読解問題には、読み方・解き方がある!
なんとなく読み、なんとなく解くことをやめて、論理的な解法を習得してください。
わかりやすい文章の書き方を知っていますか?
作文と小論文の違いがわかりますか?
上手に書くためのコツを学びましょう!
苦手な方歓迎!古文・漢文が、最短時間で、正しく読めるようになるために。文法の知識と読み方とを丁寧に解説します。
慣用句や四字熟語はもちろん、和歌・俳句から文学史まで。国語に関して知っておきたい知識を、わかりやすくまとめてあります。
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教養ってなんなのでしょう。なぜ、世の中にありとある知識のうち一部のものだけが非常なとくべつあつかいをうけ、嗜むべきものとして珍重されているのでしょう。
納得いかないんですね。教室に通ってくれている生徒さんがたはみなすばらしい「教養」を持っていますよ。
魚のことならなんでも知っているひとがいます。電車や野球にめっぽう詳しいひともいます。戦闘機の型番をぴたりと言いあてるひとがいたり、「推し」についてなら何枚でも書けてしまいそうなひとがいたり。
マイクラ博士もいます。作家のように書くひと、哲学者のように考えるひと、落語家のように話すひともいます。こわれかけのマーカー置きや椅子を直してくれたひともいます(ほんとうに助かりました)。空手の型や、マジックを披露してくれるひともいます。バスケ選手にサッカー選手、それからテニスプレーヤー……。ほかにもまだまだ、書ききれないくらいです。
かれらのげんに所有しているものこそが、黄金の知的財産でなくてなんでしょう。わたしはこころからうらやましく思います。興味関心の対象について熱弁をふるってくれる生徒さんがたにくらべ、わたし自身、なにかにのめり込んだり、時の経つのを忘れたりしてきた経験が、あまりにとぼしく感じられるからです。「これが大好き!」と自信をもって宣言できるものがあるなんて、ほんとうにすばらしいことですよ。それこそが生きるちからになっていくんですよ。
だいたい国語の読解問題などというものは、三十分くらいもまじめにやっているといったん疲れてしまうものなんですね。それでもいいんです。そういうものですよ。叱責したってしかたがないんです。やりたくないことやらされて、あくびをしたら怒られるなんてわけのわからない世界ですから。「怒られるかも」とこころの縮んだ状態で学べることなどひとつもないんです。運命なんです。うけいれるしかないんです。飽きたら飽きたでなにかは学べるんです。
おもしろい冗談のひとつも言える先生なら、ここでガラッと空気を変えられるんでしょう。あるいは興味深い雑学の披露できる先生なら。でも、わたしはだめですね。そういう器用な先生ではないですよ。おしゃべりが得意ではありませんし、そもそも、ぴかぴかの目で聴きいってもらえるようなおもしろ豆知識の持ち合わせなんてひと粒もありませんからね。生徒さんがたのほうがよっぽどいろいろ通暁してるんです。
「先生、〇〇って知ってます?」
そう聞かれるとわたしはたいがいなんにも知らないんですね。ごめんなさい。理科とか算数とかについてはとくに無知なんです(分数の足し算引き算もできませんからね)。それで生徒さんの話に耳を傾けさせてもらいます。〇〇の内容は、人によってじつにさまざまですね。その日学校で習った知識をさずけてくれる生徒さんもいますし、ひいきのyoutuberのことについていろいろと教えてくれる生徒さんもいます。
ほんとうに毎回驚嘆ものですよ。みなさんどれだけ豊かなことばを持っているんでしょう。
どれだけ多くを知っていて、どれだけ深く考えているんでしょう。
なにを問いかけてもスパッと答えがかえってくるんです。
ドクターイエローの仕事。パ・リーグとセ・リーグのちがい。トラベリングの定義。カナヘビの生態。日本のお城と西洋のお城。ジョコヴィッチのすごさ。youtubeの広告収入の金額。米軍の強さの秘密。すとぷりの魅力。エンダードラゴンの脅威。ABC予想。日本刀の鑑賞方法……。すべて、生徒さんがたから学ばせてもらいました。
話を聴いているあいだ、わたしはじぶんが「先生」などと呼ばれていることが畏れ多くなってくるんです。そもそもわたしは、教育とか指導とかいうことばは苦手なんですが。
それで、時たま学校の成績の話なんかになると、どうなるか。みなさん一様に元気をなくしてしまうんですね……。「おれ、そんなに頭よくないっすから」。「わたし、なまけものなんですよ……」。
いやいやいや。ぜったいにそんなことはないですよ。あなたのさっき発揮していたことばのちからで、どうかご自分のことを別角度からとらえ直してみてくれませんか。頭がよいとか、わるいとか。なまけものとか、がんばりやさんとか。そういう学校教育的な異臭の染みついたことばから脱して、もっと、自己へのいたわりにみちた繊細な表現を、どうか模索してみてはくれませんか。
わたしはあなたがたを尊敬しています。そこまで無心になにかを追究していける情熱の放射をまぶしく受けとめています。あなたがたにくらべ、わたしはなんとつまらないことをしているのでしょう。好きな本を、好きなように読んでいるだけのはずなのに、ピンときた映画を、ひたすら楽しんで観ているだけのはずなのに、どこか、
「おれはいま知的なことをしている」
「教養をたくわえている」
「インプットをしているのだ」
そんなさもしい、あさましい満足感をぬぐいきれていないじぶんがいるのです。
恥ずかしいですよ。くだらないですよ。
なんとまずしい心根かとおもいますよ。なにか他のことのためにあることに取り組む、ということには、本質的ないやしさがあるのです。
わたしもむかしは、あなたがたのように頁をめくったものでした。物語もぼんぼん創ったものでした。それはただたんに、本を読むための読書、物語を書くための創作行為だったのです。けれどもそのうちに、読書するのはばかだ無知だと笑われないため、なにかを書くのはあわよくばそれによってなんらかの対価を得るためになってしまいました。それでわたしのとくに十代から二十代半ばくらいまでの時期は、まるまるクレーターのように、ぼっこりとした虚無に侵されているのです。
価値。意味。目的。こういう一見パリッとした、正統づらのことばどもについて、いちど可能なかぎり深く考えてみてはくれませんか。
これらのことばたちは影のようにあなたがたに忍び寄り、理屈や常識の威を借りて、世界を一変させてしまうのです。
創造性をなくしてしまった大人のこころの風景が、あなたがたには想像がつきますか。
そんなにも貴重な宝をゆずりわたしてまで、常識って招き入れねばならないものなんですか。
わたしは、それがひとを強張らせ、人生をひからびさせていくだけのものならば――社交場での駄弁に金箔をまぶしたり、みみっちい自尊心をカエルの腹みたくでっぷり膨張させるためだけのものならば、「教養」なんてひとつも要らないとおもいます。
あるいは、こういうこともできると思います。あなたを元気にさせてくれるもの、時間を忘れて夢中にさせてくれるもの、それこそがあなたにとっての教養なのです。
学校でやっている勉強は、それを突きつめていくためのやり方の練習に他ならないのですよ。国語や算数、理科や社会そのものについてくわしくなる必要はべつにぜんぜんないのです。なりたければ、なったらいいでしょう。けれどもそのためにあなたが自分自身を疑いはじめたり、嫌いになったりしていては元も子もないのです。数字にふりまわされていたらしかたがないのです。
革命をおこせとは言いません。革命は、ジャコバン派をも誕生させるものだからです。
だまってそこから逃げだしましょう。ほんとうに逃げてしまう必要はありません。あなた自身のなかに逃げ場をもつのです。逃げるということばがいやならば、なにかべつの言いかたを発明してみてもいいでしょう。とにかく、「なんかちがうな」「しっくりこないな」そう感じるとき、違和感を覚えてしまうじぶんを責めるより、周囲に悪態をつくよりも先に、なによりも先に「これがやりたい」「これならばやってみてもいい」と思えることを、あなたのなかに保ちつづけてください。