講習2014 講座案内」

(※両面印刷3つ折り用のレイアウトになっています。)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2014年12月8日 17時04分

卒業生からのメッセージ(北海道大学在学生から)

 

はじめに

 

私は2013年3月にフィロソフィア国語教室を卒業しました。

現在、北海道大学工学部環境社会工学科衛生環境工学コースに所属しています。

結局は理系の道に進んだ私ですが、私が何を坂爪先生のもとで学んだのか、

そしてそれがどう今に活きているのかを時系列に沿って述べさせて頂きます。

フィロソフィア国語教室への入塾を考えていらっしゃる方は入塾の際参考に、

すでに入塾されている皆さんにはこれからの勉学の指針としての一助となれば幸いです。

 

中学

 

私が、坂爪先生に初めてお会いしたのは中学2年生の頃だったかと思います。

当時はフィロソフィア国語教室の前身ともいうべき上野毛の教室に通っていました。

作文の授業を3,4人の少人数形式で受けていました。

作文の授業といっても本を読んでの感想文から

自分の意見を述べた小論文のようなもの、

さらには小説まで様々な文章の書き方を学びました。

ここで、私は基本的な作文能力だけではなく、

読解力、ディベート能力を身につけられたと思っています。

この時期は感想文を書くために本を読み、

先生とお話する事で更なる読書欲が増し…という良い循環の中で

今までの人生(たった20年ですが(笑))の中で最も本を読んだ時期では

ないかと思います。

また、授業中は頻繁に意見交換が行われました。

レベルの高い仲間たちと共に切磋琢磨し、

また先生の厳しい質問に自分の意見の論理的矛盾や飛躍を指摘されながら

高いディベート能力を養えたと考えています。

ここで言うディベート能力とは、積極的に自分の意見を言う姿勢、

他人に物事を簡単に解かりやすく説明する能力、

相手の論理的な矛盾や飛躍に気付く能力、

議論中にアイデアを思いつく能力など多岐に渡り、

現在の私の大学生活のよりどころともいうべきものです。

現在私は、大学内の環境改善を目的としたサークルに所属しているのですが、

このスキルのお蔭でサークルの会議、イベントの司会をこなすことができています。

また、大学の課題(プレゼンやレポートなど)でも高いアウトカムを

私にもたらしてくれるものです。

これは、恐らく社会に出てから私の助けとなるものだろうと確信しております。

作文自体は、読者が読みやすいようにするにはどうすればいいのか、

伝えたい事を強調するにはどうすればいいのか等を

指導して頂きました(この文章が読みやすいものになっているかはさておき(笑))。

これもサークルの企画書等の書類、大学のレポート制作等の助けになっています。

また、あまり意識はしていませんでしたが、

私が東京大学の入学を志し始めたのはこの時期ではなかったかと思います。

東京大学の学生(当時)が身近にいるという環境は、当時、特に勉学の

明確な目標が無かった私にとっていい刺激となった事は言うまでもありません。

坂爪先生にお会いするまでは、想像もできない雲の上の存在のようであった東大生という

存在がイメージのしやすい少しは身近なものになり、勉学の励みとなりました。

実際、高一には実際に東大のキャンパスを先生自らに紹介して頂き

胸が高鳴ったことを覚えています。

結局は東大合格には届かなかった私ですが、

この時先生に触発されて東大を目指す事が無ければ今ここにいませんし、

貴重な体験をすることは無かったでしょう(貴重な体験については後述します)。

 

高校

 

高一になって西荻窪に教室が移ってから自宅が遠くなり、

定期的に教室に伺う事が減ってしまいましたが、

個別で指導をして頂いたり、長期休みの講習に通っていました。

当時苦手だった古文・漢文や、(少し早かったですが)東大やセンターの過去問を

やっていました。

早めから対策していたお蔭か、受験期は現代文にあまり時間を割く事なく

理系の科目や英語に集中する事ができました。

先生のご指導の賜物で、理系ではめずらしく国語もそれなりに武器にしていたかと思います。

受験直前期は割と頻繁に個人指導をして頂き、

過去問(センター、二次両方の国語)の演習と採点をしていただいていました。

その際、毎回他の教科の進捗を確認してくださったので励みになり、

また様々な相談がしやすかったことを覚えています。

中でもよく相談に乗ってくださったのは、志望校や学科の選択でした。

高校生の頃の私にとって、大学の専門分野のイメージは付きにくく、

学部学科の選択には苦難しましたが、先生の幅広い知識からのお話で

イメージを持つことができました。

また、受験直前期では志望校に必要とされる学力が足りず、

様々なプレッシャーから志望校を変更したくなる事が何度もありましたが、

先生の勉強したい所に行く事が一番大事であるという姿勢から勇気をいただき、

踏みとどまる事ができました。

センター終了後、出願の際に私は理科Ⅰ類、Ⅱ類のどちらに出願するかで

私は頭を悩ませました。

Ⅰ類が私の第一志望でしたが、例年Ⅱ類の足切り点はⅠ類よりも低い事が

データからわかっていたからです。

一方、データからはセンターが難化するとⅠ類からⅡ類に志望者が移り、

ややⅠ類の足切り点の方が低くなる事もわかっていたのです。

様々な方に相談しましたが、大体の人の見解はⅡ類に変えるべきであるとの事でした。

しかし、先生はⅠ類が自分の学びたい分野ならば、

そのまま志望を変えるべきではないと思うが、

自分の正しいと思う方に出願すればよいとおっしゃいました。

結果は、Ⅱ類に出願し足切りになってしまいました。

私の受けた年は、Ⅰ類の足切り点が下がりⅡ類の足切り点と差が付くというものに

なったのでした。

先生の言った通りにしていれば(笑)などと悔やんだりもしましたが、

先生が自分の正しいと思った方を選べばよいと言ってくださったおかげで、

自分が選んだ道なのだから仕方がないと早く立ち直ることができました。

足切り発表後、残る試験は北大の後期のみで科目も数学と物理の二つのみでしたので、

先生に国語を教えていただく事は無くなりましたが、

足切られた直後のメンタルケアをして頂きました。

この足切られた事が先に挙げた“貴重な体験”という事になります。

一か月近く後期試験まで間が空くというあまり聞かない事例ですが、

今まで東大受験という事でただでさえ多い受験科目に追われて

どの教科も中途半端になっていた私は、一か月という長い時間を

ゆっくり二つの教科のみに費やす事ができ集中して勉強でき、

私の人生のなかで最も濃い一か月となるように感じます。

今思い返しても、この一か月のおかげで北大に合格できたのですから、

足切りにあった事を悪く思う事はできません。

受験というのは何が起こるかわかりませんが人間万事塞翁が馬とはよくいったものです。

 

大学

 

坂爪先生には、大学入学後もお世話になっています。

ここがフィロソフィア国語教室が、普通の学習塾と大きく違うところと言えるでしょう。

他の塾でも、先生と卒業後も縁がある事は珍しくは無いかもしれません。

しかし、その大体は昔話に花を咲かせるというものに終わってしまうのではないかと感じます。

坂爪先生と大学で専門的な事を学んでからお話する、先生の思慮深さにただただ驚くばかりです。

また、自分の将来についてじっくり相談できるのも先生ぐらいです。

先生に相談すると、自分の将来プランの曖昧な部分や、

不可解な点が露わになり客観的に自分の事を理解する事ができます。

また、私の夢がどんなに現在の私とかけ離れているものであろうと、

先生は私の事を全肯定し応援してくださいます。

これが私にとってどれだけの支えになっているかは言うまでもありません。

 

結び

 

フィロソフィア国語教室の教育を有名店のラーメンに例えるならば、

塾を迷っているあなたはまだ香りを味わっている状態でしょうか?

作文の授業を受けているあなたはスープを嗜んでいるところかもしれませんし、

古文漢文の授業を受けているあなたはトッピングに舌鼓をうっているところかもしれませんし、

受験の指導を受けているあなたは麺を味わっているところでしょう。

そうなると、大学に入学した皆さんは“替え玉”を注文することに迷うまでもない(笑)と、

そう私は思います。

最後に、今まで親切にしてくださった坂爪先生への感謝と

フィロソフィア国語教室のさらなる繁栄を願い、

私が精進することでフィロソフィア国語教室の名声に寄与することを約束して、

しめの言葉とさせて頂きます。

長文を最後まで読んでくださりありがとうございました。

 

 

       (2013年卒業 北海道大学工学部2年 平野誠也)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年12月8日 13時47分

保護者の声(中1・小3のお母様から)

長男が小5の時、アメリカから帰国してすぐに大手塾に行かせていたのですが、作文対策をしてくださる塾がなくて困っている時に、フィロソフィアを知り、中学受験までの1年ほど通わせていただきました。

通い始めた頃は、助詞の使い方、語彙力のなさで苦しんでいましたが、少しずつ作文が書けるようになりました。

国語はすぐに結果が出にくい教科なので焦った時期もありますが、坂爪先生の冷静な指導の下で良い結果が得られたと思っております。

今は次男が通っておりますが、気長にみていこうと思っております。
 

         (2014年在籍、小学3年生のお母様から)

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月21日 15時49分

保護者の声(小学5年生・小学3年生のお母様から)

うちは、5年生と3年生の男の子を通わせています

兄がとても国語が苦手で、特に文章を読むのが苦手で、どうしようかと悩んでいた時に、たまたまポストに入っていたチラシを拝見し、すぐに問い合わせして、通いはじめました。

兄が先生を大好きになり楽しく通い始め、段々国語を嫌にならなくなり、作文がすらすら書けるようになりました。

今では、3年生の弟と、一緒に行っています。

国語が苦手だとこれから一番困ると思い、この教室で出会えて、また先生に出会えて、感謝しています!!

これからも通わせて行きたいと思っています!!
 

     (2014年在籍、小学5年生・小学3年生のお母様)
 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 18時47分

合格体験記(東京大学文科Ⅲ類へ進学)

怠け者の僕が国語教室へ通って東大に合格するまで

第一章 怠け者でも東大に入れる

 僕は勉強しはじめるまでが時間がかかりました。特に現役の時はひどかったです。やるぞやるぞと思いつつ、真剣にはじめたのは世界史が7月から、英語が8月から、数学は12月から、日本史にいたってはやりませんでした。もちろん落ちました。浪人時代も5、6月はそこそこ真剣だったものの、受験の天王山などといわれる7、8月は英作文を書いてたこと以外は無駄に過ごし、10月からまたエンジンがかかった感じでした。本当に真剣だったのは直前2週間だけかもしれません。そんな僕から言わせて貰えば、(直前以外は)勉強に狂う必要はないと思います。狂える人は狂っていいと思いますが、僕にはできなかったです。息抜きをしながら気長にやりましょう。目標を忘れていなければ、しばらく遊んだ後には勉強したくなるはずです。やれる時にやりましょう。

第二章 東大に入る勉強法

 僕の勉強態度については上で書いたので、ここでは各教科の勉強について書きたいと思います。地歴については、僕は日本史世界史選択だったので、この2教科についてだけ書きます。  

 <英語>
 英語は正直苦労しました。今でも何をやればいいのかわかってないように思います。長文を毎日読むのも三回くらい始めたもののすべて半月ほどで挫折しました。でも、それが無駄だったということではないです。他の教科でもいえることですが、何をすればいいのか分からなかったら、悩むのをやめてとりあえず手近にあるものでも何でもいいのでやるべきです。そこから弱点が見つかって、ということもあるはずです。英語の話に戻ると、僕は英作文が大事だと思います。単に配点が高いからというわけではなく、英語が苦手な僕にとっては文法をやり直す機会になり、辞書や単語帳を見返す機会になったからです。基礎的なことでもしっかりした知識が無ければ作文はできないからです。というわけで英文法が全然身についてないという人には英作文を早めにやってみることをオススメします。国語教室では、坂爪先生の友人の優秀な英作文の先生(オックスフォード大学修士課程修了)も紹介してくれて、非常に助かりました。基本的な文法事項が身についていて、単語も結構覚えてるという人には僕が勧められることはないです。せいぜい過去問をいっぱいやって形式になれ、時間内に解き終わるようにしておこうというくらいでしょうか。一応試験の形式に触れておくと、全5問で、要約・整除、英作文、リスニング、文法・和訳、長文です。解く順番は好みですが、参考までに言っておくと僕は英作文→要約→(強制で)リスニング→文法・和訳→整除→長文でした。長文はだいたい15分で解いていました。解く順番については周りの人にもいろいろ聞いて参考にするといいでしょう。

<数学>
 数学も苦手教科でした。浪人時代の駿台の授業でようやく基礎を学んだくらいひどかったです。特にベクトルと積分は大嫌いでした。ただ、確率が好きだったのでそこは助けになりました。東大の数学では積分、確率(+数列)、整数問題などがでやすいように思いました。ただし、傾向についても自分で過去問をいくらかやってみて自分で分析することをオススメします。その上でよく出る分野をしっかり勉強していけば自信を持てるのではないでしょうか。参考書は『大学への数学 1対1対応の演習 数学Ⅰ』及びそのシリーズ(A、Ⅱ、B)をオススメします。むしろこれだけでいいと思います。問題を見ただけで解放が浮かぶようになるまでやるとなおいいです。

<国語>
 いよいよ国語です。といっても自分では特に何もやっていませんでした。現代文は坂爪先生と問題を解いて読解していたくらいで、古漢は模試前に文法を見返せばいい方でした。でも正直、東大の古漢は簡単なので、基礎的な語と文法が適当にでも身についてれば何とかなっちゃいます。一回しっかり文法をやればあとは試験前まで放置でいいと思います。現代文は、一人では勉強しにくいので、国語教室のような少人数制の塾で丁寧に添削してもらうのが一番良いと思います。自分の解答に何が足りないのかは、他人の目を通じてでないとわからないからです。国語教室では、十年分の東大の過去問に取り組み、一題ずつ徹底的に考えさせられました。もし一人で国語の勉強をするのなら、問題を解いて、分からない問いがあったら各予備校などの答えを参照し、解答の根拠を探す、あるいはこの解答はおかしいとケチを付けてみたりするといいとおもいます。このとき二つ以上の予備校等の解答があるといいでしょう。オススメは河合塾です。解答が正確な(気がする)上に河合塾のホームページで手に入ります。もちろんタダです。

<日本史>
 日本史は古代、中世、近世、近代から一問ずつでますが、近代を除き細かい歴史用語や人名、年号はほとんど必要ありません。しかしその代わりに、少々特殊なテーマや、歴史の流れや背景を示す用語を覚える必要があります。これらは教科書にもたいてい載っていますが、東大の形式に合うようにそれらの情報をうまく抜く出すことは難しいので、自信がなければ塾に行くべきでしょう。日本史のもう一つの特徴は、受験生が絶対に知らないような事実や視点から答えさせるために文章が与えられることが多いということです。1年で2問ほど、少なくとも1問は出るといっていいでしょう(ただし、近代ではあまり出ません)。このタイプの問題は事前の知識があまりいらないという点でとてもおいしいです。与えられた情報をうまくまとめつつ、必要と思われる単語を適当にたして答案にまとめてやれば高得点が狙えます。つまり、日本史は近代をしっかりやっておけば後の範囲は「せっかく勉強したのに出なかった・・・でもできたからいいか」となることが多いです(だから勉強しなくてもいい、というわけではありませんが)。そして近代についてですが、これは少々つらいです。基本的な事件の年号もある程度把握しなくてはなりませんし(グラフや表の読解に必要であることが多い)、教科書に載っているのか疑わしい知識まで求められることもあります(大日本帝国憲法の構造や経済に関しての問題など)。教科書に載っていてもそれをまとめなくては役に立たないものも多いです(一例としては労働運動史や紡績業・製糸業史)。過去問をチェックして昔出たテーマや自分で予想したテーマについてまとめる作業が必要でしょう。それがめんどうであればいっそのこと塾に行くのもいいでしょう。学校の授業がしっかりしていればもちろんそれで構いませんが。

<世界史>
 世界史は体系的な知識と細かい知識の両方が必要です。体系的な知識を持つということは、世界史を世界の歴史としてとらえること、地域史の寄せ集めとしてでは無く、相互に関連を持つ存在として世界史の全体像を自分の中に持つということです。これははじめは難しいと思いますが、半年から一年しっかり勉強すれば自然に身についてくると思います。近代に関して言えば、イギリス史をまとめるとそれがそのまま世界史になるように思われました。オススメします。細かい知識については、世界史では単語を聞いてくる問題も必ずでます。ここではみんなが答えられる問題を落とさない程度の力は必須です。点の底上げにもなるので、教科書でそこそこの扱いを受けている用語は書けるようにしておきましょう。センター用の勉強と重なることも多いです。また、短い論述でも知識が聞かれているのは間違いないでしょう。同年代、同地域の事件の関連性などはおさえておきましょう。小さなテーマを作って自分でまとめておくのもいいです。

第三章 東大受験と国語の勉強

  国語についてのイメージはどんなものでしょうか。普通は「答えは書いたけどあってるのかあってないのかわからない」「何点取れるか読めない」「運次第」といったものだと思います。確かに、東大受験において得点計算が一番しづらいのは国語といっていいと思います。暗記を行えば得点が伸び、大体何点取れるかも分かる地歴や、自分の実力が分かりやすい英語や数学と違って国語は何点取れるかが予想しづらい教科です。しかし逆に言えば、国語で自分が何点取れるか予想が付けば他の科目で何点取ればいいのかもはっきりしてきます。これは、「ギリギリで受かろう」と勉強している時には大きな助けになります。「国語で~点取れるから数学は~点でいい。じゃあこの分野は捨てよう。」といった具合に、効率のよい勉強ができるからです。しかもその国語の点が高ければ、英語や数学が苦手でもそれを補うことができます。僕は英数どちらも得意とはいえませんでしたが、国語のおかげで自信を持って受験することができました。国語について自分の実力をしっかり把握すること、そして国語で高得点を狙えるようにすること、これらは東大に受かる可能性を大きく上げてくれるのです。

第四章 国語教室での思い出

 僕は国語を解くときに基本的な接続詞や指示語の関係を見落としがちな癖があったのですが、坂爪先生は僕が見落としていると感じた時には毎回ちゃんと注意してくれたので助かりました。受験前最後の授業ではやりがちだったミスをリストアップして、試験直前に見られるようにもしました。そのおかげで受験の時は休み時間にそれを見返し、落ち着いて解答できました。解答に関して意見が合わない時に時間外まで熱心に議論したこともいい思い出です。そのような議論の中で自分とは異なる視点の置き方や根拠の置き方も知ることができました。国語は、大教室で授業を聞いてもなんだか実感が無いまま終わってしまいがちだったので、この教室にこれたことは本当によかったと思っています。また、国語以外の教科も時々見てくれたことは地味ですが、よかったと思います。サボっているのがばれるので勉強する気になりました。国語教室では他にも勉強についての悩みも聞いてもらったりと親身に世話してもらいました。国語の力は、受験においてはもちろん、大学に入ってからも必要なものです。この文を読んで国語教室に通いたいと思う人が一人でも増えてくれれば幸いです。

                  (S君 2008年東京大学文科Ⅲ類へ進学)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 02時34分

保護者の声(中学3年生のお母様から)

中3の息子は野球少年です。

アタマの中は、野球しかありません。

フィロソフィア国語教室には、中2の夏から入りました。

その頃は、国語が特にできませんでした。

学習態度は良いので成績は'3'でしたが、実質'2'です。

初めは親が少々教えました。他教科は少し分かっても、国語だけは無理でした。

そこで、国語専門の塾で、できれば文学を専門に勉強された先生がいいなと思い、探しました。

サイトを拝見した時、東大その他難関を目指す方々の塾だと勘違いしました。

が、指導内容が分かりやすかったので、思い切って問い合わせたところ、息子のような者でも全然OKでした。

初めて参加した時、国語がはじめてわかった、と晴れた顔で帰宅しました。

成績は、次の学期ギリギリ4をいただき、今は安定して4です。

国語が上がると、他教科も上がりました。

小学生から通わせたかったです。

現在は月曜日の「作文・精読クラス」に通いながら、土曜日にも寺子屋教室で工学部の先生に理数を習ってます。

寺子屋は学校の授業に完全対応してくれます。

都立入試まで残り4ヶ月。

期末テストは最後の1回、そして入試、頑張ります。

                         (2014年在籍 中学3年生のお母様)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 02時27分

合格体験記(一橋大学商学部へ進学)

 こんにちは、攻玉社高校出身のIと言います。まず、自己紹介から。

 ● 氏名:S.I

 ● 合格大学: 一橋大学商学部(推薦入試)

          早稲田大学政治経済学部

          慶応義塾大学経済学部

          早稲田大学国際教養学部

          慶応義塾大学商学部

          中央大学法学部(センター利用)

          中央大学経済学部(センター利用)

          明治大学政治経済学部(センター利用)

 ● フィロソフィアで受講した授業:

  中1から中3にかけて上野毛教室に通う。

  高2からは杉並に通い、高2は大学受験標準クラス、高3は難関大受験クラスに在籍した。

 ● その他の塾: 

  高校時代に、東進ハイスクール三軒茶屋校、東進東大特進コースに通った。

  ⑴始めに

   この合格体験記を書くに当たり、まず一橋大学に無事合格出来、嬉しく思うと同時に、今まで支えてくださった坂爪先生に感謝したいと思います。自分は、帰国子女だったので、国語(いや、日本語)が苦手でした。文章を読んでも、全くしっくりこないし、相手の話とかも半分くらいしか理解できませんでした。中学生の頃からこの国語教室に通っているのですが、先生の豊富な知識と鋭い洞察に圧倒され、国語ができるようになりたいという強い動機が生まれました。無事に一橋に進学できたのはひとえに先生のお陰だと思います。本当にありがとうございました。

   自分は東大志望でしたが、センターでしくじり(748/900,ボーダーから5点ビハインド)、本当に東大が自分にとって良いのかを考えた結果、一橋大学の推薦入試を受験することにしました。ですが、東大・早慶合格に向けて勉強してきたのは事実です。左記の大学を受験されるのを検討される方は特に読んで下されば、と思います。

   では、教科別にお勧めの参考書を紹介しながら、自分の勉強法を見て行きたいと思います。尚、凡例を以下に記しておきます。

 ⑵教科別勉強法

   1.書籍名(出版社) / 高2(←推奨実施学年) / 1~2ヶ月(←推奨実施期間)

   ①英語

   自己紹介のとおり、自分は帰国子女であったため、あまり英語について有効なアドバイスはできない気がします。ただ、いくら帰国でも学校で出された授業の課題はもちろんのこと、参考書、塾等を利用しました。ただ、注意してもらいたいのは、学校で教わる基礎事項が大事ですので、基礎が抜けているという自覚症状がある場合はそちらを優先させてください。他の教科でも同様です。一例を以下に挙げておきます。

   1.シス単(駿台文庫) /特になし/3ヶ月

   短文で個人的には覚えやすかった。繰り返し暗唱すること。直前までやった。

   2.頻出英文法・語法問題1000/高2~/1~1.5ヶ月

   英文法の基礎が定着してからやることを推奨します。なかなか良くまとまっている。繰り返しやってパターンを覚えるべし。覚えると、英作文にお けるミスも減らせる。

   3.頻出英熟語1000/高2(自分は高3の時にやった、早めにやりましょう)/1~1.5ヶ月

   英熟語は厄介です。知らないと出来ないので、早めに対策をしてしまいましょう。一気に覚えれば、こっちのもんです。

   4.必修英語構文(駿台文庫)/高2~/2~3週間

   英文がいつもあり、実際の入試問題を材料にしています。学校の課題ですべて和訳しました。構文把握が難しいので、いきなりやるのではなく、 慣れてきてから取り掛かることをお勧めします。これをやり切ったら、和訳で相当の自信がつくと思います。

   5.減点されない英作文(学研)/高2/1~1.5ヶ月

   東大はもちろんのこと、早慶だと政経、経済学部でも主題されます。対策は必須ですが、そのとっかかりなる参考書です。できれば、先生に添削 してもらうと理想的です。

   6.英文解釈の技術100・基礎(桐原)/高2/2~3ヶ月

   和訳ができるか、正確な読解が出来るか、が英語上達の鍵だと思います。是非、全部和訳してみましょう。

   7.山口英文法講義の実況中継(語学春秋社)/高1/2~3ヶ月

   ノートにまとめました。解説がわかりやすくてお勧めします。

   8.山口英文法講義の実況中継・問題演習(語学春秋社)/高1/2~3ヶ月

   問題演習は文法問題制覇において必須です。場数を踏みましょう。

   9.減点されない英文解釈(学研)/高2/1~1.5ヶ月

   コンパクトにまとまっています。正解だけでなく、間違い例も掲載されており、自分がどういう間違いを冒したかを確認するのに有効です。

   10.リンガ・メタリカ(Z会)/特になし/特になし

   読みものにどうぞ。面白かった。

   11.各種大学過去問(早慶・国公立大学中心)/高3/特になし

   やりましょう。

   12.東大の英語の過去問/高3/特になし

   英作文や要約が出題される大学お受験をお考えの方はやっておいても損はないと思います。特に、早稲田大学国際教養学部を受験される場  合は要約があるので、せめて東大の要約問題はやってください。

  ②国語

   国語は苦手意識があったので、それを潰すよう努力しました。特に古典があまり好きでなく、最後まで苦しみました。でも、結果的に早稲田の国際教養で得点源になり、やっておいてよかったと思っています。

   古文・漢文の学習において大事なことして、まず基礎事項をしっかりと固める、ということが挙げられます。その際、電車で通学する時間などを有効活用して隙間時間お中で詰め込むと効率が上がります。また、古文では特に大事なのですが、やはり文法事項をしっかり固めて覚えるべきです。あとは、場数を踏んで問題演習をやりましょう。量が大事ですし、自分は結果としてこれ以外に有効な学習法を見出せませんでした。また、折角国語教室に通っているのですから、利用してください。自分は先生によく質問したりしました。また、直接添削をしてもらえることも大きな魅力です。

   現代文は、学習する上で難しい科目だと思います。同じ文章が出題されることはまずないし、テクニックも特にあるわけではありません。ただ、意識として小手先で解くおではなく、意味をしっかり把握し理解しよう、という姿勢が大事です。添削を通して、この書き方で何がいけないのかを客観的に捉えようとしてください。

  こんな偉そうな文面で国語の学習方法について書いているのも恐縮です。何と言っても、折角フィロソフィア国語教室に通っていらっしゃる訳ですから、是非坂爪先生に相談とかをしてください。自分もわからなくなった時、よくお尋ねしましたし、坂爪先生なら国語以外の教科に関してもお答えできると思います。

   参考までにやった参考書を記しておきます(順に現代文、古文、漢文)。

   1.頻出度漢字(桐原)/高2~/特になし

   漢字は現代文の要です。語彙力のあるなしで文章を読解できるか否か大きく左右されます。やり通しましょう。

   2.大学入試受かる漢字・用語(学研)/高3/1~1.5ヶ月

   この練習帳のいいところは実際の入試問題を掲載し、どういう風に漢字は出題されるかを教えてくれることだと思います。漢字は、ただ形そのも のを覚えればいいわけではありません。きちんと意味を理解し、運用できることがポイントです。その点で学習するに当たり、この参考書がいいと 思います。ただ、結構難しいと思うので(語彙的に)、1.をやり通してからまだ余裕があるなら、やってみてもいいと思います。

   3.現代文キーワード読解(Z会)/高3/1~1.5ヶ月

   自信を持って言い切れないのですが、現代文では特によく出題されるテーマのパターンがある気がします。そうした様々なパターンにうまく対応できるようになるためにも、やはり本書を読んでおくことをおすすめします。

   4.頻出現代文重要語700(桐原)/高3/1~1.5ヶ月

   現代文キーワード読解(z会)で取り上がられなかった語句を補完する形で利用しました。語句の意味をしっかり把握しておくと、記述式とかで困  ることはなくなるでしょう。

   5.ことばはチカラダ!(河合)/高3/1ヶ月

   2,3を読む前に、これを読んでおくと尚更良いと思う。 

   6.入試現代文へのアクセス&同発展編(河合)/高2/1~1.5ヶ月(各々)

   語句の意味やキーワード、詳しい解説が載っている。しかも、アドバイスまでついている。簡単だとは思うが、これで現代文の基礎は仕上がると 思う。

   7.ダイヤグラム・入試現代文(基礎・標準)(桐原)/高3/2~3ヶ月

   図解になっていてわかりやすい。どうしてこの答えが導き出されるのかが明確にわかる。

   8.現代文のトレーニング・小説編、同必修編(Z会)/高3/2~3ヶ月(各々)

   7とは違い、図で書かれているわけではなく、言葉で根拠が説明されている。自分は国語が苦手であるため、ノートにまとめたりしました。7,8に関 しては、向き・不向きがあると思うので、どちらかやれば良いのではないでしょうか。

   9.古典単語フォーミュラ600(東進)/特になし/2~3ヶ月

   古文単語は、古文の要です。絶対に避けては通れません。単語を覚えるに当たり、学習方法は色々あると思います。文章でわからなかった単  語をピックアップしてつまみ食いする形で徐々に覚えていく、というのもありだとは思います。ただし、この方法だと必須単語が抜けてしまう可能  性が残りますし、何よりも体系的ではないため、効率的ではない気がします。こういう単語があるんだ、これは覚えておかなくては、という一種の 目安として持っておくのはいいのではないでしょうか。

   10.古文上達(Z会)/高2/2~3ヶ月

   上記に書いた通り、古文が苦手だったため、あまり乗り気にはなれませんでした。古文は、難しいと思います。昔の言葉ですし、省略も多い      し…。でも、必ずできるようになる日が来ると信じて、やりましょう。辛抱強く、やりましょう。

   11.中堅私大古文演習(河合)/高3/2~3ヶ月

   中堅私大だから、大したことないのでは、と思う方、その認識は間違っています。簡単な文章も掲載されてはいるのですが、敬語をかなり上手に 駆使出来るようにならないとできないような文章もあります。一度、手にとってみてください。

   12.マドンナ古文常識217(学研)/高3/1~1.5ヶ月

    個人的には読んでいて面白かったです。常識を知らないと、読めないのが古文だと思います。特に、早稲田大学受験者は読んでおいてくださ   い。

   13.古文文法問題演習(河合)/高3/1~1.5ヶ月

    文法で忘れたところを総ざらいするのに有効でした。

   14.漢文早覚え速答法(学研)/高2/1~1.5ヶ月

    漢文は覚えればすぐできるようになり、点数に直結しやすい科目だと思います。だから、これをきっかけに句型とかを一気呵成で覚えてしまい   ましょう。

   15漢文のやまのやま(学研)/高2/1~1.5ヶ月

   14と合わせてやれば、完璧です。

   16.漢文道場(z会)/高2/1~2ヶ月

   解説が若干薄く、他にももっと良いのがあるかもしれません。とりあえず、これをやりました。

 ③数学

   数学もあまり得意ではなく、苦労しました。量をこなすことにしました。しかし、漫然と解いたところで何の効果もありません。どの問題にも通底する公式や背景知識があるはずです。そうした広い視野を備えた上で解くことが重要です。すなわち、パターンを覚えることです。自分が使った参考書等は以下の通りです。

   1.チャート式(色は青)(数研出版)/高校/何遍も

   パターンを覚えるのに有効なのは、本書だと思います。例題と練習問題をあわせてやれば、怖いもの無しです。自分は辞書のように、分からな い分野があったら立ち戻るようにして使っていました。解説を熟読して行くうちい分かってきます。

   2.スタンダード演習(学校頒布)(数研出版)/高2/6ヶ月

   学校で配られた問題集。繰り返し解き、分からない分野を潰していきました。例えば、確率が苦手なら、その部分をよくやるようにしました。

   3.坂田アキラの数列等(中経出版)/高2~/1~2ヶ月

    苦手分野がある場合、チャートをいくら読んでも全然ピンと来ない場合があります。そうした時にピッタリなのがこうした弱点補強シリーズだと思 います。他にも細野真宏の○○シリーズも利用しました。

   4.短期集中 インテンシブ10 整数(Z会)/高3/2~3ヶ月

   東京出版とかでも整数関連の書籍は出版されていますが、個人的にはこれ一冊でいけると思います。他の書籍だとあまりに高度であるため、  なかなか理解しづらい部分も多いのです。その点でこ参考書は凄いと思います。廃版になっているので探すのに苦労するかもしれません。

   5.安田享が選ぶセンスを磨く良問54数学1・A(旺文社)/高2/3~4ヶ月

   これはやっておいて損はないと思います。ただ、難しい問題も含まれてはいるので、そうした問題に関しては解説を読む等柔軟な対応をお願い したいです。

   6.東大数学で一点でも多く取る方法(東京出版)/高3/1~2ヶ月

   赤本とかで25か年もありますが、こっちお方が解説とかも親切なのでお勧めします。ただ、問題数が少ないのが難点です。

 ④社会(日本史・地理)

   社会科目とかで一つだけ言わせて下さるなら、それはこの科目に関しては塾とかに通わないと習熟が難しいので是非通って貰いたい、ということです。少なくとも、添削はしてもらってください。英語や数学に多くの時間が費やされる中で、社会科目も効率よく上げて行くためには添削は不可欠だと思います。

   1.教科書(山川出版)/高2~/5~6ヶ月

   学校で配られた教科書で構わないのですが、とにかく読み込んでください。論述で使えそうなフレーズを探すのに有効ですし、歴史の基本は教 科書です。理解の一助として副読本を読むことも(有名なものとして石川の○○シリーズ等)いいでしょう。

   2.日本史B一問一答―完全版 (東進ブックス)/高2/3~4ヶ月

   歴史用語は論述の基本なので、国公立大学受験者もなめずにやりましょう。

   3.元祖 日本史の年代暗記法 (大学JUKEN新書・旺文社)/高3/3~4ヶ月

   年号は意外と重要。また、理路整然とまとまっている解説欄も大いに使えます。

   4.東大合格への日本史 (データハウス)/高3/1~2ヶ月

   東大の日本史は正直、難しいので、公式化・パターン化すること自体不可能だとは思います。しかし、自分は苦手だったので、この本を手に夏  休みに読んでしまいました。一回手にとって見てください。ひとまず紹介しておきました。

   5."考える"日本史論述―「覚える」から「理解する」へ (河合塾)/高3/2~3ヶ月

   自分のバイブルでした。解説がよく、特に銀本位制についてや恐慌お際の日本の経済状況・軍部の台頭がわかりやすい記述になっています。

   6.書いてまとめる日本史ー日本史短文論述練習帳(河合塾)/高3/2~3ヶ月

   5をやり始める前に、作法を学び、基礎事項を同時に固めるのに最適です。全部やち、復習しました。ただ、解説があまりないので、資料集や教 科書等を活用して知識の補充をしましょう。

   7.地理の研究(帝国書院)@/高2/6ヶ月

   地理関しては、いい教科書や参考書があまりないので、これを中心に学習していました。最新の時事問題等についての記述もあり、重宝するこ とと思います。他にも、前提として山岡の地理(東進ブックス)も事前に目を通しておくと、より地理を理解できるようになると思います。

   8.東大の日本史/地理25カ年(教学社)/高3/特になし

   日本史については25年分全部やり通し、傾向を掴みました。地理に関しては統計が古い等の事情もあり、年代が古くなるにつれて問題として不 適合な面もあることは否めませんが、摘み食いでいいのでやっておきましょう。

 ⑤地学(センター対策)

   副教科であるため、後回しになりがちなのが本当のところだとは思います。それに、意識としてあまり普段の学習時間を副教科にあてたくないという意識もあって当然だとは思います。では、どうすればいいか、というと、学校の授業を活用して授業の中でなるべく完成させよう、とすることです。

   1.決定版 センター試験 地学1の点数が面白いほど取れる本(中経出版)/高2/6ヶ月

   自分はこれを使ったので記しておきましたが、個人的にはあまりオススメできません。なぜなら、あまりにも分厚いからです。読み通すのに苦労 しました。だから、自分以外のクラスメートでよく使用していた参考書として「決める!センター地学1(学研)」を記しておきます。

   2.地学1 マーク式基礎問題集(河合塾)/高3/2~3ヶ月

   基礎事項を総ざらいするのに最適です。やっておいて損はないと思う。

   3.解決!センター地学1(z会)/高3/1~2ヶ月

   廃版ですが、いい参考書です。実際のセンター試験を題材に問題を掲載し、どのような思考回路を辿れば解決につながるかを明確に示してくれ ています。

 ⑶終わりに

   最後に、全般的な話をして締めくくりたい、と思います。何を書こうか、色々と迷ったのですが、3点だけ書かせてください。

   一つ目は、模試の復習を絶対にする、ということです。弱点が顕在化する絶好の機会である模試を活かさなくては、勿体無いばかりでなく、成長する機会を自らの手で断ち切ることにつながることになります。入試でやっておけば良かった、という後悔を残さないためにも必ずやりましょう。

   二つ目は、直前期のことではありますが、本番で緊張しないように万全の対策を施す、ということです。自分は本番に滅法弱く、一旦緊張すると実力を発揮できません。だから、ニルギリ茶を飲んで試験会場で緊張をほぐしたり、自律訓練法を通して自分の正常な意識を取り戻す努力をしました。本番で合否が決まります。そうした意識をしっかりと持って下さい。

   最後に、本番ギリギリまで粘る、ということです。センター試験で早慶ももはや全滅かもしれない、という強い危機感を抱き、取り憑かれてしまったことを鮮明に記憶しています。でも、今振り返って見れば、自分は継続して努力してきたし、模試でも結果は出せていたから、そんなにビビる必要はなかったのです。努力は決して貴方を裏切りません。最後まで自分を信じて頑張って欲しいと思います。

    この合格体験記を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。フィロソフィアのみなさんのご健闘をお祈りします。

追記:もし、個別で何かご相談等ありましたら(一橋の推薦について等)、こちらにメールをお願いします。singa521i@gmail.com

                     (2013年卒業 一橋大学商学部 S.I)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 02時17分

合格体験記(都立西高校へ進学)

3年間の勉強

1、 1,2年生の時の勉強

 学校の授業をまじめに受けるとともに、毎日NHKラジオの基礎英語講座を聞くようにし、定期テストの約1ヶ月前からテスト勉強をしました。また、テスト勉強期間以外の時には数学の予習や、漢検・英検の勉強をしていました。その結果、2年生の冬には、漢検・英検の両方で準2級に合格することができました。

2、 3年生の時の勉強

 3年生になってからは、1・2年生の時の遠洋に加え、次のような勉強をしました。

①国語は、フィロソフィア国語教室に通うようになりました。国語は苦手科目でしたが、先生の詳しい説明や問題を解くときのポイントを教わったことによって、入塾したての7月から入試までの間にだいぶ進歩することができました。また、家では、『ハイクラス問題集』(学研)を時間を計りながら2回繰り返し、漢字の復習もしました。

②数学は、教科書を3回繰り返し、全ての問題が速く間違えなくできるようにしました。夏休みに入ってからは、時間を計りながら『入試によくでる数学 標準編』(ニュートンプレス)に取り組みました。3回ほど繰り返して間違いがなくなったら、『入試によくでる数学 有名高校編』(ニュートンプレス)に移りました。そして、1月後半ごろ、『入試によくでる数学 標準編』に戻り、基礎を復習しました。

③英語は、文章を読むスピードが遅く文法もあいまいなところがあったので、ます教科書の文章を音読し、それを訳す練習をしました。それが終わった夏休むごろから、『英語長文難関攻略30選』(東京学参高校入試シリーズ)に取り組みました。これは、問題を解き、解説を読み、音読をするという順番でやりました。音読をすると自然に内容が頭に入ったので3回繰り返した後には全ての文章の内容を覚えているようになりました。1月ごろからは、『英語長文問題精講』(旺文社)の、英文を毎日読み、さらに読解スピードが速くなるように心がけました。また別に、文法の復習もしました。

④社会は、夏休み中に地理と歴史を『最高水準問題集』シリーズ(文英堂)で復習し、それが終了した後に公民も教科書や上記の問題集を用いて勉強しました。さらに、歴史については自分で年表をつくり時代の流れをつかむことによって、歴史の並べ替えの問題が解きやすくなりました。

⑤理科についても社会と同じシリーズの問題集を用いて、それぞれを何回も繰り返して完璧にできるようにしました。解説だけではわからないところは教科書を確認して解けるようにしていきました。

3、模擬テスト

 テストに慣れるために、3年生になってからV模擬を受けていました。6月、8月は都立模擬、10月、12月は自校作成模擬を受けました。模擬テストは、時間配分、リラックスの仕方、気持ちの切り替え方など様々なことを試す良い機会となりました。

4、感想

 フィロソフィア国語教室以外の塾には通わずに勉強していたので、坂爪先生の指導に従い、時間配分をよく考えて計画を立て、勉強に取り組みました。その結果、苦手なところに多くの時間を費やすことができました。全体的に勉強を進めるスピードが遅かったので、余裕を持って試験に臨むことはできませんでしたが、それでも都立西高に合格することができました。入試本番は誰でも不安になると思いますが、落ち着いて臨めばよい結果が得られると思います。

                                                    (Hさん 2013年都立西高校へ進学)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 01時52分

合格体験記(早稲田大学法学部へ進学) 

 私は、現代文、古文、漢文の国語全般が全て苦手科目でしたが、高2までずっと放置していました。塾に通い始めたのは、高3になり、危機感が湧き、学校の授業だけでは成績が上がらないと感じ始めたからです。

 現代文は初め、意味の分からない言葉がたくさんある堅い文章を読むのが苦痛でした。しかし、問題文の内容が面白いと思えるようになった時から現代文に対する抵抗感はなくなりました。秋ぐらいまでは、時間を全く気にせず、ただ文章が理解できるようにゆっくりと読み、楽しみながら勉強していました。特に河合の『現代文入試精選問題集』には、へーと思わせる面白い問題文がたくさん収録されているのでおすすめです。ただし、そう思えるようになったのは、フィロソフィアに行ったからだと思っています。大手塾の先生で、よく現代文なんて問題の解き方が分かればできる、と主張している人がいますが、現代文は内容が理解できないと、どんなテクニックを駆使しても問題を解けないと私は塾で学びました。一般の問題集でも、正解にたどり着くまでの解説しかありませんが、先生は問題を解く方法だけでなく、本文を正しく理解するために必要な知識や考え方を教えてくれました。

 古文には最後まで苦しめられました。原因は単純に勉強量が少なかったからだと思います。なぜ勉強しなかったかと言うと、高2のときにさぼりすぎて、高3になって、いざやろうと思った時にはもう難しくなり過ぎていて、学校の授業にもついていけず、苦手意識がますます強くなり、やる気が起きなかったからです。また、勉強し始めても、1人では勉強を続ける事ができませんでした。だから私は、塾の夏期講習で多くの講座をとり、塾で先生と一緒に古文の問題をたくさん解きました。フィロソフィアは少人数で、わからないことがあればすぐに質問ができたので、嫌いな古文も何とか勉強し、少しずつステップアップすることができました。

 漢文はパズルのようなもので、一つ一つの漢字からその字が持つ意味を連想して、文を理解していきます。だから、多くの漢字を知っていれば有利になります。高2のうちに漢文2級を取ることをお勧めします。漢検2級にある四字熟語や熟語の知識が漢文の理解の助けになると思ったからです。私は漢字も苦手だったので、最初は全く連想できずにチンプンカンプンの状態でした。しかし、これも塾で多くの問題を解き、その度ごとに丁寧に説明してもらい、漢字の連想などにも根気強くつきあってもらった結果、少しずつ漢文というものに慣れ、解けるようになっていきました。そして、漢文も面白いと思うようになって1人でも問題集を使って勉強できるようになりました。

                                  (Sさん 2013年早稲田大学法学部へ進学)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 01時45分

卒業生からのメッセージ(国際基督教大学在学生から)

 ぼくはフィロソフィア国語教室をもっとも活用させていただいた生徒の一人だと思います。兄がお世話になっていたことがきっかけで初めて行ったのが中学三年のときです。当時、ぼくは都立西高校の推薦試験、一般試験ともに受験する予定でした。もとから通っていた塾では小論文の対策が不十分だったので、フィロソフィア国語教室に駆け込んだ次第です。坂爪先生は当時も熱心に受験対策をしてくださりました。そのおかげで、推薦試験は落ちてしまいましたが、西高の一般試験は合格することが出来ました。

 高校に進学してからも、フィロソフィア国語教室にお世話になりました。国語教室では現代文、古文、漢文すべてを学ぶことが出来きます。ぼくのクラスでは教材としてセンター試験や実際の入学試験を題材になさっていたので、いつもチャレンジ精神がわき起こり、自然とモチベーションを高く持って取り組むことが出来ました。結果として、古典に対する苦手意識がなくなり、国語はぼくの得意教科となりました。センター試験本番では評論文、漢文ともに満点で、小説、漢文はともに8割以上の得点を取ることが出来ました。

 フィロソフィア国語教室の最大の利点は、坂爪先生に教えてもらえる、と言うことだと思います。ぼくは何度も進路を変え、受験直前になっても変えることになったのですが、坂爪先生はいつでも本当に親身になってぼくの志望校の入試問題の研究をしてくださったり、励ましてくださりました。最終的に第一志望のICUに合格することができ、今は課題に毎日追われて悲鳴をあげながらも、とても充実した大学生活を送っています。フィロソフィア国語教室に大変感謝しています。ありがとうございました。

                   (2014年卒業  国際基督教大学教養学部アーツサイエンス学科1年生 菊地凱)

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 生徒・保護者の声  投稿日時: 2014年10月18日 01時41分

2014年合格実績

2014年受験生の主な合格先です。

【大学】

名古屋大学理学部

慶応大学環境情報学部       

慶応大学商学部 

慶応大学文学部

国際基督教大学

上智大学文学部

上智大学文学部 

上智大学外国語学部

上智大学外国語学部 

上智大学総合グローバル学部

帝京平成大学現代ライフ学部 

立教大学社会学部

立教大学経済学部

早稲田大学国際教養学部  

早稲田大学社会科学部   

【高校】

日本工業大学駒場高等学校         

【中学】

桜蔭中学校

学習院中等科

東京学芸大学附属小金井中学  

豊島岡女子中学校

立教池袋中

 

 

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2014年10月6日 15時24分

季節の講習会

通常授業とは別に、夏期・冬期・春期講習会が開かれます。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 講習会のお知らせ  投稿日時: 2014年8月31日 17時07分

2013年合格実績

2013年度受験生の主な合格先です。

【大学】

一橋大学商学部                  

一橋大学経済学部

北海道大学工学部

早稲田大学商学部

早稲田大学政治経済学部         

早稲田大学国際教養学部

慶応大学経済学部

慶応大学商学部

東京医科歯科大学医学部 

順天堂大学医学部

昭和大学医学部

上智大学法学部

上智大学外国語学部

立教大学経済学部

明治大学政治経済学部

明治学院大学

日本大学経済学部                

【高校】

都立西高校

【中学】

國學院久我山中学校

東京大学教育学部附属中学校

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 合格実績  投稿日時: 2014年8月31日 17時05分

適塾と順天堂

一般向け講座「適塾と順天堂」は、8月17日に開催されました。

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投稿者: フィロソフィア国語教室   カテゴリー 一般向け企画  投稿日時: 2014年8月31日 01時27分