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卒業生からのメッセージ(慶應義塾大学在学生から)

 

 

『私の浪人記』

 

 

 私は受験を通して初めて自分を知り、向き合えた気がする。

というのは私がそれまで他人の意見や親の価値観を鵜呑みにして生きてきたからだ。

 その生き方が悪い形で出てきてしまったのが高2の時の文理選択及び志望校選択だった。

漠然と「東大がいいのかな」という思いと、

「東大は理系の方が文系よりも枠が大きいから入りやすい」という根も葉もない噂を信じて、

私は理科が嫌いな上に不得意であるにも関わらず理系を選んだ。

志望校の欄にも 東京大学の理科一類と書いた。

 

 確かにこの21世紀の科学技術の時代に、

物理や化学を学ぶ事は自分にとって有意義だと考えていたことはある。

しかしなぜあれほどまでに自らがやりたいことや得意や不得意を

考えて決断できなかったのか、今振り返ると後悔を通り越して不思議ですらある。

当時の自分を分析してみるに、おそらく自分と真に向き合って初めて見えてくる

”内なる自分”のようなものを確立できていなかったからだと思う。

自分自身を問う事を避けて思考停止に陥っ ている人間は遠からず地獄を見る。

それを私は身をもって経験することになる。

 

 理科は不得意なので当然模試の偏差値はいつも40程度だった。

物理にいたっては0点を取ったこともある。理系としての私は全く勝負になっていなかった。

それを知り友人や親は大いに心配してくれた。しかし我が身について真剣に考えず

「理系の方が東大に入りやすい」と思考停止に陥っている私の耳に、

彼らの親切な言葉は届かなかった。

 高3になっても状況は変わらず、ただただ時間と労力を理数科目の解読に

費やす日々が続いた。そのためそこそこできるはずの英・国の勉強も疎かで、

全体の成績も悪かった。

 

 そんな悠長なことを続けていた私に悪夢が訪れた。

当時フィロソフィアとは別で中2から通っていた数学の塾でのことだった。

夏が終わりそろそろセ ンター試験対策をということで、

私は数学ⅠA・ⅡBの過去問を解かされた。自分も含め担当講師は

「東大志望なのだから当然解ける」と判断していた。

ところが蓋を開けてみると高得点どころか四割程度しか取れなかった。

その後の授業でもやってみたが結果は同じだった。

愕然となったのは言うま でもない。当時の私は発展的な内容の解読に

明け暮れていて基礎に帰ることをしていなかったのだ。

そもそも基礎ができていなかったのだから発展的な内容が理解できなかったのであり、

このセンター試験惨敗事件は起こるべくして起こったと言える。

 けれども当時の私は冷静さを失っており、それまで費やしてきた時間と労力に

対する現状をただただ嘆いていた。そして失意の中地獄のセンター特訓が始まった。

 

 目標はとにかくセンター数学・理科の点数を上げ、二次試験の足切りを食らわ

ないことだった。(こんな目標設定をしている時点で東大受験など絵に 描いた

餅だ)とにかく過去問を1月の頭まで一心不乱に解き続けたが、点数は全く上が

らなかった。上がるどころか数学はいつやっても四割、理科は三割が限界だった。

それまで頭の中で描いていた東大受験は一瞬にして消え、目の前が真っ暗になった。

何回やっても身に付かない物理、興味が無い故に忘れてしまう有機化学の知識…

全くもって自業自得だが私はストレスに耐えられなくなり、1月のある日、

一切の勉強を放棄した。私は何にもつながらない努力を続けることに耐えられなかった。

 

 朝から漫画を読み耽り、映画を楽しんだ。当然ながらいくら遊んでも充実感を

得られることは決して無かった。今思えば坂爪先生に相談しに行けば良かったのだが、

当時はそんなことを思いつく余裕すらなかった。まさに地獄だった。

 そんな廃人状態でセンター試験当日を迎えた。当然結果は足切りかつ惨敗だった。

けれどもセンター試験から解放されたので少し気が楽になれて逆に良かった。

と同時に浪人することがほぼ確定した。

 

 センター試験後も勉強が手につかず近所を徘徊していると、携帯が鳴った。

出てみると母親からで、「高井戸で46年受験指導してる知る人ぞ知る塾の先生を

紹介してもらったから、話だけでも聞いてもらいに行きましょう」ということだった。

それが後に坂爪先生とともに、浪人の1年間お世話になるW先生とW塾との出会いだった。

 

 その日にW塾へ行き、同塾の代表のW先生と面談した。どんな人なのかと

最初は緊張してビビっていたが、温かい目をした包容力溢れる優しいおばあちゃんだった。

今までの経緯を全て聞いてもらい色々話しあった上、今年の受験は諦め今から来年に向けて

準備を始めるということで、翌日からW塾に 通わせてもらえることになった。

忘れもしない1月25日。この直前期中の直前期に私は新しい塾に入った。

 

 W塾は普通の塾と異なり、W先生のご自宅が学び舎である。生徒は小学生から浪人生

(中には就職浪人)まで幅広かった。W先生は受験生全体の指導と小中学生の英語を

主に教えていた。数学はW塾の卒業生でもあるO先生という人が担当し、

残りの科目はそれぞれW塾の卒業生の大学生、院生がバイトで来ていた。

授業は一コマ四時間。先生一人に対して生徒は四、五人で、

先生の隣に座ってそれぞれの勉強(科目は同じ)を進め、

質問があれば先生 に聞くというスタイルだった。

そこで飼われている犬や猫に囲まれながら、

生徒たち(特に受験生)は自分の課題が終わるまで23時までだろうと、

0 時までだろうと机にしがみついて必死に勉強していた。

まるで坂爪先生に貸してもらった福澤諭吉の『福翁自伝』に出てくる、

適塾のような印象を受けたのを今でも覚えている。

当然ながら最初はカルチャーショックの連続だった。

 

 今年の受験は諦めて今から来年に向けて準備するということで、

私は理科に見切りをつけ文転することになった。

坂爪先生に事情を伝えると先生は自らW先生に会いにきてくれ

色々と情報交換などをしてくださった。

 文転したということで坂爪先生は歴史の勉強の仕方を教えて下さった。

文転後も続けた数学にいたっては先生自ら『白チャート』を買い、

「わからなくなったところから一緒に勉強しよう。」と、

フィロソフィアで数学勉強会を開いて くださったこともあった。

環境が変わり情緒不安定だったこの頃の私にとって、

坂爪先生の存在がどれだけ精神安定剤となっていたか分からない。

加えて私が少しでも知的好奇心をもって勉強できるようにと、

立花隆の本など面白い書籍をたくさんお貸ししてくれた。

2013年の1・2・3月はフィロ ソフィアとW塾のダブルスクールで勉強を再開した。

 

 四月に入りW先生と坂爪先生の指示もあって、

私は駿台の東大コースに前期だけ通うことになった。

駿台の授業は面白く友達もでき、最初の一ヶ月こそ楽しかったがその後が大変だった。

駿台とW塾とフィロソフィアのトリプルスクールで首が回らなくなり、

消化不良を起こしてしまったのだ。

授業の予習復習をしようにも駿台が終わったらW塾に入り、

そこで渡される膨大な量のプリントをやらねばならなかった。

そのため駿台の予習復習にはほとんど時間をかけられず、

授業にもついていけなくなった。

正直な所フィロソフィアのプリントも授業の直前に見直す程度しかできなかった週もあった。

 

 今振り返るとこの時期に首が回らなくなるほど勉強ができて本当に良かったと思うし、

合格に必要不可欠な時期だったとさえ感じる。

しかし当時はなぜW先生はこうなるとわかっていながら駿台に行けと指示したのかが疑問だった。

前期に受けた模試の結果が悪かったのもこの消化不良のせいだと感じ ていた。

不安や焦りが再び蘇り、負のスパイラルに陥り始めていた。

そんな中坂爪先生から頂くメールは何よりの励みになった。

「成績が出るまでは辛 いけれども結果が出れば勉強が楽しくて仕方なくなります。」

「誓一郎君には本物の教養人になって欲しい」などと心温まる文章を読み、

焦る気持ちを 抑え必死にくらいついて勉強した。

 

 浪人初めての夏が来た。夏は受験生にとって最も重要な時期であり、

ここでどれだけ格闘したかが秋冬の実力を決める。

私は8月1日から21日までをW先生のご実家の岩手で過ごした。

W塾では夏は岩手で勉強合宿をするのが恒例で、私もフル参加した。

 千本ノックのような勉強合宿だった。1日の主な流れは六時起床の後

ラジオ体操・朝食を済ませ、宿舎(W先生のご実家)から別荘と呼ばれる建物へ

車で移動し、七時から勉強開始である。

受験生は自分の課題が終わるまでひたすら机にかじりついていた。

おかげで皆空腹に耐えながら毎晩十時ぐらい に宿舎へ戻る車に乗るのが普通であった。

夕食が済んでも宿舎に机と椅子が用意されており、また寝るまで勉強を続けていた。

はっきり言って、狂気を 感じた。辛かったが岩手の自然に囲まれ、

毎日三陸の美味しい料理を食べさせてもらう中勉強できた私は幸せな浪人生だったと、

合宿が終わってから思 えた。加えて合宿期間中に私の誕生日を先生方、

生徒全員に祝ってもらえたことは大変嬉しかった。

お祝いの最中普段厳しい数学の先生が見せた少年のような笑顔を、

私は生涯忘れることができないだろう。

 

 夏が終わり自分ではそろそろ結果が出てもおかしくないと思っていたが、

なかなかそうはいかなかった。夏までこれだけ勉強したのになぜだ!という思いと、

まだあと四ヶ月もこの辛い勉強が待っているのかという疲労感がどんどん膨らんでいった。

十、十一月は浪人の中で最も辛い時期だったと思う。

 

 そんな中唯一の楽しみが他ならぬフィロソフィアの授業だった。

現代文を読むのがそもそも面白かったし、漢文を音読するのも好きだった。

(というより高校時代にフィロソフィアに通い、季節講習を大量に受講するように

なって好きになった)坂爪先生はいつも必ず補足知識や背景にある思想・哲学を

教えて下さる。私はそれを聞くのが楽しみだった。

W塾がただエンジンを全開にして突っ走る勉強をする空間ならば、

フィロソフィアは知的好奇心という名のガソリンを注入してくれる場所だった。

 思えば今私が文化や歴史に興味をもち読書が好きになったのも、

坂爪先生が時間や労力を惜しまずに私たち生徒に学問の楽しさ、

面白さを伝えてくださったおかげである。

 

 十一月の終わり頃に私は志望校を慶應と定め、それらの個別の対策を練る事になった。

慶應の中でも総合政策、環境情報学部があるSFC(湘南藤沢 キャンパス)の入試では、

ハイレベルな小論文が課せられており本来ならば1年かけて対策する予定だったが

思うように計画がすすんでいなかった。そ のため秋から坂爪先生との小論特訓が始まった。

 

 私は文章を書くのは好きだったが問題文を読み、出題者の意図に正確に答えるのが

苦手だった。これは小論文では致命的な欠点であり坂爪先生に何度もご指導を受けた。

加えて私は資料の読み取り、構想に相当の時間がかかり、制限時間で終わらないどころか

書けないで終わることがほとんどだった。 それでも坂爪先生がなんとか私でも書けそうな

テーマを探してくださったおかげで、書き続けることができた。

どうしても時間がない時は、夜に西荻窪 のマクドナルドで添削をしてもらったこともあった。

とにかく坂爪先生の全力のサポートのおかげでなんとか人並みに書けるようになり、二月を迎えた。

 

 私は計14校(早慶上智、立教中央明治法政)を受け、結果から言うと4校の合格を頂いた。

なぜ14校も受けたのかというと、W先生が「あんたは 浪人生といっても実際は現役生みたいなもの

だから最後まで伸びる。だからたくさん受けなさい。」という指示があったからだった。

28日しかない二 月に14回(つまり二日に一回)試験を受けねばならぬと知った時は、

最初こそ乗り気でなかったが途中から試験(特に数学)を受けるのが楽しくなってきたし、

試験そのものに慣れた。そのおかげで第一志望の慶應の日(経済、総合政策、環境情報学部)は

ほとんど緊張せずに受験できたと思う。

 

 試験に関して印象的なのは環境情報の小論文の二時間だ。

慶應の経済の感触はイマイチで、かつ総合政策の英語で失敗してしまった私は、

「やっぱり 慶應なんて縁がなかった」とひどく落ち込んだ状態で環境情報の試験に臨んだ。

というのも私は時間の関係で環境情報の過去問(英語と小論文両方)を

一度も解いたことがなかったからだった。準備0と言って良かった。

それゆえに環境情報の合格はほぼあり得ないと思っていた。

環境情報の小論文の テーマはIT関連が多く、その分野に非常に疎い私にとっては

それが出たらアウトだった。

ところが私の年は「環境問題」がテーマで、試験用紙をめ くってそれを見た瞬間

私は「イケる、今から二時間、絶対書いてやる!」と意気込み、

一度も止まる事なく一気に書き上げた。

坂爪先生に言われた通り 出題者の意図を正確に汲み取ることと構成にだけは気をつけた。

 

 三月末。試験が終わり合格発表を待つ悶々とした日々が続いていた。

といっても実は上智大学の文学部の合格をすでに頂いており、

それだけでも爆発するほど嬉しかったし、一応安心はしていた。

しかし残念ながら慶應の経済には落ちてしまい、どうしても慶應に行きたかった私は、

残されたSFCの発表日までは悶々とせざるを得なかった。

「どんな結果でも自分に良いように考える」と腹を決めて、いよいよその日を迎えた。

 

 発表日当日10:00。慶應のホームページに合否確認のリンクが貼られた。

その日は家族も気を使ってくれて外出しており、家には私一人だった。

居間で腕組みをして神妙にしていた私は覚悟を決めてパソコンの前に立ち、

受験番号と生年月日を入力した。

一度目を閉じて、あの地獄の理系時代からの1年を思い出していた。

W先生との出会い、しんどかったトリプルスクール、千本ノックの岩手合宿、

辛くて塾をサボったこともあった秋、どこまで も付き合ってくれた坂爪先生との小論特訓。

決して完璧な1年ではなかったけれど、確かにあった1年というものを噛み締めた。

腹が据わり、私は静か にエンターキーを押した。

 

 総合政策学部 不合格

 

私は一気に追いつめられた。

仕方ない、次で最後だと思い、環境情報の画面に移り

もう一度だけ腹を据えて、エンターキーを押した。

 

 環境情報学部 合格

 

 私は心底ほっとした。喜びももちろんあったが安堵の方が勝った。

すぐに坂爪先生とW先生に連絡した。お二人とも私と同じように喜んでくださった。

自分で合格を知ったときよりもその声を聞いた時の方が嬉しかった。

絶望の理系時代から1年、たくさんの人に支えられて私の受験は終わった。

  

 合格不合格の以前に私が1年間必死に頑張れたのは坂爪先生とW先生、

そしてW塾のスタッフの先生方のおかげである。

特に坂爪先生のきめ細やかかつ長時間の小論文対策がなかったら、

私は環境情報に通ることはなかった。本当にありがとうございました。

 加えて、自分の知的好奇心を目覚めさせてくれた坂爪先生とフィロソフィアと

の出会いは私の一生の財産である。坂爪先生は生徒が1のことを話しかけてもそ

れを10にして返してくださる先生だ。だからフィロソフィアの生徒達には

授業の合間を見つけて積極的に先生に話しかけていって欲しい。

決して勉強関係のことでなくてもよい。疑問におもっていることや発見したことを

素直に言えば先生は必ず考えるヒントを与えてくれるはずだ。

そのヒン トの積み重ねが必ず自分の興味や関心の芽を育んでくれるだろう。

何でも答えてくれる先生が身近にいるという恵まれた環境を生かして、日々勉強してほしい。

 

最後に受験生に向けて三つだけ。

 

一つは私のように道を誤り自分で自分の首を絞めないためにも、

常に自分と向き合い本音の自分をさらけだす努力をしてほしい。

その上で坂爪先生やご両親と進路について真剣に話し合えば、自分の道が見えてくると思う。

直前期の受験生にしても、少しでも今の道に疑 問があるならば立ち止まってみて全然良いと思う。

その時間をケチってがむしゃらに走るよりも、

一度確認した上で走りだした方がより前に進めるはず だと私は思う。

 

 二つ目は、学問に終わりはないけれど受験には限りがあるということだ。

受験は辛いことが多いが試験日という終わりがある。

だから辛い、死んでしまいたいと変に悲観したり絶望したりせずに、

試験日までにいかに穴を埋めるかだと開き直って日々ノルマをこなして欲しい。

 

 三つ目は親と先生に毎日感謝することだ。

恥ずかしいが私は浪人時代寝る前に毎日手を合わせて、

あらゆるものに感謝の祈りを捧げていた。

よく受験生、浪人生は頑張っている自分を理想化して俺私はエラいと勘違いするが

(かくいう自分もそうだった)、とんでもない。

親の経済的援助があって初め て受験勉強ができ、その後も大学へ行かせてもらえるのだ。

 お金を払っているとはいえ、先生に教えてもらっている最中も

「あぁ、ありがたい」という気持ちを忘れてはだめだ。

レベルの高い大学に合格している人ほどそういう態度で先生に接している人が多い。

これはよく言われていることだし、私の友人たちをみてもこの話は当てはまる。

 

みなさんの受験が納得がいく形で終えられることを心より祈っています。

 

                     (2014年卒業 慶應義塾大学環境情報学部1年生 樋口誓一郎)



投稿者: フィロソフィア国語教室投稿日時: 2014年12月1日 22時14分